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Episode 30
「ナルは?」
黒塗り国産高級車の運転席に座る梶井が、助手席に座る近澤に英語で聞いた。
二人が乗る車はとある埠頭に止まっていた。両側をコンテナに囲まれた場所で、取引相手が現れるのを待っていた。
今夜の仕事は彼らの本業。香港を拠点とする大規模マフィアから盗まれた、麻薬取引に関するデータを奪い返すことだ。その組織を束ねるのは梶井の三人の異母兄たちだ。仲介人を通さず直々に依頼してきたのは、唯一梶井の顔を知る組織の首領である長男。そしてデータを盗んだのは三男だった。
今回の件を梶井が最初に聞いたのは、我妻の一件に途中参加したマリノアからだった。組織に専属で雇われていた頃からゴタゴタはあった。そして噂も絶えず耳にしていた。けれど、今回は嫌な予感を感じマリノアに探るように頼んだ。
そして予感が当たり小さな小競り合いが内部抗争になり、組織が分裂する事態までに発展したのだ。データを持ち出したのは、予てより実権を奪おうとしている三男の一派だ。
「ホテルに置いてきた」
今回の依頼の一部を南斗に任せようとしている近澤は、そのときまで待機させるホテルに連れて行くために南斗を定時制高校に迎えに行ったのだ。
「え、あのナルを…?」
「クスリで眠らせてある」
「大人しく留守番なんて無理だもんな。ナルにも悪いことしちまったな」
「悪いと思うなら、水餃子のレシピを教えてやってくれ」
近澤は助手席の前にあるグローブボックスから、カスタマイズされているH&Kの銃を手に取る。グリップ底部からマガジンを抜き取って弾数を確認する。弾丸は45ACP弾。素早く確認してマガジンをグリップ底部に押し込んで戻し、スーツのジャケット下に装着しているホルスターに差し入れる。
『入口通過。別の入口から偵察者ゾロゾロ』
近澤と梶井それぞれが耳に入れいるインカムから、取引場所が見渡せる場所に待機しているマリノアから報告が入る。彼は梶井と一緒に香港から日本に来ていた。
「出せ」
そう近澤は左目に眼帯をしていない梶井に命じると、助手席の窓に視線を遣った。
コンテナの陰に隠れるように駐車していた車が走り出す。
「どこの奴らかわかるか?クマちゃん」
梶井がハンドルを捌きながらマリノアに言う。
『傘下の組の奴らだァクマ』
「チッ。あんまりこっちで殺りたくねぇのに」
車は両側をコンテナに囲まれた通路から、岸壁手前の開けた場所に出る。反対側から黒塗りの高級外車が一台向かってくるのが見えた。ライトを点けたまま梶井が車を止める。先に近澤が下りる。続けて運転席から梶井が下りる。その両手には、データと引き換えのドル紙幣が入った分厚いアタッシュケースが握られている。
二人は並んで少し距離がある場所に、車を止めた相手の元へと向かう。
歩を進めながら神経を研ぎ澄ませ、積み上げられているコンテナ周囲に潜んでいる別組織の人数を数える。気配を殺そうともしていないことから素人だとわかった。彼らに周囲を囲まれていることに気づいていないらしい相手の高級外車が止まる。スーツを着た組織の幹部である三男、その部下が周囲を警戒することもなく、こちら側に向かってくる。
そして互いに絶妙な距離感で立ち止まる。先に相手に英語で名を問われ、二人はエスを介して琥流会が連絡してきた幹部の名を騙る。彼らも相手の素性を確認すると、取引の話に移った。
三男の部下の男からデータが記録されたUSBメモリを差し込んだタブレットを見せられる。差し向けられた画面を二人で確認すると、男は素早くタブレットを引っ込めて言った。
「金は?」
「確認してくれ」と近澤は視線で梶井を促す。
梶井は両手にそれぞれ持っている分厚いアタッシュケースを地面に置いた。そしてそのひとつを片手で持ち上げると、相手の目の前で開いてみせた。
ホンモノか見極めるために、男がアタッシュケースのドル紙幣に触れようとした瞬間、梶井が勢いよくアタッシュケースの蓋を閉じる。次の瞬間男が鋭い広東語を口走ると同時に、スーツのジャケットに手を差し込む。
銃を向ける隙も与えず近澤は強烈な打撃を肋骨に打ち込み、素早く肝臓を突く。すかさず男の肋骨を右肘で突き、肩にある腕の神経の集まり腕神経叢を打つ。そして素早く背後に回り込んで男の腕を背中に捩じ上げ、ジャケット下に含ませている銃を奪う。
同じタイミングで動いた梶井の方に視線を向ければ、地面に仰向けで倒れている三男の身体を足で押さえ、携帯電話で撮影していた。近澤は瞬時に意図を理解すると、男の腕を捩じ上げていた手を離したのも束の間。走り出した男の後頭部を奪った銃で撃つ。続けて二発の銃声が鳴る。梶井も三男を撃ったのだ。
「15分だ」
お前はテツを援護してやれ、と近澤はインカムでマリノアに命じる。そして尽かさず銃を握ったままの梶井に目配せするや否や、左右二手に別れてコンテナ群に向かって走る。
彼らはコンテナの間の通路を縫うように走り、潜んでいた男たちを次々と撃ち殺していく。あっという間に銃声は止み、辺りに静寂が戻る。
近澤の正確な射撃で額の真ん中を撃ち抜かれ、死んだ男たちの死体がコンテナの隙間や通路に転々と転がっていた。把握していた人数の半分を殺し、近澤は自分の銃をホルスターに差し入れる。マリノアの援護射撃もあり、予定通り十五分で終わった。
「バイクを回してくれ」
