Episode 33

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Episode 33

「星の家?」 「親父が俺に星を見せる為に買った家だから星の家」 「ロマンティストだな」 「今となっちゃ、本当はお袋のために買っただろうって思うけどな」 「初枝さんたちも一緒に行ってたのか?」 「いや、俺は誘いたかったけど、親父に口止めされてからな」 翌日、昨日までの天気が嘘のように晴れ渡った空の下。南斗は、近澤が運転する左ハンドルのアメリカンSUV車で、先日龍丸寺で鬼崎から鍵を渡された星の家に向かっていた。 カーナビの無機質な女の声に従い、車は三時間ほど高速道路を走り一般道路に降りる。両サイドに長閑な田園地帯が広がる道を通り抜けて、延々と細い急カーブの道を登る。ナビが終了を告げた場所は、紅葉で色づいた山間の小さな町だった。 疎らに点在している田舎特有の広い土地に建てられた周囲の家から離れた場所に、星の家はあった。高い木々に囲まれた家は道路側から外壁が見えず、鉄格子の門柱に「松下」という父方の苗字の表札が掛けられていなければ、住宅だとわからないほどだ。ナビのおかけで通り過ぎることもなく着いた。草の香りや土の匂いがする細い道路に車を止めて降りる。 「星というよりも森だな」 運転席のドア前に立っている近澤はサングラスを外して、木々を見上げながら言った。 「見た目はな。でも夜になると星がすげぇから楽しみにしてな」 一升瓶を抱えている南斗は、助手席側から近澤の元へと回る。「門、開けるわ」と南斗は鉄格子の門に鎖で繋がれている南京錠の鍵を開錠して、家屋側に向かって開く両開き門を開けた。先に家の敷地内に入り、車に乗った近澤を誘導する。 しばらく綺麗に草が刈られた道を歩くと視界が開け、昭和の雰囲気漂う木造二階建ての家が見えた。昔と変わらない佇まいに、両親と訪れたときのことを思い出す。 しばし呆然とその場に突っ立ていた南斗は、はっと我に返って後ろに振り返る。 少し距離を置いて車に乗ったまま車を止めて待っていた近澤に、「悪い」というかのように南斗は顔の前で片手を上げると、玄関横の駐車場に止めるように手の振りで誘導した。 「先にオッチャンのウチに行かねぇ?」 一升瓶を抱えたままの南斗は、車を止めて運転席から降りてきた近澤に言った。 実は、南斗は朝ペントハウスを出る前に、鍵と一緒に同封されていたこの家の管理人の連絡先に電話を掛けていた。相手の声と言葉遣いで、すぐに顔なじみの老夫婦だと気付いた。向こうも南斗のことを覚えており懐かしさから話が弾み、今夜この家に泊まる事になったのだ。夕食に誘われたが、一緒に行く外国人の友人に自分の料理を振舞うとやんわりと断れば、こちらで食材と酒は用意すると言われて厚意を受ける事にした。その礼として入手困難な幻の芋焼酎を持参したのだ。 「チカ」 南斗は怪訝そうに眉根を寄せて、木々の隙間から外を見ている近澤に声を掛けた。すると、振り返った近澤に、「管理人の車は軽トラックか?」と聞かれて言う。 「今も乗ってたらな。つか、何で?」 「管理人までかは分からないが、いま門を入ってきたぞ」 「へ?」と南斗はさっき来た道の方へと振り返る。 耳を澄まさずとも、こちらに向かってくる軽トラックの甲高いエンジン音が聞こえた。 「なんかチカってすげぇな」 「人殺しの習性だ…嫌ってほどのな」 「今日はカタギも人殺しも休息な」 そう言って笑窪を凹ませて笑えば、「そうだな」と近澤も笑い返してきた。 近澤が玄関横の駐車場に止めたSUV車の後ろにつける様に、管理人の軽トラックが止まる。運転席のドアを開けて降りてきたのは、青いキャップを被り作業服に長靴といった出で立ちの初老の男だった。農作業で日焼けした顔には左頬を斜めに横切る刃物傷がある、見るからに若い頃はやんちゃだっただろう風貌の男に笑いかける。 「オッチャン、久しぶり!」 