Episode 34

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Episode 34

豊かな緑に包まれた高台の外国人向けヴィンテージマンション。その最上階である八階のワンフロア一室の部屋に、ペントハウスの家財道具はそのままに必要最低限の荷物だけを持って移った。センスのいいヴィンテージ家具付きの部屋を一通り見て回ると、ふたつある寝室をどちらが使うか決めるために、南斗は近澤と廊下でジャンケンをしていた。しかし、連続で互いに同じ手を出してしまい勝負がつかないでいた。 「もうキリがねぇからやめねぇ?」 「そうだな。で、どっちにするんだ」 「俺、朝早ぇから玄関に近い方で」 「わかった」 「そんじゃ晩メシ作るわ」 「今日は俺の番じゃないのか?」 「チカに往復運転させちまったからメシくれぇ作らねぇとな。晩メシ作るついでにオッチャンからもらった野菜で常備菜も作っちまうから……ちと時間掛かるけど、いいか?」 「あぁ、休まなくていいのか?」 「一服したら動きたくなくなっちまうから」 そう言って笑窪を凹ませて笑った南斗は、キッチンの方へと向かう。 近澤も南斗の後ろを追って歩き出す。何も言わずに足を進める南斗の背中を眺めながら歩を進める近澤は、南斗の様子が少しおかしいことに気付いていた。けれど、本人がいつも通りに振舞おうとしていることから、それを指摘せずに見守る事にした。 「寝室にいる」 リビングダイニングと続いているキッチンに向かう南斗に言った。 「リクエストある?」 「料理の名前を知らないからミナトに任せる」 「そんじゃ鍋な!」 「また俺を拷問する気か」 互いに中指を立てて笑い合う。 近澤はリビングダイニングを通り抜けた先にある寝室へと向かう。 マンションの裏手にある森が一望できる寝室に入ってすぐにジーンズの尻ポケットに差し入れている携帯電話が振動した。近澤は開放的な掃き出し窓に歩み寄りながら、携帯電話を取り出す。指先で液晶画面を操作して耳に当て、「何の用だ?」と梶井に広東語で言った。 「やっと繋がった……」 実は、昨日から梶井から何度も電話が掛かってきていた。南斗が傍にいたこともあり着信を無視し続けていた電話に出れば、梶井の安堵する声が聞こえた。そして一方的に香港での仕事が終わり別の国にいる彼から、次の仕事に関する相談を持ちかけられる。 掃き出し窓に引かれたカーテンを少し開けて、闇が濃くなる外の様子を窺いながら言う。 「…に俺の名前…ゼヴの使いだと言え」 ヘブライ語で狼を意味するゼヴは、近澤の裏の世界での通り名であり本名ではない。 「言ったけど。ボスから聞いてないって」 近澤は何も言わずに電話を切ると、顔馴染みの男に電話をかけた。すぐに出た男にゼヴだと名乗り手短に用件を話して電話を切った。その数分後に梶井からまた電話があり出れば、さっき直接連絡を取った男から電話が掛かってきたと報告を受けた。 「さっきから気になってたんだけど、何で広東語?もしかして……」 「聞かれたくない話だからな」 「え!…ナルが英語聞き取れるようになるとは。もしかして隣にいるとか?」 「いや、別の部屋にいる」 「そうだ、アイツからもうすぐ引き上げるつもりだって聞いたんだけど」 「口が軽いな。ベッドの中で聞いたのか」 鼻先で笑った近澤は電話を耳に当てたまま、カーテンを閉めてベッドの方へと向かう。 「一億稼がせてやらないの?」 「雇い入れた以上は責任を果たすつもりだ」 近澤はベッドに腰掛けて続ける。 「誰かのように途中で放りだす訳にもいかないだろ」 「その詫びっちゃなんだけど、ナル向けの仕事があるんだけど」 「話してみろ」 「タトゥーコレクターに荷物届ける仕事で、口止め料込みで百万って吹っかけたらそれで頼みたいってさ。もちろん日本円で…でもちょっと荷物を取りに行く場所がなぁ」 「お前の苦手なアノ女のところか」 「え、日本で商売してるって知っ……」 「そのまま待ってろ」 遮るように言った次の瞬間、南斗がノックもせずに部屋のドアを開けた。