Episode 36

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Episode 36

翌日、近澤は高架式高速道路沿いに建つマンションの一室にいた。 土足のまま上がった部屋の壁時計を見た。朝の五時であるから、南斗が眠っているのを確認して念のためメモを残しマンションを出たあと、女の店に向かったのは一時間前になる。 女の顧客がとある人物に名義を貸した事でトラブルになり、二人の人間を始末する依頼を受けた。名義を借りた男は女が店に誘き寄せていたため、銃やナイフを使わずに素手で首を折り殺した。その男が借りた名義を転貸している祖国の人身売買に加担している国際機関の男を殺せば、仕事は終わりだ。 近澤は標的の乗る車が通過する高速道路が見下ろせる窓際へと向かう。カーテンの合わせ目を少し開けて周辺を注視すると、肩に背負っているケースを下ろした。床に置いたそれから、ボルトアクション式のスナイパーライフルを取り出す。慣れた手つきでライフルのボルトハンドルを前方に押し弾を装填する。ストックのバットプレート部分を右肩に押し当て銃身を安定させると、チークパッドに右頬を押し当ててスコープを覗いた。高架橋を見下ろす位置から高速を走る車に照準を合わせ、標的を乗せた車が通るのを待つ。 数秒後、スコープのレティクルに男を乗せた黒塗りのドイツ製高級外車を捕らえる。一呼吸置いて引き金を絞る。ライフルから発射された弾丸は車のフロントガラスを突き抜け、正確に運転手の額を撃ち抜く。次の瞬間、爆弾が爆発するような凄まじい激突音が響き、黒煙が上がる。走行中の車は制御不能となり、片側車線を走る大型トラックの荷台に激突して炎上したのだ。 素早く射撃した窓辺から身を引いてライフルを下ろす。ケースにライフルを戻し入れると、それを肩に背負い足早に部屋を後にした。 非常階段を途中まで使い地下駐車場に降りる。大型のアメリカンバイクに跨ったそのとき、ジーンズの尻ポケット内で携帯電話が振動した。エンジンを掛けながら、非通知表示の電話を耳に当てる。「私よ」と女の訛りのある英語が電話の向こうから聞こえた。 「見学料も上乗せして、S国の口座に振り込んでくれ」 「バレてたのね。よく短時間で調べられたわね」 近澤はこのマンションは女の所有物であり、別の階の部屋から仕事を見ていたことも知っていた。これ以上女と話すつもりはない近澤は何も言わずに電話を切ると、バイクを発進させた。 近澤はライフルをエスに預けて、南斗と暮らすマンションへと戻った。 玄関ドアの鍵を開錠する前に、部屋を出る前にドアの隙間に挟んだ小さな紙を抜き取る。音を立てないように鍵を開錠してドアを開けると、広い玄関の端に南斗の靴があることを確認してから部屋に入った。そのまま廊下の先にあるリビングダインの方へと向かう。 祝日の土曜で本業が休みであるから眠っているのか、南斗の姿はリビングダイニングやキッチンにはなかった。けれど、顔を見るまで安心できない。 近澤はリビングダイニングを抜けて寝室の方へと向かった。 南斗は海外製のキングサイズのベッドで、枕に両手を差し入れてうつ伏せで眠っていた。部屋から出る前に掛けてやった羽根布団は腰の位置までずれ落ちていた。無邪気に眠る南斗に笑みを零す。 (……よかった) 以前のようにクスリを使うことも考えたが、メモだけを残して部屋を出たことが気になっていた。近澤は安堵して上半身裸で眠っている南斗を起さないように、羽根布団を掛けなおしてやる。 近澤はベッドサイドのキャビネットに載るメモを取ると、南斗に背を向けてベッドに腰掛ける。走り書きしたメモを一瞥して握り潰して丸めると、傍のゴミ箱へと捨てた。その手を何となく返して手の平を見た瞬間、血で濡れている錯覚に陥り手で顔を覆う。 「…っ」 南斗のいるこの国で殺しの依頼は受けたくなった。けれど、いつものように何も感じず、何人も殺してしまった。これからも身体に刻まれている無限を表す「No.8」のタトゥーに従い、死体を積み上げていくだろう自分が恐ろしくなった。しかし、長年行方を追っているスプリットタンの男を見つけるまで、情報を得るために殺しの仕事を辞めるつもりはない。 近澤は顔から手を離して、後ろに振り返る。 さっきと変わらず両手を枕の下に差し入れてうつ伏せで眠る南斗を見つめる。日本語にすれば、たった五文字の言葉は言えない。その言葉は心を縛る呪縛。住む世界が違う南斗と同じ時間を共有できる、いまの幸福もあと僅かだ。そう思えば、愛しさがさらに募った。 近澤は後ろに振り返ると、うつ伏せで眠る南斗の隣に寝転んだ。