Episode 37

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Episode 37

副業最後の仕事を終えた翌日の日曜。南斗は近澤と一緒に、鷲北の店「sgriob」に来ていた。彼の友人であり地下銀行を営む元外資系投資銀行員の鷹野篤志と会うためだ。 アップテンポな洋楽のR&Bが流れる営業中の店内は、ショーが間近で観覧できる十席ある四人掛けの丸テーブルは全席埋まっており、十席あるL字カウンターにはスーツの男がひとり座っているだけで他の客はいなかった。客の男女比率は男の方が多い。フロアの客席より一段高いステージでは、筋肉質な国籍不明の二人の男が上半身は裸、下は黒いスパッツでポールダンスを踊っている。 鷲北に頼まれた仕事を梶井と行った際に、この店で一度だけ鷹野と会っている南斗は、すぐにカウンターに座る男が鷹野だと気付いた。カウンター内にいる鷲北がこちらに気付いて手を振ってきた。南斗は手を振り返してから、後ろにいる近澤に目配せすると、カウンターの方へと歩み寄った。 「鷹野篤志です」 三つ揃えのスーツに身を包んでいる鷹野がカウンターから立ち上がり言った。 南斗は名刺を差し出そうとする鷹野に、「テルさんから前に貰った」と断り、自分の名前をフルネームで名乗った。そして隣にいる近澤を外資系銀行員で個人的に財産管理を委託している友人だと紹介した。教えられたとおりに紹介した近澤はそれらしく見えるように、細身のスーツを着てメガネを掛けていた。 事前に近澤が連絡を取っていたこともあり鷹野は、何の疑いも持たずに近澤が差し出した名刺を一瞥しただけで、カウンター席に座るよう促してきた。 「信用していない訳ではないが、君が松下龍斗さんのご子息だという証明はある?」 「それなら持ってきたぜ」 そう言いながら南斗は背中に背負っているバッグを胸の前に回す。父の手紙の複写と母子手帳に挟まれていた自分を認知していることが分かる古い戸籍謄本、幼い頃に撮った家族写真を同封した封筒を取り出して、カウンターを滑らすように右側に座る鷹野に差し出す。 「確認させてもらうよ」 「あとは…」 そう言って南斗は左側に座る近澤に視線を送ってから、右側に座る鷹野に振り返った。 「わかった。彼と話すよ」 紳士的に微笑んだ鷹野に、「俺はあっちで飲んでるから」と南斗は椅子から立ち上がる。近澤の肩を軽く叩いて、あとは頼むな、と英語で声を掛けてから、カウンターの真ん中にいる鷲北の方へと移動した。 「8日ぶりね」 鷲北はソフトドリンクを注いだグラスを、カウンターに腰掛けた南斗の前に置いた。 カウンター内にいる鷲北と八日ぶりの再会を祝してグラスを合わせてから、南斗はソフトドリンクを飲んだ。一気に煽らずに二口ほど飲んでカウンターにグラスを置くと、奥にいる近澤と鷹野の方に振り返った。 「彼、テツくんとは違った種類のイケメンね」 「そんなこと言ったらインテリ眼鏡くんが妬くんじゃねぇの」 「アノ子とは肉欲じゃなく健全な関係よ」 「へー」 「なにその疑いの……あ!そうそう忘れるところだったわ」 話している途中で何かを思い出したらしい鷲北が身体ごと後ろに振り返る。多種類の酒のボトルが並ぶ壁一面の棚に向かってしゃがみ込むと、下段の引き出しから分厚いファイルを取り出して立ち上がった。 「沢山届いたからファイリングしたんだけど…よかったかしら」 「サンキュ」 「それとアレも一緒に表紙裏のポケットに入れといたわ」 そう言いながら鷲北は分厚いファイルを手提げの紙袋に入れた。 「ありがとなって伝えておいて」 鷲北が底に手を添えて差し出してきた手提げの紙袋を受け取れば重みがあった。 南斗は最後の仕事まで二週間もあったことから、鷲北の自宅住所を借りてネット経由で国内外の船旅を提供している富裕層向けの旅行会社にパンフレットを請求していたのである。そして父が遺した手紙をポチに預けて、七千万と記載されていた箇所を一億に書き換えてもらったのだ。 「伝えておくわ」 そう言って鷲北は南斗の後ろに視線を向けた。