Episode 38

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Episode 38

古き良き昭和の香りが漂う街の一角にある、ノスタルジックな遊園地に来ていた。狭い敷地内にぎっしりと詰め込まれたアトラクションに派手なものはない。しかし、大人から小さな子供までが楽しめる基本的な遊具が揃っている。最新式のアトラクションを取り揃える遊園地では体験できない懐かしさと温かさを感じる遊園地だ。 近澤は受付の女と話している南斗の背中を一瞥して、周囲に視線を向ける。園内から漏れ聞こえる音楽と園内アナウンス、それに混じる老若男女の歓声に自虐的な笑みを含む。 (……場違いだな) 人殺しの自分が来る場所ではないと近澤は思った。けれど、唯一の家族である母と訪れることが出来なかった場所にいるという現実に、何か温かいものが胸に流れ込んでくるのを感じていた。 「チカ」 南斗に声を掛けられて振り返れば、リストバンドタイプのフリーパスを差し出してきた。それを近澤はすぐに受け取ることが出来なかった。それは遊園地に来る途中で入った老舗洋食店での昼食代や交通費を、さりげなく先払いした南斗にこれ以上出費させる訳にはいかないからだ。重厚なウォレットチェーン付きの長財布をジーンズの尻ポケットから取り出そうとすれば、その手を強い力で掴まれた。 「俺が誘ったんだし」 すでに自分のリストバンドを左手首に巻きつけている南斗は、素早く近澤の右手首にリストバンドを巻きつけて手を離した。 「いいのか?」 「二日前に冬のボーナス貰ったから、いまの俺は金持ちだぜ」 「全部制覇しようぜ。チカ」 そう意気込んで笑った南斗は、入場ゲートの方へと向かって走り出す。 まるで小さな子供のように弾んで走る南斗の背中を追いかける。 来園者が少ないと思っていた園内は、若いカップルや学生風の団体、小さな子供を連れた家族客がそれなりにいた。レトロ感溢れるアトラクションで楽しんでいる声で溢れている。 一瞬にしてこの場所の雰囲気に呑まれる。生まれ育った国は違うが、まるで幼い頃に普段何もない広場にやってきたアメリカンレトロな移動式遊園地に憧れた頃に戻ったかのような錯覚を覚えた。 「チカを連れてくるならここだと思ってさ」 「ミナトは来たことがあるのか?」 「一回だけな。ばあちゃんが俺を元気づけるために連れてきてくれたんだ」 南斗は園内案内の掲示板の方へと歩を進めながら続ける。 「チカ、なに乗る?俺はどれでもいいぜ」 唐突に話を振られた近澤は周囲のアトラクションを見回す。そして園内の外周をぐるりと取り囲むレールを滑走するジェットコースターに目が止まった。 「アレに乗らないか?」 「やっぱここに着たらジェットコースターに乗らねぇとな」 行こうぜ、チカ、と南斗は園内の外周を走るジェットコースターの搭乗口の方に走り出す。 近澤も釣られて走り出す。南斗の背中を追いかけながら自然と笑みが零れる。 タイミングが良かったのか、あまり並ばずにジェットコースターに乗車することができた。係員に促されるままに、最前列の席に南斗と並んで乗り込む。声を弾ませながら後列席に乗車する客たちのざわめきを聞きながら、隣に座る南斗に振り返る。 「みんな楽しそうだな」 「俺たちも楽しもうぜ」 南斗は笑窪を凹ませて笑う。 「そうだな」 近澤も迫る南斗との別れに沈む気持ちを心の奥底に沈めて笑い返す。 頭上にあったハーネス式の安全バーが降りてきた。ガッチリとシートの背凭れに身体を固定するように締め付けると、すぐに発車ベルが鳴り響いた。動き始めたジェットコースターはレールの上をカタカタと音を立てながら上昇していく。 「ヤベ…なんかドキドキしてきた」 「普段これよりも高い場所で仕事をしていてもか?」 「仕事とは別のスリルってやつ」 つか、もうすぐくるぜ、と南斗は笑いながら両腕を高く上げる。 次の瞬間、レールを登りきったコースターがほほ直角に急下降する。南斗や後列の乗車客が両手を上げて悲鳴を上げるなか、ふたたびレールを登り始める。コースターは弧を描くように反り返った急カーブを走り、大きな口を開けて待ち受けていた建物へと入る。そして、瞬きする間もなく猛スピードで通り抜け、アップダウンを繰り返す。 