44:祓いの舞(とデリケート問題)

1/1
557人が本棚に入れています
本棚に追加
/48ページ

44:祓いの舞(とデリケート問題)

 ディングレイがケーリィンとロールドを、そしてリズーリがレーニオとフォーパーを抱え、神殿の外へと退避する。  彼らを追うように、ヴァイノラから湧き出た黒い霧も、神殿の外へと広がり始める。  地面を覆うように流れ続ける霧の水面が、かすかに盛り上がる。  ──と思った瞬間、土気色の人らしきものが一体、また一体と霧をくぐって現世へ呼び出される。 「うわぁ、おばけだ!」  通りがかった、通学途中の子どもたちよりも早く、レーニオが悲鳴を上げる。  しかし「おばけ」と呼ぶには、いささか怖すぎる面相ばかりである。  怨嗟の形相の死霊によって、震えの止まらぬ体を叱咤し、ケーリィンは子どもたちを避難させる。 「こっちに来ちゃ駄目です!」 「お、お姉ちゃん……あれ、ユーレイなの?」 「わたしにもよく分からないです! でも、きっと危ないから、早く逃げて!」  幽霊よりも、いつになく必死な舞姫の気迫に圧されつつ、彼らは素直にコクコク頷く。  そのまま回れ右をして、全力疾走で来た道を戻った。 「昨日のマルコキアスも、この臭いにつられてやって来たクチか──おいオッサン! 野次馬してんじゃねぇ、家に引っ込んでろ!」  舌打ち交じりにぼやいたディングレイが、ごみ捨てにかこつけて顔を覗かせたご近所さんも追い払う。 「平和ボケにも程があるだろ、こいつら」  嘆息を吐いた彼は、軍服のポケットから術札を取り出した。  そして、背に庇うケーリィンを見る。 「リィン、祓いの舞は踊れるか?」 「や、やってみます!」  祓いの舞は治癒の舞よりも、ずっと高度な代物だ。いや、最も難解な舞かもしれない。  もちろん踊りに要する時間も、群を抜いている。  だがケーリィンは、無理だと尻込みする弱気をねじ伏せた。  ディングレイが頼ってくれているのだ。それは彼女にとって、どんな励ましよりも勇気をくれる。  言葉だけでなく、出来るだけ凛々しい顔を作り、こくりと彼へ頷き返した。  ディングレイは不敵に笑い返すと、術札でケーリィンとロールドの周辺に、死霊除けの結界を張る。 「舞い終わるまでの時間は稼ぐ。頼んだぜ」 「はい!」  彼女の応答を背に聞き、ディングレイは霧の生み出す異形と向き直る。  ボロ雑巾じみた見た目に反して、死人の動作は俊敏だ。ディングレイ目がけ、素早く走り寄る。  ディングレイは慌てる様子もなく、ふてぶてしい笑みのまま、片手を地面へ重ねた。  その刹那、死霊たちの足元へ氷の杭が次々と出現する。    瞬く間に串刺しとなった悪霊は無言のまま、杭から逃れようと蠢いていたが、やがて全身を氷に覆われ、動きを止めた。  容赦のない的確過ぎる攻撃から、ディングレイの本気と怒気が垣間見える。  ケーリィンはロールドとぶつからないよう距離を取り、軽く腰を落とす。  次いで膝のばねを使って伸び上がりつつ、その場でくるりと円を描き、祓いの舞を始めた。  その間もリズーリが水で大蛇を作り上げ、霧もろとも死霊たちを飲み込む。 「邪神側に身を堕とすなんて、前代未聞の舞姫ちゃんだよねぇ。こりゃ先代ちゃんも敵わないな、うん」  呑気な笑顔を取り戻した彼の腕の動きに合わせ、大蛇が縦横無尽に暴れまわる。  彼と、そしてディングレイの魔術から逃げおおせた死霊たちも、わずかにいた。  彼らは何故か一糸乱れぬ動きで、レーニオ目掛けて殺到する。 