彼の背中に触れるだけのキスをすれば、寝返りを打ってこちら側に顔を向けた。 「チカ?」 ぼんやりと目を覚ました南斗が見上げてきた。 「まだ早い。寝てろ」 ベッドから降りようとした次の瞬間、近澤は後ろからベッドに付いていた手を掴まれた。その手を振り解かずに、ベッドに腰掛けたまま振り返る。 「遊園地行かねぇ…?」 南斗は覚醒仕切っていない、まだ夢を見ているような声で言った。 想像もしていなかった意外な誘いに驚いたのも一瞬、寝ぼけているのだろうと思いなおす。しかし次の瞬間、手を掴まれたままの近澤は強い力で引っ張られてベッドに倒れる。咄嗟にもう片方の手を付いた事で、横向けに寝そべる南斗の身体の上に倒れこまずにすんだ。 「チカが帰る前に…」 そう言いながら手を離した南斗が、今度は両手を首の後ろに伸ばしてきた。好きなようにさせてやれば、そのまま引き寄せられた。近澤は鼻先がぶつかりそうな距離で言う。 「どうして遊園地なんだ?」 「…行きそびれちまったから」 儚げに笑った南斗にその唇の形のまま唇を塞がれる。近澤は唇を割って入ってきた南斗の舌先に答えてやりながら、南斗の腰へと腕を回す。 「なぁ、このまま…ッ」 唇を離して南斗は勃起している男根をスウェットパンツの布越しに近澤の腰に押し当てる。 近澤も南斗同様熱く尖っている自身に苦笑いの混じった笑みを零す。ジーンズの前を寛げて取り出した男根を南斗のそれと合わせれば、互いの先走りが混じり合いぬめりを帯びた。近澤は覆い被さるようにキスをしながら身体の向きを変える。互いの尿道の先から溢れ出る粘着質な体液が、摺り合わせる度に淫靡な音を立てる。 「ぅあっ、はぁ…あ…ッ」 もう何回も抱かれている南斗は素直に感じるままに、艶っぽい声を上げて乱れる。 近澤は激しく腰を律動させて、ぴったりと密着している互いの男根を摩擦する。 「あっ、ァ」 忙しない呼吸を繰り返す濡れた唇。その上唇を舌先で舐めるようなキスをした近澤は、余裕がなくなってきている南斗を追い詰める。苦しげに眉根を寄せて荒い息遣いを繰り返す南斗の射精衝動を寸止めせずに絶頂に促す。 「っあ」 次の瞬間、南斗は背中を反らせると同時に達した。 荒い息もそのままにいとも簡単に達した自分に驚いている南斗の肩上辺りに片腕を付いて、近澤は僅かに上体を起こす。そのままの姿勢で、もう片方の手の指先で南斗の唇をなぞれば、察したように舌先で指を舐め始めた。 南斗は近澤の指を包み込むように舌を絡め、舐め、そして舌先で指の腹をなぞる。 まるで甘いキャンディを口腔で転がしているかのように舌を指に絡ませて舐める、南斗の口腔から指を引き抜く。近澤は南斗の飲み込めずに口端から流れ伝い落ちた唾液を拭うようにキスをしながら、その手をアナルへと伸ばす。無理なく第二関節まで飲み込んだ。柔らかな肉壁を引っかくように指先を動かす。 「……アぁっ」 すぐにコリコリとした前立腺を探し当てられた南斗が背中を反らせる。近澤はアナルに沈めていた指を引き抜いて、南斗の内股に腕を差し入れる。次の瞬間、空間を一気に塞ぐ。 「っ!」 目を瞑り眉根を寄せて苦しげな声を上げた南斗に構わずに腰を動かす。浅く深く腰を律動させれば、南斗の声が快楽のそれへと変わった。 「あっ…は、……あっ…っう」 目を瞑り眉根を寄せたまま感じているままに喘ぐ南斗の頭に片手を伸ばす。柔らかな黒髪に指を差し入れて、ほんのりと上気している頬に顔を寄せる。 「ミナト、気持ち…いいか?」 そう言いながら近澤は緩急をつけた律動を繰り返す。浅く深く、緩く強く、突き上げて抉るように腰を動かして揺さぶる。酸素を求めるように喘いでいる南斗が顔の横に投げ出している腕、その手首を別の手で押さえて下唇にキスを落とす。閉じていた瞼を開いた南斗と視線がぶつかる。 「っはぁ、チカ、もっと……」 悪戯っぽく笑った南斗は重なり合っている手に指を絡めて握り返す。 「どんなヤツ?」 黒塗りのSUV車の運転席に座る南斗は、助手席にいる近澤に聞いた。 夜の九時。三時間ほど高速に乗り一般道に降りた車は、女から受け取った荷物を届けに高級住宅街を走っていた。いつもは近澤の運転で相手先に向かうのだが、今夜は最後の仕事という事もあり南斗がその役を買って出た。 「珍しいな」 窓枠に片肘を付いている近澤は、初めて相手のことを聞いてきた南斗に振り返って言った。 「前の乱交野郎みてぇのが出てきたら今度こそ変態って言っちまいそうだからな」 「日本在住の外国人建築家だ。業界では有名人らしく大学の講師もしている男だ」 今まで会ってきた客たちとは毛色が違う男に、「へ?」と驚きの声を上げて、近澤を二度見する。「前」と注意されてすぐに前に向き直った南斗は、初めて荷物の中身に興味を持つ。 