追う者

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追う者

「ったくよぉ!」  宅配コンコン、とオレンジの文字で書かれたバンから大きな荷物を台車へと下ろしながら、竜二はこめかみに血管を浮かせた。 「俺にこんな重労働させといて、自分はカフェでお茶ってか?後で文句垂れてやる」  洋子から指示されたのは、この車でこの荷物を美咲の部屋に届ける事。  然し、鉛玉でも入っているかのように荷物は重く、おまけに天地無用の張り紙までしてあった。 「出来るだけ、重たい素振りは見せないで下さいね」  なんて、洋子はさらっと言って退けたが、大きさもそこそこにある段ボールを担ぐのは痩せ型の竜二にとってはこの上ない苦行であった。  おまけに、美咲のマンションのオートロックの開け方に手間取り、電話で美咲に確認しながら何とかマンションのエントランスを抜けると、エレベーターで美咲の部屋まで向かった。 「ちわーっす。お届け物でーす」  大声で呼びかけて、応答がないのでインターホンを乱暴に押して、お届け物でーす、と繰り返した。  暫くして、がちゃりと部屋の戸が開くと、台車ごと玄関に突っ込んで扉を閉め、馬鹿に重い荷物を部屋に運び入れる。 「んで」  竜二は台車の上に乗った美咲を見た。 「どーすりゃいいんですかねぇ、これ」 「そこに置いておいて下さい。ありがとうございました」  美咲がそう言ったのを合図のように、下駄箱の上でぬいぐるみの中に紛れていた勝山が美咲の頭の上に覆いかぶさると、途端に美咲の姿が見えなくなった。  竜二は改めて勝山狸の使い勝手の良さに驚きつつも、へーい、と言って部屋を後にする。 「どうも、ありやとやしたー」  誰もいない部屋の中に、まるで人がいるかのように帽子をとって礼をする。  ばたん。  扉が閉まってから、竜二は傍目からは空に見える代車を運んでエレベーターに乗る。 「流石は猿だね。頭だけはポンコツじゃないみたいだ」 「うるせぇ、狸爺い」 「おお、怖い怖い。だから猿は嫌いだよ」  エレベーターの中で軽く小競り合いをしてバンに戻ると、指定された場所にカーナビを合わせて運転を始める。 「あの、本当に上手くいくんでしょうか?」  未だ勝山の妖術のおかげで姿が見えない美咲に問われて、竜二は透明人間と話しているような錯覚に陥りながらも、肩をすくめて。 「さぁな、俺にもあの女の考えている事はさっぱり分からねえんだ」  と、言った。  深夜。  赤レンガのマンションの十階、奥の一室で携帯電話が鳴った。  ミサ、今日は残念だったね。警察を使っても探偵もどきを使っても僕からは逃げられないよ。ミサに会いたいなぁ。  何時もであれば返信をしないそのアドレスに、電話の持ち主はレスポンスを返した。  どうして、そんなに私の事が好きなんですか?  赤レンガのマンションの脇に立つ電柱の下で、一人の男が携帯電話を取り落とした。  彼は荒い息遣いでそれを拾い上げて、震える指で文字を打つ。  どうしてなんて、愚問だな。僕はミサの全部が好きだよ。初めて会った日を覚えてる?駅のホームで僕が落とした定期券をミサが拾ってくれたんだ。ミサは優しいんだ。僕はミサの全てが好きなんだ。  男がごくりと生唾を飲んだ。  初めて受け取った返信に期待を膨らませ、食い入るように画面を見つめる。  そして、返信を知らせる音が鳴ると、思わず、わっ、と声を漏らした。  でも、きっと貴方は私の事を全て知っていないと思います。知ったら嫌いになりますよ?  男は吹き出す手汗を何度かジーパンで拭いながら、必死に文字を打ち込んだ。  嫌いになんてならない。ミサが堕天使でも悪魔でも、僕はミサが好きだ。どんなミサでも、ミサが好きなんだ。  火照って汗ばんだタートルネックの首元を緩める。  次に来た返信は、男が望んだその返答だった。  分かりました。私も、ここまで自分の事を好きになってくれる人は初めてです。来て下さい。部屋のロックは開いています。  男はもつれる脚を急がせて、マンションのオートロックを返信に書かれた手順で解除し、美咲の部屋に向かった。  彼が見る美咲の部屋は思っていた通り綺麗で、芳しい香りがした。  然し、明かりが点いていないのである。 「ミサ!やっと分かってくれたんだね!」  男は靴を脱ぎ散らかし、部屋の中へと入っていく。  奥の部屋には、ぽつり、ぽつりと、服が床に落ちていて、その先を辿れば、膨らんだベットの上の布団へと続いていた。 「ねえ、今ここで誓って。私だけを愛するって」  泣いた後なのか、美咲の声は掠れていた。  男は掛け布団の上から美咲を抱きしめて頬擦りする。 「嗚呼、誓うよ、ミサだけを愛すると」 「嬉しい」  そう一言だけ言って、布団の中から手が出てきた。  その手は男の腕をがっしり掴んで、離さない。  掛け布団が捲れて、中から手の主が現れた。  栗色の長い髪、整ったメイク、下着だけの姿の男が布団の中から現れた。 「ミサっ、ちがっ、ぎぃやぁぁぁぁ」 「私は園田美咲よ。貴方に愛される為に生まれてきたの」  確かに彼、否、彼女は園田美咲なのである。  この日の為に、改名までしたのだから。 「ねえ、愛し合いましょう。二人きりで」  自分よりいくばかりか背の高い美咲に、ベットに引きずり込まれて男は悲鳴をあげるが、その口は直ぐに彼女の唇で塞がれた。 「んんんんんん!」  声にならない声を張り上げて、男は必死にベットから抜け出す。 「やめ、ちが、人違い」 「ダメよ、誓ったじゃない。私の事、愛してくれるって」  玄関に向かって一目散に逃げる男を、逞しい胸板を揺らした美咲が追う。 「うふふ、追いかけっこ?私、負けないんだから」  美咲は艶っぽい声で言ってウィンクした。  男がエレベーターのボタンを連打する。  エレベーターが上がってくる前に、隆々とした美咲の腕に抱擁されるのが分かって、男は慌てて非常階段に走った。 「やめて!ごめんなさい!来ないで!あ」  そこに足場があると思った。  男は階段を踏み外して、体が傾ぐのを感じた。  ここで終わるのか。  彼がそう思った瞬間だった。  逞しい美咲の腕が彼の手を掴み、ぐいと引き上げたのだ。  美咲は泣き出しそうな顔をしながら言う。 「やっぱり、愛してくれないのね。でも、死なないで。私をこんなに愛してくれた貴方だから」  美咲の腕の中で抱き締められて、男は暫く放心しながら、走馬灯のように美咲を求めていた時間を思い返す。  でも、きっと貴方は私の事を全て知っていないと思います。知ったら嫌いになりますよ?  あの返信が、ふと脳裏によぎった。 「僕は」  男が、そっと美咲の背に手を回す。 「僕は、優しいミサが大好きだよ。例え男だったとしても」
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