そうマリノアに指示して近澤は頬に飛沫した敵の血痕を手の甲で拭うと、足元に転がる死体に視線を落とした。男の手首に彫られた忠誠の証である刺青で、梶井の異母兄である長男が統べる組織が傘下に置いている組織だとわかった。
「読みどおりだな」
「やっぱ帰らねぇとダメか…」
「この際戻ったらどうだ?」
「戻る気はねぇよ、ボス」
梶井とインカムで話しながら、先程の場所に戻る。
積んだアタッシュケースに座る梶井が、「お疲れ」というかのように近澤に片手を上げる。そこにマリノアが乗った大型バイクが滑り込む。この埠頭に彼が乗って来たバイクだ。エンジンが掛かったままのそれに近澤はマリノアと交代で乗り込む。
素早くスーツのジャケットを脱いで、銃を射したままのホルスターを外してマリノアに投げ渡す。ジャケットを着直せば、梶井がアタッシュケースの上から立ち上がりタブレットとUSBメモリを差し出してきた。
「ボス、これ。ナルに稼がせてやってくれ」
何も言わず受け取ろうとすれば、マリノアに引っ手繰るようにして奪われる。
「おいっ」と梶井がマリノアの方に振り返る。
マリノアは自分のボディバッグに突っ込んで、近澤に差し出す。
バイクに跨ったままの近澤は無言で受け取り、ボディバッグを背中に背負う。フルフェイスのヘルメットを被り、梶井の方に振り返って言う。
「祝你一路順風(よい旅を)」
口端を引き上げて笑うと、グローブを装着している手でヘルメットのシールドを閉めた。
赤いテールランプの光の尾を引きながら走り去るバイクを見送らず、梶井はマリノアと共に乗って来た黒塗りの国産高級車に乗り込む。
「ミナト、起きろ」
ベッドで眠る南斗の身体を揺すりながら声を掛ける。
オフィスや商業施設、ホテルなどの多様な高層ビルが立ち並ぶ街の中心に戻ってきた近澤は、南斗を残してきたビジネスホテルにいた。このホテルに定時制高校から連れてきてすぐに風呂に入るように促し、汗を流した南斗の唇を塞いで直接クスリを飲ませたのだ。
「……チカ…?」
即効性があるものの比較的軽いクスリを飲ませたこともあり、三度目の呼びかけで南斗は目を覚ました。
「仕事だ」
そう言って近澤は腰掛けていたベッドから立ち上がり、クローゼットの方へと向かう。
この部屋に南斗を連れてくる前から用意してあったスーツと靴を取り出す。それを手に踵を返し、ベッドで上体を起している南斗の足元にスーツを投げる。続けてベッドサイドに靴を置いて、完全に覚醒仕切ってない南斗を促す。
「これに着替えてくれ」
「あれ?いつのまに寝て……」
ボクサーパンツ一枚で眠っていた南斗は、寝起きの声でボヤキながらベッドから降りる。
近澤は、何の疑問も持たずに衣服を身に付けていく南斗に安堵して、カーテンが引かれた天井まである窓へと向かう。
カーテンの隙間からビル群の中にある超高層ホテルに視線をやる。その外資系高級ホテルの一室で、三男から回収した品物と今回の報酬の一部を引き換えることになっている。遠くに見えるホテルから死角になるこのホテルに近澤は南斗といた。
「ミナト」
身支度を整えた南斗を窓辺に来るように、手の振りで呼び寄せる。ネクタイを締めながら傍に歩み寄ってきた南斗に超高層ホテルを指差し言う。
「いまからあのホテルにいる男に…」
傍のテーブルから品物が入ったボディバックを取り、南斗に渡して続ける。
「これとアタッシュケースを交換してくるのが、今夜のミナトの仕事だ」
近澤はカーテンを閉めてから、南斗に相手がいる部屋のナンバーを教えて更に続ける。
「相手の男と話さずケースを受け取ったらすぐに部屋を出ろ」
「中身は確認しなくていいのか?」
頭が回り始めたらしい南斗が、クスリで眠らせたことを思い出さぬよう願いながら言う。
「向こうが確認するように言ってきたら、金には触れずに目視で確かめろ」
「わかった」
「部屋を出たら何が起こっても戻らず、地下まで降りろ」
俺はそこで待ってる、と近澤は南斗のネクタイを結び直してやる。
「チカは行かねぇの?」
「俺はやることがある」
そう言いながら部屋の入口ドアの方へと足を進める。
「さぁ、行け」と近澤はドアを開けて南斗を促した。
近澤は頷いてから部屋を出て行った南斗を見送らずにドアを閉めて施錠すると、窓の方へと向かった。先程と同じようにカーテンの隙間からビル群を見る。取引相手がいるホテルではなく、別のビルに視線を向ける。
「部屋にいる人数は?」
近澤は耳に入れている切っていたインカムのスイッチを入れて、マリノアに語りかける。一瞬のノイズ音のあとに、「長男直属の部下と次男のふたり」と返ってきた。
「他の部屋は」
「控えの部屋に長男が信頼してる幹部がひとり」
「油断せず周囲にも注意を払え」
「了解。テツは迎えが来たから行ったよ」
「この仕事が終わったらフォローに回ってやれ」
実は、まだ今夜の仕事は終わっていなかった。野心家の三男を裏で操っている本当の黒幕である次男の殺害を持って今回の依頼は終了する。
「ボスはいつまでいるの?」
「もうすぐ引き上げるつもりだ」
「日本人の男が部屋に到着」
「その男が部屋を出たら殺れ。必ず一撃で仕留めろ」
「了解」
近澤は耳から引き抜いたインカムのコードを丸めて、スーツのポケットに突っ込む。そして二人がいた痕跡を消して部屋を出た。
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