「あの筒の中身、なに?」 南斗はひとりも歩行者がいない道路を見据えながら言った。 「俺も中身までは知らないが、どうせロクでもない品物だろ」 左側の二軒先が男の家だ、と窓枠に片肘を付いたままの近澤は言った。 周囲の邸宅とは異なる建築家らしい豪邸に車を滑り込ませれば、凝った装飾が施された鉄門が自動的に開いた。このまま進んでもいいのかという顔で近澤に振り返る。先を促すように頷いた近澤を見て、南斗は豪邸の中へと車を進めた。 同じ車種の日本車より若干幅が広い海外製のSUV車でも、余裕で道幅がある多種多様な石材が組み込まれた石畳の緩やかなアプローチを徐行で進む。玄関までの道標のように設置されている両側のソーラーライトの光に浮かび上がる庭には、木々や花が生い茂っていた。 「イングリッシュガーデンか」 「興味あんの?」 「向こうにいるときサボテンを育てていた」 近澤の意外な一面を知った南斗は、サボテンの世話をしている姿を想像して笑みを含む。 次の瞬間、視界が開けてイングリッシュガーデンと調和の取れた外観の家が見えた。庭の雰囲気を壊さないようにデザインされた広い駐車場にはレトロな外車が止まっていた。その車の横にバックで車を入れて止める。 「行くか」 南斗は後部座席から肩紐が付いた黒い円筒状のケースを取り、運転席から降りる。 「そうだな」近澤も助手席から降りた。 二人は並んで足を進め、アンティーク調の玄関ドア前で止まり互いに顔を見合わせる。 南斗は近澤に目で促されて、軽く緊張しながらインターホンに手を伸ばす。そして押そうとした次の瞬間、重厚な玄関ドアが内側に開いた。思わず驚いて後ろに下がる。 「驚かせてすまない」 長身の五十代だろう男は、帰宅したばかりなのか三つ揃えのスーツを着ていた。 エントランスで荷物を渡そうとすれば、男に手で制止される。 「靴のままでいいから中に入ってくれ」 家に入るよう促して、手招きをしながら玄関ホールに戻っていく。 荷物を渡して直ぐに帰るつもりでいた南斗は、隣にいる近澤に振り返る。 「どうする?」 「そいつの中身を知りたいんだろ」 そう言って近澤は、南斗が抱きかかえている黒い円筒状のケースに視線を遣った。 一瞬迷ったものの、好奇心から玄関ホールに歩を進めた。続けて近澤も足を踏み入れる。 ハミングしながら先を行く男の後ろに付いてウォールナット材の廊下を進む。 (建築士の家ってやっぱ…すげぇな) 南斗は家の外観とギャップがある広い室内を見回しながら足を進める。 男の案内でリビングダイニングではなく、地下の部屋に通された。 視界に飛び込んできた部屋の風景に言葉を失えば、隣に立つ近澤がボソッと呟く。 「…悪趣味だな」 刺青が施された皮膚が額装され、部屋の四方全ての壁に飾られていたのだ。 色鮮やかな伝統的な和彫りが主だったが、単色の洋彫りも標本にされていた。そして額装に飽き足らず、マネキンやトルソー型に総身彫りを縫い合わせた全身標本が数体並べられていたのである。 「アーティスティックだろ」 男は部屋をぐるりと見渡して、恍惚としたような顔で二人に笑いかける。 「…ソウデスネ」 (人間の皮を飾る趣味はねぇよ) そう言ってやりたかったが、南斗は何とか我慢して男を肯定してやった。 「僕のパートナーのタトゥーはアレだ」 その場で男は華麗に後ろに振り向いて、壁に飾られている額のひとつに手を差し向けた。 釣られて視線を遣れば、見るからに他の額よりも高価な額縁に納められた背面の皮膚が飾られていた。愛おしそうに額のガラスに頬ずりしている男に言う。 「そろそろ受け取ってくれねぇかな…」 「すまないが、そこのテーブルに置いておいてくれ」 ずっと抱きかかえていた黒い円筒状のケースを男に言われるままに、部屋の隅にある変わったデザインのテーブルに置いた。もうこれ以上男の趣味を見学する気がない南斗は、額に英語で話しかけながら頬ずりしている男に振り返る。 「そんじゃ、俺たちはこれで」 入金ヨロシク、と続けて言った南斗は、近澤に目配せして部屋を出る。 互いに無言のまま家を出ると、そのまま乗ってきたSUV車の方へと向かう。運転席と助手席に分かれて乗り込めば、助手席に座った近澤が話しかけてきた。 「ミナトも飾りたいか?」 「俺なら剥製にする」 悪趣味な冗談を交わして笑い合うと、南斗は車を発進させた。 副業最後の仕事を終えた達成感や安堵よりも、近澤を引き留めている理由がなくなったことに胸が痛んだ。その気持ちを悟られないよう努めながら南斗は車を走らせる。
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