梶井との通話中に部屋に向かってくる南斗の気配に気付いていた近澤は驚くこともなく、「テツから電話だ」とベッドから立ち上がり携帯電話を差し出した。 「チカは?」 「俺の話は終わった」 タバコを切らしたからコンビニに行ってくる、と近澤は続けて言って部屋を出た。 南斗は視線だけで近澤を見送ると、持ったままの携帯電話を耳に当てた。すると、すぐに電話の向こうから、「久しぶり、元気か?」と軽い口調で梶井に話しかけられた。 「何語かわかんねぇよ。つか、この前電話に出られなくてわりぃ」 先日ペントハウスのシャワールームに入っているときに電話を掛けてきたのは梶井だった。あの日のことが過ぎり、梶井に理由を聞かれる前に南斗は続けて言う。 「アンタらは旅行も散歩なんだな」 「旅行じゃないしな。てか、何も言わずに散歩に出て悪かったな」 南斗に始め広東語で話しかけた梶井は、言葉を日本語に変えて言った。 「いまも香港にいんの?って言えねぇか…」 「詳しくは言えないけど、別の国にいるよ」 「そっか。もうこっちには帰ってこねぇの」 「こねぇな。ボスがバカンス中だから部下が働かねぇと」 「ボス?」 聞き返しながらも、近澤のことだと南斗は思った。そして自分が雇ってくれと頼んだばかりに、この国に引き留めているのではないかという推測が確信に変わった。 「あ、ヤベ…口が滑っちまった。いまの忘れてくれ、ナル」 「イヤだね」 「そんじゃ、口止め料として稼がせてやるよ」 そう言って梶井は、近澤に話した南斗向けの仕事を本人にも話した。 南斗は梶井の話を聞く一方で、昨日からジーンズの尻ポケットに突っ込んだままの星の家の台所で見つけた父が遺した手紙の文面を思い出していた。半分上の空で梶井の話を聞いていた南斗は報酬が百万だと教えられてはっと我に返り、いままで稼いだ報酬額を計算する。そして次の仕事で副業をやめる決意を固めた。その仕事を引き受けると返事をした後に、軽く雑談をしてから電話を切った。 コンビニにタバコを買いに出掛けた近澤の帰りを持って、開放的なアイランドキッチンに横付けされているテーブルで夕食を摂った。ややあって南斗は食後の後片付けを終えて、二人分のコーヒーを淹れてテーブルに戻る。 「チカ、まだ熱っちぃから冷ましてからな」 そう言いながら南斗は、近澤の前に湯気が立ち昇るコーヒーカップを置いて椅子に座った。南斗は目の前に置いた自分のカップから昇る白い湯気を一瞥すると、ジーンズの尻ポケットから父の手紙を引っ張り出した。テーブルの下で色褪せた和封筒にクセのある字で綴られている、母と自分の名前に視線を落とす。 父親が遺した手紙は、まるで自分が襲われることを予見していたような書き出しから始まる。そして妻や南斗に向けた感謝の言葉等のあとに二人に遺す金のこと、妻と共に叶えようとしていた彼女の母親の夢に関する資金についてしたためられていた。 この手紙に記されている父が祖母のために遺した金は七千万。それに今まで稼いだ金と、次の仕事の報酬を合わせれば一億。副業を始める前に近澤と梶井に宣言した金額になる。南斗は全額自分で稼ぐつもりでいたが、梶井との電話で近澤を引き留めているとわかり次の仕事で副業をやめる覚悟を決めた。けれど、そうなれば、近澤が日本にいる理由がなくなり、もう同じ世界を共有できなくなると思うと気持ちが揺らいだ。 長い沈黙のあと、南斗は俯き加減だった顔を上げて近澤を見た。 「……チカ」 これ、と南斗はテーブルの上に出した父の手紙を差し出す。 「あの家で見つけたのか?」 近澤は手紙を手に取り宛名を一瞥してから言った。 南斗は頷いてから言う。 「台所で皿探してるときに食器棚で…固くて開かねぇ扉を無理矢理開けたら入ってた。俺が話すより手紙読んでくれた方が早ぇから…ちとクセのある字で読みにくいと思うけど」 「いいのか?」 何も言わずに頷けば、近澤は色褪せた和封筒から三つ折りの便箋の束を引き抜いた。手紙を開いた彼の目が左から右へと文字を追い始める。 テーブルに肘を付いている南斗は、近澤が手紙を読み終えるのを静かに待つ。 「…鷹野篤志、地下銀行を運営している元外資系投資銀行のバンカーか」 近澤は手紙に記されていた男の名前を口にした。