「なんでなんですか! 僕ぁ、人畜無害じゃないですかぁぁぁー!」  昨日の今日のこの災難に、レーニオは本気で泣いていた。しかし幸い、今日は援軍がいた。  レーニオに肉薄する死霊たちを、ドレス入りの箱を脇に抱えたフォーパーが、一撃粉砕する。 「キエェェェーイ! このドレスには、指一本触れさせぬぞ!」  竜神様のウロコをも砕いた拳は、霊たちにも重すぎたらしい。  だが、守っているものはあくまで己の作品で、レーニオの護衛はおまけのようだ。 「……意外性の塊みてぇなオッサンだよな」 「漂うダメ人間オーラで化物を惹き付けるレーニオ君と、良いコンビだよねぇ」  呆れ顔のディングレイと、陽気に笑うリズーリはそれでも、囮役と迎撃役のおかげで昨夜よりも軽快に動けた。  だが悪霊と、それを召喚する黒い霧は途切れない。  おまけに霧の震源地であるヴァイノラまで、神殿の外へと出て来た。爛々と赤く光る目を見開いて彼女が哄笑すると、途端に霧の濃度が上がり、亡者たちの数が倍増する。  ちっ、とディングレイが舌打ちを零した。  悪臭と黒に浸食された地面が、その時薄く光り始める。  真っ白な光を灯した大地から、色とりどりの花々が芽を出し、すぐさま開花する。  祓いの舞によって生み出された、奇跡の結晶だ。  花に触れた霧は消え失せ、死人たちも声なき叫びを上げ、一体残らず浄化される。  自身も光り輝くケーリィンは、一心不乱に舞を続ける。  彼女へ視線を寄越した男たちは、彼女の動きに合わせて涼やかな音が鳴り響き、同時に花が咲き乱れる様に見入った。 「先々代ちゃんの、アーティオちゃんの生き写しみたいだね」  ぽつり、と懐かし気にレーニオが呟く。  ケーリィンの近くに控えるロールドも、周囲の惨状をしばし忘れて、彼女を見つめた。 「この子が来てくれて……ワシらは、果報者じゃ」  ただただ無心に舞うケーリィンへ、黒い霧を纏ったヴァイノラだけが悪意をぶつける。 「邪魔するなぁぁぁぁ!」  魔獣の如き咆哮が、空気と地面を震わせた。  それは複雑なステップを編んでいた、ケーリィンの足元もすくう。 「あっ」 「リィン!」  バランスを崩した彼女が小さく声を上げるのと、結界に滑り込んだディングレイがケーリィンを受け止めるのと、そして光る花が消え失せるのは、ほぼ同時だった。  可憐な花々は消えるも、それで終わるほど、ケーリィンの失敗は微笑ましくない。  消えた花の代わりに、ヴァイノラのすぐ近くの地面がボコボコと、不気味極まりない音を立てる。  煮詰まったスープを彷彿とさせる、不可解な動きを見せた地面から噴出したのは、毒々しい赤地に黄色い斑点柄の花弁を持った、巨大な謎花だった。 「ひっ……」  黒い霧の塊になり、ついでに目も赤々と変色しているヴァイノラだったが。  謎花の不気味さには、乙女心を取り戻して後ずさる。  しかし謎花は、それを許さなかった。奇怪な外観であるが、祓いの舞の残滓で間違いないらしい。  ぶるり、と肉厚の花弁を揺らした謎花の中心から、粘液にまみれた謎蔓が何本も湧き出る。  謎蔓たちは空を切る音と共に、一糸乱れぬ動きでヴァイノラへ突撃した。 「いやああああ!」  蔓に拘束されたヴァイノラが、邪神の子らしい野太い悲鳴を上げる。 「うおぉー! これ、エッチな漫画で見たシーンだ!」  真っ先にレーニオが鼻の穴を膨らませ、興奮した。  しかし生産者がケーリィンであるためか、謎花はヴァイノラの服をひん剥いたりはしなかった。  