釣られて南斗も後ろを振り返れば、鷹野と話を終えたらしい近澤が立っていた。 「明日には全額入金してくれるそうだ」 さっき鷹野に渡した封筒を近澤から返される。それを背中に背負っているバッグを胸の前に回して入れると、椅子から立ち上がった。三人分の飲料代を払おうと、ジーンズの尻ポケットから財布を取り出せば、「奢るわ」と鷲北に言われて財布を戻し入れる。 「テルさん、ごちそうさん」 カウンターの上に載る手提げの紙袋を取ると、先に店の出入り口ドアの方へと歩き出した近澤の背中を追った。そのまま地下一階にある店から地上に出ると、店の入口階段の近くで待っていた。 「初枝さんとの待ち合わせ時間まで…まだあるな」 スーツの上からコートを着ている近澤は、少し袖を捲って腕時計を一瞥してから言った。 南斗は、今朝食堂の仕込みの手伝いに行ったときに、祖母に祖父や陽一の目の届かない場所で、大事な話しがあるから「Bar×Fusil」に十一時頃に来てくれと誘っていた。 「歩いて行かねぇ?したら丁度いい時間になると思うし」 「そうだな」 ペントハウスがある八階建ての雑居ビルにバイクを止めて、ここにはタクシーで来ていた。 今のマンションに移る前に暮らしていたペントハウスがある八階建ての雑居ビル、その二階にある「Bar×Fusil」に歩いて向かう。 「ばあちゃんと話が終わったら行くわ」 南斗は、ペントハウスの様子を見に行くという近澤に言った。 二階にある「Bar×Fusil」の前で近澤と別れると、店の重厚なドアを開けて店内に入った。 夜はバーとして営業している店内には、四方の壁に展示されている世界各国の実銃を模して作られたモデルガンやエアガンを眺めながら酒が飲める店だ。店内に展示されている品は物騒だが、調度品は欧州アンティークで揃えられている。L字型のカウンターは十席、テーブルが三席と席数は少ない。 夜の十一時という時間帯にも関わらず、客はひとりもいなかった。南斗は怪訝そうに店内を見回してから、分厚いファイルが入った手提げの紙袋をカウンターに置いて椅子に腰掛ける。すると、すぐにカウンター裏から出てきたマスターに声を掛けられた。 「いらっしゃい。南斗くん」 「今日は誰もいないんだな」 「チカさんから連絡を頂いたので貸切にしておきました」 そう微笑むとマスターは炭酸飲料を注いだグラスをコースターの上に置いた。 いつ近澤がマスターに連絡を入れたのか考えながらグラスに口元に運んだそのとき、ふと先日マスターからバスタオルを借りたことを思い出す。背中に背負ったままのバックの差込を引き抜いて身体から下ろすと、カウンターにバッグを載せて洗濯済みのバスタオルを取り出した。 「これ…この前はありがとな」 南斗は両手でバスタオルをマスターに差し出す。 「いえ、洗濯までして頂いてありがとうございます」 にこやかに話しながらバスタオルを受け取ったマスターは、それをカウンター内の台の上に置きながら続けて言った。 「来られたようですよ」 次の瞬間、重厚なドアが自動で開き、着物に割烹着姿の祖母が店内に入ってきた。 店の外に防犯カメラが設置されているのかと思うタイミングで祖母が来たことよりも、自動でドアが開いた事に驚いてマスターに振り返れば、「レディファーストです」と微笑まれた。 「いらっしゃいませ」 「こんばんは。今夜は冷えるわね」 そうマスターに挨拶して祖母は、南斗の隣に腰掛けた。 「天気予報によると、明日は今日よりも一段と冷えるようです」 祖母にコーヒーを出したマスターは、カウンターから出て入口ドアの方へと向かった。 カウンターに座ったままの南斗は、何も言わずにマスターの背中を目で追う。さっき自分が入ってきたドア前で足を止めたマスターは、ドア上部とドアノブ上、そして足元に取り付けられた鍵を順に施錠すると振り返った。 「お帰りになる際は、カウンターの呼び鈴でお知らせ下さい」 軽く頭を下げたマスターは、カウンター横のドアを開けて店の裏に消えた。 いつも流れている音楽が流れていない事から静寂に包まれる。