それは以前、南斗が鷲北から頼まれて梶井と仕事を行った際に「sgriob(スグリーブ)」で会った、三十代後半だろう神経質そうな眼鏡を掛けたスーツの男の名前だった。 「え、なんで…あ、テツから名刺貰った?」 「あぁ、鷹野の一通りの身辺は知ってる。鷲北の古くから友人だという事もな」 「すげぇ」 「いつ鷹野と会うつもりだ」 「まだそこまで考えて…何て連絡すりゃいいかもわかんねぇしな」 「俺が連絡してやろうか」 「そうだな。報酬管理して貰っているチカに任せるほうが早ぇかも」 南斗が副業で得た金は、近澤を通して海外の銀行に預けてある。 「ミナトの親父さんも初枝さんの夢を叶えてやろうとしていたんだな」 近澤は冷え切ったコーヒーを飲んでから、話題を代えるかのように手紙の内容に触れた。 まだ本題を話せずにいる南斗は、タイミングを逃した事に安堵しながら話題に乗る。 「なんか知らねぇけど、親父もばあちゃん好きだったからな。今回のこと知ったらジジイと警察沙汰の喧嘩になってたと思うぜ。あの二人ならどっちかが病院送りになってもおかしくねぇからな」 「そうだろうな。武闘派だったことはミナトを見ればわかる」 「手紙っていいよな…文字の羅列なのに筆圧で書いてる奴の気持ちがわかるっつうか。親父の手紙を読みながら、忘れてたガキの頃のことを思い出したりしたし」 「チカは…誰かから貰ったり書いたりしたことある?」 「ない…どっちもな。ミナトはあるのか」 「家族宛はあるけど…ねぇな。反省文は山ほどあるけどな」 そう言って笑う南斗から、ふっと笑みが消える。 このままズルズルと本題を先延ばしに出来ないと南斗は思った。正直、次の仕事で副業をやめるとは言いたくない。ずっと近澤の傍にいたい。彼についていくことも考えなかった訳ではない。しかし、祖父母や鳶職人としての誇りとプライドを捨てる事は出来ない。近澤にも今までの生活を捨ててくれとは言えない。否、言うつもりもない。頭ではわかっていも身勝手な願望が何度も喉まで出掛かっている言葉を嚥下させる。 テーブルの一点を見つめたまま動かずにいた南斗は、俯き加減だった顔を上げる。緊張と怖さから口が渇き、コーヒーカップを口元に運ぶ。味もわからなくなっているそれをひとくち飲んで、テーブルにカップを置いた。そして正面に座る近澤を真っ直ぐに見た。 「あ、あのさ…チカ」 南斗は大きく息を吸い込んで、勢いよく息を吐き出すように続ける。 「俺、次の仕事で副業やめる…!」 (…言っちまった)と口の中で呟いた次の瞬間、南斗はテーブルに額を打ち付ける。殴打した痛みよりも言ってしまったショックの方が大きかった。 「おい、どうした?」 頭上から降ってきた初めて聞く近澤の慌てた声に、南斗の口元が嬉しそうに歪む。もう一度同じ声の調子で声を掛けられて振り仰げば、近澤が隣に立っていた。次の瞬間、勢いよく椅子から立ち上がり、その勢いのままで近澤に抱きついた。そのまま背伸びをして南斗は、近澤の耳元で短い単語を艶っぽく囁いて耳朶をはんだ。 「そのままじっとしてな」 ベッドの背凭れに並んでいるクッションに凭れている近澤の膝に跨っている南斗の台詞だ。 部屋に入るなりドアも閉める間も惜しいと唇を重ね、互いの服を脱がせ合いながらベッドに傾れ込んだ。 大きく脚を開いて近澤の膝に跨ったままの南斗は、ジェルが塗布されているコンドームを勃起している近澤の男根に装着する。手馴れた様子で先端部分を捻り空気を抜く必要がないそれを根元まで巻き下ろすと、腰を浮かしてゴムを装着した手を後ろに回した。 「見んなよっ」 南斗は顔を背けて少し躊躇いがちに自らアナル周辺を解すと、続けて吐息を零しながら空洞に指を入れた。円を描くように解しながら、一本から二本に指を増やして拡げていく。 「んっ、…はぁ」 充分に柔らかくしたアナルに近澤の男根を沈めていく。まだ異物の侵入を許さず押し返そうとする肉壁に抗うかのように腰を落とす。避妊具の薄い膜で覆われた亀頭が抉るように、直腸を拡げながら入ってきた。ゴムの塗布されているジェルのせいか、あまり痛みを感じることなく、近澤の男根を根元までアナルに収めた南斗は吐息混じり言う。 