「立派になったな。親父さんに似て男前や!」 「相変わらず関西弁なんだな」 「せや、嫁はんも同郷やから死ぬまで変わらへんやろな」 ガハハハ、と男は口を大きく開けて豪快に笑った。 釣られて南斗も笑うと、「あ、そうだ。これ」と思い出したかのように、胸の前で抱えたままだった一升瓶を男に差し出す。幻の芋焼酎に驚いている男に感謝の気持ちを込めて言う。 「長い間…この家の世話してくれてありがとな」 「ええんか?こんなええ酒貰ろても…」 「そない遠慮するなら持って帰るでぇ」 関西弁で軽い口調で言えば、「あかん」と男は一升瓶を抱きかかえた。次の瞬間、また互いに笑い合う。そして南斗は隣に立っている近澤を、家にホームスティしている留学生のジョンと偽り男に紹介した。 「向こうの映画俳優みたいやな」 近澤の容姿を褒める男に南斗は思わず、「だろ?」と言いそうになり視線を逸らして、軽トラックの荷台へと向ける。その視線に気付いたらしい男が言う。 「そや、食材と酒持ってきたで」 軽トラックの荷台の方へと歩いていく男の後ろに、南斗は近澤と並んで付いていく。 「ウチと畑と山で収穫したもんですまんけど、鮮度と味はええでうまく料理したってくれ」 荷台に乗る二つのダンボールには、さまざまな種類の秋が旬の野菜が詰められていた。そして、その横には10kgの米袋と四角い発泡スチロール箱が積まれていた。 「こんないっぱいありがとな。オッチャン」 南斗は野菜が入ったダンボール箱を持ち上げる。それを足元に下ろせば、もうひとつを近澤が荷台から降ろそうとしていた。それを横目に米袋を軽々しく持ち上げて降ろせば、「さすが若いな」と男に感心された。 「毎日現場で重いもん持ってるからな。あ、俺…建築現場で鳶やってっから」 「カタギなんやな。亡くなったご両親さんも喜こんどると思うで」 そう言いながら男は、荷台から四角い発泡スチロール箱を持ち上げて振り返った。 「これ、朝絞めたウチのニワトリや。やっぱ男は肉を食わんとな」 「サンキュ。うまく料理してやるよ」 南斗は笑窪を凹ませて笑うと、男から四角い発泡スチロール箱を受け取った。 男は南斗と数十分談笑をしてから、軽トラックで帰っていった。 門まで男を見送りに行っていた南斗は急いで家に戻る。男と立ち話をしている間に彼からの貰い物やSUV車に積んできた荷物を、台所や部屋に運び入れてくれた近澤に礼を言う。 「チカ、わりぃ」 「いい家だな」 「だろ?」 得意げに笑った南斗は、広い板間の台所の真ん中にある四人掛けのダイニングテーブルに載る鞄を開けた。ペントハウスから持ってきた鞄から祖母から貰った割烹着を引っ張り出す。袖口がゴムになっている割烹着に袖を通していると、近澤が歩み寄ってきた。 「よく咄嗟にホームスティしている留学生なんて嘘が浮かんだな」 近澤は、割烹着の背中にある襟と腰の二箇所に付いている紐を結んでやりながら言った。 「常連客って言おうと思ったけど。オッチャンがどこまでウチのこと知ってんのか、わかんねぇから…留学生って言っちまった。ジョンは教科書に載ってた名前な」 南斗は話しながら割烹着の袖を肘まで押し上げて、シンクとコンロが一直線に並んでいる流し台で固形石鹸を使って手を洗う。滴を払って出しておいたタオルで手を拭いてから、ダイニングテーブルに載るペントハウスから持参した調理に必要な荷物を開ける。持ち歩けるアウトドア用のスパイスボックスやケースに入っている左利き用の包丁を取り出して、調理台に置いていく。 「もし突っ込まれていたら、どう答えるつもりだったんだ?」 「なんとでも超有名大学の生徒で、家は金持ちで…つか、いま何時?」 後先考えずに嘘を付いた南斗は段々設定を思いつかなくなり、話題を変えるように時間を聞いた。 腕時計を装着していない近澤は、ジーンズの尻ポケットから携帯電話を取り出して言う。 「17時だ」 「メシ作るから、チカは家の探索でもしてろよ」 「手伝わなくていいのか?」 