山の麓の変な家

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山の麓の変な家

 アビタシオン・エトワールと洒落た文体で書かれた建物の二百三号室の戸を、洋子が五回ノックした。  竜二は駐車場の車の中で、その様子を眺めている。  白のポロシャツにツーブロックに切り揃えられた髪。一月ほど前は無精髭を生やして河川敷に寝泊まりしていた男とは思えぬ見栄えだ。  彼はハンドルにもたれかかりながら、出てきた男と話しながら部屋の中に入っていく洋子を目で見送りながら尋ねる。 「なあ、狸」 「煩いねえ、子猿。何か用かい」  後部座席で子犬用の骨を齧りながら、勝山は珍しく竜二とまともに口をきいてやった。 「あいつはさ、お前みたいなバケモンすら従えちまうような奴なんだろ?なんで、人間のすったもんだなんかに肩を貸してやろうとするんだ?」 「あの子は何も人間だけを助けてやってる訳じゃないよ、はんっ、一月も伏見邸にいて何も分かりゃしないんだね」  噛みかけの骨をシートに置いて、勝山はちょこんと座ると、竜二の背中を見ながら続ける。 「あたしだってそうさ。質屋をやっていても、おっとぉとおっかぁの形見を見つけられなくて、このままじゃ人間共を皆殺しにしても腹の虫が治らないから、あの子に依頼したのさ」  勝山が鼻を鳴らして、苦々しく鼻筋に皺を寄せる。 「あたしの依頼に対してあの子が求めた報酬は、今後、あの子の仕事の手伝いをすることさね。それが、こんな小猿と二人きりにさせられちまうとは、嗚呼いやだいやだ」 「そうか」  最早、勝山の嫌味は慣れっこになってしまっていて、空返事をしながら竜二は運転席のシートを倒して寝転んだ。 「俺はさ、気になるんだよ、あいつのことが」 「あんたなんか洋子ちゃんからしたら箸にも棒にもかからない男だから諦めな」 「いや、そういうことじゃなくて」  竜二は洋子を異性として意識している訳ではないのだ。  ただ、窺い知れぬ謎があるとその正体を暴きたくなってしまう性というだけで。  この一ヶ月間、野鼠を探す梟のような目をして洋子を観察してきたが、彼女の思惑は未だに分からないままである。  何故、自分を買ったのか。  それを聞いても、洋子は決まって、仕事ですから、と何時ものしれっとした顔で答えるだけだった。  少しふくよかになってきた頬に手を当て、そのまま顎へと滑らせて、うーん、と考え込む。  納期を気にしていた割には、直ぐに竜二をどうこうしない点も不審であった。  美咲の時のような使い方をするのであれば、自分はまた別の誰かに条件付きか、高値で転売されるのか。あるいは、ホームレスになりたい金持ちでもいたのか。  考えれば考える程に謎は深まるばかりだ。  勝山がぽん、と肉球で竜二の額を叩く。 「馬鹿のくせに難しい顔してるんじゃないよ。ほら、来るよ」  体を起こしてみれば、洋子が件の部屋の玄関から出てくる所だった。  彼女は携帯電話で誰かと話しながら、此方に歩いてくる。助手席のドアを開ける頃には、電話の相手と通話を終えていた。 「お待たせしました。ナビは設定致します。其方に向かってください」  髪を耳にかけて、カーナビゲーションを操作する。  異性として意識していないとはいえ、堀が深く鼻筋の通った横顔は確かに文句のつけようのない美術品のそれであった。  竜二は洋子から目を逸らして、ギヤを入れる。  車を走らせていくと、青々とした山が一望できる農地のど真ん中に、一軒の不動産屋が見えた。  その建物は、畑の中にあるのが異様に映るくらいド派手なオレンジ色の塗装で、達筆な文字で大きく、烏丸不動産と書いた看板を掲げていた。 「センスを疑うな」  ぼそっと、隆二が呟く。 「これからお会いする方の前では、それ、言わないで下さいね」  洋子が軽く釘を刺してから、後部座席の勝山を抱えて車を降りる。  竜二はエンジンを切って車から降りる前に。 「いや、無いものは無い」  とだけ呟いた。  不動産屋と言うより、カフェのような洒落た扉を開けば、顎髭をたくわえた二メートルはあろうかという大男が、二人と一匹を出迎えた。 「久しいな、洋子!勝山も一緒か!後ろの猿とは仲良くやってるのか!ははは!」  腹の底から響くような声で男は豪快に笑う。 「誰が仲良くなんか」 「んむ、喧嘩する程仲がいい、つまり仲良き事は美しき事かな」  勝山の嫌味も、彼の前では形なしという訳だ。 「時に、飲み物はコーラとサイダーとビール、どれにする?生憎、それしかない!」  応接室に洋子を案内しながら烏丸はそう尋ね、しれっとした顔で、皆サイダーで、と答える洋子に対して、ツッコミを入れたいのを竜二はなんとか堪えた。  烏丸は三人分のサイダーと一冊のファイルを持って応接室のカウチに座る。  サイダーは瓶だった。  洋子は、頂きます、と言ってから、サイダーを一口、ラッパ飲みする。 「いいですね、たまにはこういうのも風情があって」 「そうか!あまり褒められると鼻が伸びてしまうな!ははは!」  そこは嘘をつくと伸びるんじゃないの?と言おうとして、竜二は口を噤んだ。 「さて、では仕事の話を始めようか」  ひとしきり笑うと、烏丸はそう言って真面目な顔でファイルのページを捲っていく。  洋子は、先程話した依頼者との商談の資料を広げながら言った。 「精神的、肉体的、生命的な危機がある物件が望ましいです」 「望ましいの?!え、事故物件じゃんかそれ」 「嗚呼、そう言えば、まだ言っていませんでしたね。此方は烏丸武仁さん、主に事故物件の除霊と販売をなさっている、由緒正しき天狗の末裔です」  もう、竜二は驚かなかった。  すっかり諦めた顔をした竜二を尻目に、烏丸は厳しい顔つきで一つのページを眺めながら言う。 「俺の祖先は山伏であった。山伏とは本来、山岳信仰となる山岳を巡って霊力を引き上げ己を高めて、現界と異界を繋ぐ橋渡しをする。普段はもっぱら、地縛霊になった哀れな霊と数週間一緒に暮らし、晴れて仏となってから、悪い因縁の無くなった物件を格安で売りに出しているんだがな、今回は普段とは違った会話をしなければならんようだ」  さっきまでの豪傑さは何処へやら、仕事の話になれば、烏丸はただでさえ厳つい顔をさらに険しくするのだ。 「これが洋子でなければ断っていたかも知れんな。俺は未練を残した霊を力ずくで捩じ伏せるような真似はしないんだ。奴等も思う事があるのだろう、だから、霊にとっても納得のいく形しか取らん。だが、あの霊もこの方法でなら仏になれるやもしれん」  そう言うと、一枚の資料を洋子に手渡した。  彼女は唇をなぞりながらそれを読んで、烏丸に資料を返す。 「流石ですね」 「うむ、俺も何度か説得を試みたんだが、頑として動かない霊だ、これで成仏してくれるなら、俺も助かるよ」 「では、その方向で。此方の資料は置いていきます。またのご連絡をお待ちしていますね」 「嗚呼、相変わらず面白いビジネスパートナーだな」  二人が固く握手を交わす。  竜二は、何となく先が読めて、にんまりと笑っていた。
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