「……自分に使うとは思わなかったぜ」 そう言って笑窪を凹ませて笑った南斗は、後ろ手を付いて腰を使い始める。ゆっくりと前後に腰を揺らしながら、自分の前立腺に近澤の男根を擦る感覚で位置を探る。 「っはぁ…ん…ぁあ……」 クッションに凭れたままの近澤は、自分の上で硬く尖る先端から蜜を滴らせながら淫靡なダンスを踊る南斗を堪能しながら彼の男根に手を伸ばす。先端部のくびれに親指を添えるように蜜で熟れた竿を握り込んで、手首のスナップを効かせて擦るように上下に扱く。粘着質な体液が淫靡な水音を立て、南斗の荒い呼吸が更に忙しなくなる。 「はぁ…っ」 ベッドに後ろ手を付いて大きく脚を広げていた南斗は近澤の男根を挿入したまま、ベッドに膝を付いて体勢を変える。男根に与えられる刺激によがりながら腰をグラインドさせれば、奥まで飲み込んでいる近澤の男根がさらに膨張した。その熱に少し苦しそうに南斗が眉根を寄せたのも一瞬、下からアナルを突き上げる。 「あ、…っ、ン」 このまま快楽の波に身を任せそうになる一方で、今夜は主導権を譲らないという意識が働く。次の瞬間、南斗は自分の男根を握り込んでいる近澤の手を掴む。 「お、俺がやる手を離……」 「ミナト、SEXは二人でヤらないと意味がない」 「…っはぁ…だから俺が…っ」 「ひとりでヤるのはマスターべーションだけにしておけ」 そう言いながら近澤は、挿入したまま腹筋を使って上体を起こす。 「せっかく俺が…」と南斗は振り落とされないように近澤の首に両腕を回す。 近澤は耳元で不服そうに呟いた南斗に口端を引き上げる。その笑ったままの唇の形で首筋にキスすれば、両脚を腰に絡めてきた。近澤は首筋や肩を唇で愛撫しながら、南斗の尻肉を左右に押し広げて前立腺を抉るように突き上げる。 「…っあぁ」 近澤は背中を弓なりに撓らせて喘ぐ南斗を後ろに倒す。薄く開いた唇から荒い息を吐き続ける南斗に近澤も口を少し開いて唇の上下に触れるだけのキスをして、そのまま逆方向に唇をスライドさせる。視線がぶつかり唇を合わせずに舌の先端だけを触れ合わせる。南斗の褐色の肌にキスの雨を降らせながら、緩急をつけて抽挿を繰り返す。 「っあ…はぁ…っ」 近澤は南斗の引き締まった腹筋を撫ぜてから、硬く反り返っている男根を握り込む。尿道から粘着質な体液を垂れ流しているそれを擦る。射精感を煽っては寸前のところで手を止める。それを悪戯に繰り返せば、 「もっ…はやくし……」と吐息混じりに睨まれる。 「…わかった」 近澤は南斗の内股に手を差し入れて持ち上げると、強く腰を打ちつけた。その瞬間一際大きく喘いだ南斗に引き寄せられる。身体を密着させて互いの射精感を追い込む。 「…っい、イキそっ…っあ……ッ」 首に両腕を絡ませている南斗の手が近澤の肩を掴む。指先に力を入れて肩にしがみつく南斗の顔の横に片手を付き、もう片方の手で頬を包み込んで微笑む。 「イってもいいぞ」 「…ッ…ア、ああっ…っ…んぁ…っ」 次の瞬間、南斗は勢いよく白濁を飛沫させて自分の顎を汚す。追うように達した近澤は挿入したまま、肩で息をしている南斗に口付ける。脱力感と余韻で朦朧としながらも南斗は口を少し大きく開けて答える。 「…ン…ん…っ」 近澤は軽く舌先だけを絡めるキスを交わして、南斗の身体から男根を引き抜いた。ベッドに腰掛けたそのとき南斗の言葉を思い出して笑みを含む。男相手に使うとは思わなかった避妊具を始末してベッドに戻る。 「なんで俺にやらせねぇんだよ」 南斗は渡されたティッシュペーパーの束で顎を拭きながら顔を背ける。 隣で片肘を付いて寝転がっている近澤が南斗を覗き込んで言う。 「まだそんなことを言うのか?」 「…っ」 南斗は近澤の首に両腕を回して引き寄せた瞬間、カプっと唇に噛みついた。滲んだ血を舌先でぺろりと舐め取れば、両手をシーツに縫い止められた。覆い被さっている近澤と視線が絡んだのも一瞬、次の瞬間には唇を甘く犯されていた。
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