しかし、すぐにコーヒーを一口飲んでから祖母が話しかけてきた。 「南斗、大事な話って?」 「まずはこれを読んでくれ」 南斗はカウンターに載っている手提げの紙袋から分厚いファイルを取り出す。何も言わずに見ている祖母の前で、ファイルの表紙裏ポケットから父の手紙を引き抜いて差し出した。 「この字は…龍斗、アンタのお父さんの字。どうしたんだいコレ」 「親父が俺のために買った家で……」 「もしかして星の家かい」 「なんで知って…俺、ばあちゃんに言ってねぇよな」 「アンタのお母さんから聞いたんだよ。南斗が学校の宿題かなんかで星を調べるっていうのがあるんだけど、この町からは星が見えないからとかなんとか言って……」 「親父の知り合いから鍵を貰って、この前覗きに行ったときに見つけたんだ」 「読んでもいいのかい」 強く頷いてみせれば、祖母は慎重に和封筒から便箋を取り出して広げた。左から右へと文字を追い始めた祖母を黙って見つめる。そして数秒後に両手で便箋を握ったまま顔を上げて自分を見た祖母に分厚いファイルを差し出す。 「なんだい?」 「ばあちゃんの夢ファイル。まぁ、見てみ」 笑窪を凹ませて笑った南斗に促されるままに、祖母は分厚いファイルを開いた。鷲北が几帳面に国内外の出発場所やグレード別に項目分けしてくれた船旅のパンフレットには費用が記載されていない。南斗は祖母が金額に躊躇わずに好きな船を選べるように、ポチに手紙の文字を修正してもらうついでに消してくれと頼んでいたのだ。 「ジジイがくたばる前に行って来いよ」 軽い口調で南斗は、驚いた顔で振り返った祖母に言った。 「いいのかい?」 「俺も毎日手伝いに入るし、ソムもいるから回せると思うぜ」 この店にいたソムは、一週間前から祖父に雇い入れられ食堂でバイトとして働いている。彼と陽一、そして自分が毎日手伝いに入れば、充分に店を回していけると思った。 「そうだね。あの子よく気が利いて働き者だからね」 「親父とお袋…それと俺の夢を叶えてやるって気持ちで行ってこいよ」 「そうね。私もあの人も元気ないまのうちに行ったほうがいいかも」 「そうしろよ」 「次の休みのときにあの人に話してみるよ」 「ありがとね。南斗」 「俺は何もしてねぇよ」 南斗は笑窪を凹ませて笑う。 それから少し話をして祖母はカウンターの呼び鈴を押した。すぐに店の裏から出てきたマスターがドアに厳重に掛けた鍵を開錠して、南斗と一緒に祖母を見送った。 「マスター、サンキュな」 「お出掛けされる日が早く決まるといいですね」 「ジジイがゴネなきゃいいけど…」 「大丈夫ですよ。初枝さんに惚れていらっしゃるから」 「だな」 戸口に立っている南斗はマスターと顔を見合わせて笑う。 カウンター置いたままのバッグを背中に背負った南斗は、自分も店を出ようと財布を取り出せば、ここでも奢りだといわれて代金を支払わずに店を出た。そして、そのまま雑居ビルの階段を二段飛ばしで駆け上がり、屋上のペントハウスへと向かう。 「どうだった」 スーツからラフな服に着替えていた近澤は、ペントハウスの傍にあるビールケースを加工して作った簡素なテーブルの椅子に座っていた。 「エメラルド婚待たずに行く思うぜ…たぶん」 そう言いながら南斗は近澤の正面にある椅子に腰掛ければ、タバコを差し出された。テーブルに身を乗り出してボックスタイプのパッケージから一本引き抜いて唇に銜えれば、先に自分のタバコに火を点けていた近澤のそれの先から火を貰い受ける。タバコを銜えたまま椅子に座れ直せば、近澤が白い煙を吐いてから言った。 「良かったな」 穏やかに微笑んだ近澤の顔からふと笑みが消え、「次の日曜に戻る」と静かに言葉を紡いだ。そして乗る飛行機の時間を南斗に伝えると、近澤は指に挟んでいたタバコを口に運んだ。 南斗は聞きたくなった言葉に沈んでいく気持ちを、夜の便だから遊園地行けんじゃん、と思うことで感情の曲線を無理矢理上昇させる。 「なら時間まで遊園地な!」
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