「今日は俺が料理当番だからな」 「ミナト、ひとつ言ってもいいか?」 「なに」 「鍋料理だけはやめてくれ」 「わかってるよ。そんな拷問はしねぇって」 先日祖父母が営む食堂の手伝いからペントハウスに帰るのが遅くなり、冷蔵庫の残り野菜と豚肉で中華風鍋を作ったところ、猫舌の近澤はなかなか食べる事が出来たかったのである。そのときの近澤の様子を思い出して笑う。 一時間後台所と続いている一段高い茶の間の座卓には、朝絞めの鶏で作った唐揚げを主菜に、秋野菜を使った副菜や汁物が所狭しと並んでいた。 「来客用のメシ茶碗ねぇから…俺が使ってたのでわりぃけど」 割烹着を着たままの南斗は、土鍋で炊いた新米を山盛りによそって正面に座る近澤に渡す。 子供用ではなく大人用の茶碗に盛られたその量に、近澤は思わず苦笑いを零す。 「まるで昔話に出てくるご飯みたいだな」 「なにチカって日本の昔話知ってんの?」 南斗は、自分用に父親が使っていたご飯茶碗に山盛りによそいながら言った。 「前にテレビをザッピングしているときにアニメを見ただけで詳しくは知らない」 「俺はばあちゃんに毎晩本読んでもらったら結構知ってるぜ」 てか、食おうぜ、と南斗は胸の前で手を合わせる。 「そうだな」と近澤も手を合わせた。 「オッチャン、いただきますぅ~」 そう言って南斗は右手でご飯茶碗を取ると、左手で持っている箸を唐揚げの皿に伸ばした。唐揚げを一口齧れば、口腔にジュワッと肉汁が溢れ出し鶏肉の旨みが広がった。いままで食べてきた鶏肉とは違う食感に感動する。 「ちょ…やべぇなコレ!」 一口齧った唐揚げをご飯に載せてかっ込めば、生姜にんにく醤油の唐揚げの香ばしさと、噛むほどに甘い新米との絶妙のコンビネーションに箸が止まらなくなる。南斗は、あっという間に唐揚げをおかずに大盛りのご飯を食べきる。 豪快で美味しそうに食べる南斗を見ながら、唐揚げや他のおかずも食べていた近澤が笑みを含む。 「なに?」と南斗は二杯目のご飯をよそいながら言った。 「ミナトと食事をするとメシが美味くなるな」 「腕がいいからな。ちなみに唐揚げのレシピはばあちゃん直伝」 「ミナトが作る料理は、全部初枝さんから教わったレシピなのか?」 「大半はそうだけど…俺が考えたのもあるし人から聞いたのもあるぜ」 「料理人になろうと思わなかったのか?」 「ねぇとは正直言い切れねぇけど……」 そう言いながら南斗は、まだ食べていない大根サラダに箸を伸ばす。祖母のレシピにアレンジを加えたそれを小皿に入れながら続けて言う。 「毎日客からカネ貰えるほどの料理は作れねぇなと思ったからやめた」 「つか、チカは向こうでも料理してたのか?」 「気が向いたときにな」 「なぁ、あの親子丼…料理本か何か見て作ったのか?」 「いや、日本語を教わった奴から強引に教えられたんだ」 「へー、親日家の外国人?」 頭に浮かんだ想像上のスタイルのいい外国人の女に、勝手に嫉妬しながら言った。 「俺よりも身長あるガタイのいい男だ」 「な~んだ、女かと思ったら男かよ」と南斗は笑って、大根サラダを頬張る。 二人は他愛もない話をしながら二時間掛けてゆっくり食事をすると、後片付けを済ませてペントハウスから持ってきた酒とグラスを持って裏庭が見える部屋へと向かった。 何もない八畳の部屋を通って縁側廊下に出ると、大きなガラス戸を左右に開けた。吹き込んできた風に震えたのも束の間。すぐに南斗は部屋の方へと踵を返す。 押入れを開けて記憶を頼りにブランケットを探す。すぐに寝具と一緒に収納されているのを見つけると、引っ張り出す前に鼻先を近付けた。カビ臭いニオイがしないかブランケットを嗅げば、微かに柔軟剤の香りがした。ふと、この家の鍵を受け取った日のことを思い出す。「いつでも使っていただけるようになってます」と鬼崎が言ったとおり寝具も使えるように洗濯されていた。 南斗は押入れから二人分のブランケットと一緒に、下段の隅に収納されている小型のランタンも取り出す。