緩すぎず、締め付けすぎずの力加減で、簀巻きにしていた。  外見と違い、お行儀は良いようだ。 「相変わらずリィンの失敗は、えげつねぇな」  ケーリィンを膝に抱えたままのディングレイが、どこか遠い目でヴァイノラを眺めている。  その言葉にリズーリも、うんうんと頷いた。 「でも絞め殺さない匙加減に、ケーリィンちゃんの優しさを感じるねぇ」  ケーリィンの側にしゃがみこむロールドは、蔦から滴る粘液に眉を寄せる。 「触ったらかぶれそうじゃのう……ワシ、お肌が弱いんじゃよ……」  ドレス箱を抱えなおしたフォーパーは、謎花を睨んで地団駄している。 「ああ! 素晴らしい巨大花なのに! 何故、何故スケッチブックを持参しなかったのだ、私! 仕立て屋フォーパー、一生の不覚!」  全体的に呑気である。ヴァイノラを拘束した途端、亡者の無限増殖も止んだためか。  しかし当のヴァイノラはまだ黒い霧を放つままなので、ディングレイの膝から降りたケーリィンが、彼女へ呼びかける。 「あの、ヴァイノラさん!」  なんだコラ、と威嚇十分の眼差しがケーリィンに注がれる。しかし簀巻き状態なので、威圧感は無に等しい。  ケーリィンも彼女の真っ赤な眼光を受け流し、言葉を続けた。 「舞で奇跡が起こせるから、大事にする……それじゃあわたしたちは、金の卵を産むガチョウと同じ存在だって、言われているようなものだと思いませんか?」 「……何が言いたいのよ」  くぐもった唸り声で、ヴァイノラが応じた。  彼女が聞く耳を持ってくれたことに、ケーリィンは微かに安堵する。 「ノワービス市の暮らしは窮屈かもしれないけど、そこにはきっと、ヴァイノラさんを思っての窮屈さもあると思うんです。だってヴァイノラさんは、ガチョウじゃなくて人だから」 「……だから?」 「はい。だから、絶対に絶対、お互いに絆や情が生まれると思うんです。わたしたちの本当の仕事は、そんな街の人たちとの絆を大事する。それだけなんだと思うんです」  街の人とのつながりを大切にすれば、自ずと街への愛も生まれるはずだ。  ヴァイノラへ、舞姫の本当の役割を告げた人も、それを願って苦渋の決断をしたはずだ。  ヴァイノラの赤い目が、不機嫌そうに細められた。 「そんなもの大事にするぐらいなら、ガチョウで良いわよ」 「本当ですか? いつ殺されても文句言えませんよ、だって家畜ですよ」 「……」 「それに……自分のために魔力を使うヴァイノラさんは、ちょっと変な臭いがします」  言うべきか迷いつつ、ケーリィンはやんわりと異臭の事実を告げた。  それなのに。 「だな。腐った牛肉みてぇな匂いがしやがる」 「僕は飲んだくれの叔父上が住んでいる、ドブ川に似ている気もするなぁ」 「ドブ川ってか、苔だらけの水槽の水っぽくないですか? 昔飼ってたザリガニの水槽が、似たような臭さでしたよ」 「いやいや、これは生乾きの靴下の匂いに、違いないぞ。証拠は私の、両の足だ」 「うーん……ワシは、痛んだ玉ねぎのような気が」  ケーリィンのオブラートは、全力で破られた。  仕方がない。これだけ色々荒らされたのだ。彼らも怒って当然である。  だからケーリィンも、年頃のヴァイノラが異臭のたとえにどんどん戦意を失い、ついには黒い霧も失って、さめざめ泣く様を静観していた。  彼女も実のところ憤慨中だったので、そこまでフォローする義理も感じなかったのだ。  それに、とにかく臭いのは純然たる事実だ。
/48ページ

最初のコメントを投稿しよう!