部屋の電気を消してから二つを持って、近澤が腰掛けている廊下縁側へと向かう。 「チカ、これ」 南斗は近澤に星柄のブランケットを渡すと、同じ柄のそれを羽織って隣に腰掛けた。 裏庭を囲む木々は膝丈まで短く剪定されており、後ろに家が建っていないこともあり少し目線を上向けると夜空が一望できる。 「綺麗だな」 濃紺の空に広がる瞬く星を眺めながら言った近澤の横顔を一瞥して、ここに連れてきて良かったと笑みを含む。南斗は酒のボトルと二つのグラスが並ぶ二人の間に、明かりを灯した小型ランタンを置いてから言う。 「な、いいだろ」 「飲むか?」と近澤は酒のボトルを取りながら言った。 南斗は頷いてからロックグラスを手に取り、ボトルの封を切る近澤に差し出す。ウイスキーを注ぎいれるトクトクという音が耳に心地いい。近澤はシングル程の量を注いでから、もうひとつのグラスに同じ量を注ぎいれた。 「そんじゃ」と南斗はグラスを持って近澤に向ける。 「一気に煽るなよ」そう言って笑った近澤もグラスを持ち上げて向けた。 「わかってるよ」 軽くグラスを合わせて、それぞれグラスに口をつける。 ひとくち飲めば芳醇な香りとコクが口腔に広がった。南斗は度数の高い酒を飲み慣れていないこともあり、ペース配分を考えながら口にする。 「ミナト、 明日は何時頃ここを出るんだ」 「仕事…副業の方の入ってんなら……」 「いや、明日帰ったら部屋を移らないか」 「あの部屋寒っみぃもんな。いいけど…前行ったマンション?」 「別のところだ。遠くなるが…いいか」 「構わねぇよ。なぁ、チカ…タバコある?」 俺切らしちまって持ってねぇんだよ、と言い切る前に近澤からボックスタイプのタバコが飛んできた。「サンキュ」と南斗は受け取り上蓋を開けて一本取り出すと、そのまま開け口を近澤の方に向けて差し出した。 「残りはやるよ」 フィルターを摘んでタバコを箱から引き抜いた近澤は、それを唇に銜えながら言った。 タバコを銜えたままの南斗は礼を笑みに代えて、自分のジッポライターで先端を焼き付けると近澤に振り返った。 いつもとは逆に近澤が南斗のタバコの先から火を貰い受ける。同時に唇からタバコを離せば、ペロッと唇を舐められた。悪戯っぽく笑った近澤に驚きながら舐められた場所を舌先でなぞれば、ウイスキーとタバコの香りが組み合わさった味がした。 二人は互いに何も言わずに、夜空に広がる星を眺めながらタバコを燻らせる。 南斗は後ろに手を回して、ジーンズの尻ポケットに差し入れている封筒に触れた。それは台所で料理を盛りつける皿を背の高い食器棚で探しているときに、一番上にある固い扉を力任せに開けて見つけた亡き父の手紙だった。近澤に見せるタイミングを窺っていると、空を眺めていた近澤が沈黙を破った。 「逃げたいか?」 「…どこに」 一瞬にして近澤の言葉の意味を理解した南斗は、思わず問い返していた。 祖父、父、母、三人の誰かのことを知らない者はおらず、幼い頃は周囲から心無い言葉をかけられるが多かった。その度に言い返すことが出来ず、何度も周囲の雑音が聞こえない、誰も自分のことを知らない場所に行きたいと思ったことがある。実際、衝動を抑えられず全力で自転車を漕いで見知らぬ街に行き、祖母に心配を掛けた事がある。 南斗は逃げられない現実に腐るのではなく、自分が心身ともに強くなることを選んだ。しかし、今でもふと、どこか遠くに行きたい衝動に駆られることがある。けれど、いまは幼い頃より強く祖父母を守らなければという意志が働いているのか、行動に移すことはない。 「……チカはある?」 「一度だけな」 琥珀色のウイスキーを煽って近澤は、美しい幻想的な空へと視線を遣った。その横顔にそれがいつだったのか、南斗は問いかける事ができずに夜空へと目を向ける。
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