スタートからゴールまで数分の乗車だったが、近澤は全身で受けた風に気持ち良さを感じていた。身体を拘束していた安全バーが上がり、係員の誘導に従ってコースターから降りる。 「ミナト、もう一度乗らないか?」 「一回じゃ物足りねぇもんな」 「決まりだな」 「だな」 互いに顔を見合わせて笑った二人は駆け足で搭乗口に向かう。 カップルや家族連れが二列で並んでいる最後尾に並ぶ。近澤はレジャーランド自体初めて訪れたのにも関わらず、気持ちが弾んでいることに動揺していた。いままでこんな気持ちになったことはなかった。その理由である隣にいる南斗の方に振り返れば、突然何かを思い出したかのように笑い出した。 「どうした?」 「いや、チカが真顔で乗ってたの思い出してさ…っははは」 「…緊張してたんだ」 「緊張って……」 南斗は笑いのツボにはまったのか、まだ笑っている。 前後に並んでいる客たちの冷ややかな視線も構わずに笑っていた南斗が笑うのやめて、背中に背負っているバッグを胸の前に回した。今度は何を始める気だと何も言わずにバッグの中を漁る南斗を見ていると、携帯電話を引っ張り出した。 「写真撮らねぇ?」 一瞬迷ったものの近澤は、南斗の屈託のない笑顔に負けて頷いた。周辺のアトラクションが背景に写りこむように横に並んで、携帯電話を翳す南斗の英語の掛け声で写真を撮った。一枚だけ撮ると、南斗は電源を切りバッグに携帯電話を仕舞い入れた。 「次はさっきの俺みてぇに両腕上げて叫んでみな。そうすっと気持ちいいぜ」 「何を思って叫べばいいんだ?」 「え、そうだな……」 そう言いながら南斗は胸の前で腕を組んで唸りだした。 必死に何かいい案を捻り出そうとしている南斗に、近澤は口端を引き上げる。 二人は数分後二度目のジェットコースターに乗った。今度は最前列の席ではなく、真ん中辺りの座席に誘導された。さっきは園内の風景を見下ろすことの出来る園内側に座ったが、南斗に促されて園外の周囲に建ち並ぶ住宅が見渡せる席に座った。 近澤も南斗が両腕を上げるタイミングに習って、同様の姿勢を取り前からくる風を受ける。南斗は笑いながら叫び声を上げていたが、上手く声を上げる事が出来なかった。 乗り終わってすぐにまた列に並んだ二人はリピートを繰り返す。係員の男女に顔を覚えられるほど何十回もジェットコースターに乗った彼らは数時間後、うな垂れるようにベンチに座っていた。最新式のジェットコースターに比べればアップダウンが少ないとはいえ、それなりに激しいジェットコースターに休憩を取らずに連続で乗れば、気分が悪くなって当然だ。 「さすがにちと酔った……チカは?」 園内の片隅に設けられた喫煙所のベンチに大きく脚を開いて座る南斗は、ベンチの背凭れにだらしなく凭れて空を仰ぎながら言った。 隣で足を組んで座る近澤は南斗に振り返る。 「少しな」 「なんか飲まねぇ?」 そう言ってベンチから立ち上がろうとする南斗を制止して、近澤はベンチから立ち上がる。リクエストを聞けば、好んで飲んでいる炭酸飲料を頼まれた。二人分の金を財布から取り出そうとする南斗をまた制止して、近澤は近くにある自動販売機の方に向かう。 南斗ほどではないが、近澤も少し頭痛はするものの、その鈍痛よりも冷めない高揚が勝っていた。ジェットコースターに何度も繰り返し乗るごとに気持ちが高まり、最後の数回は南斗と一緒に叫んでいた。 近澤は自動販売機で炭酸飲料を二本購入して、ベンチへと戻る。 少し顔色が回復した南斗に炭酸飲料の缶を渡せば、「サンキュー」といつもと変わらない声が返ってきた。近澤は南斗の隣に腰掛けると、炭酸飲料のプルトップを片手で引き抜いた。それを口元に運ぼうとしたところで、視線を感じて振り返る。 「どうした?」 「ん」 南斗は炭酸飲料の缶を横に置いて、近澤の胸元辺りに左拳を突き出した。 何かを握り込んでいる南斗の左拳の下に右手の手の平を差し出す。その瞬間、南斗が拳を開き、緑色の何かが手の上に落ちてきた。 「カエル…?」 陶器製の可愛らしい蛙の上に小さな蛙が載っている置物だった。 「そんくらいの大きさなら荷物にならねぇだろ」 「なにか意味があるのか?」 「そいつを玄関の下駄箱…向こうにあるかわかんねぇけど。必ずこいつらの顔を部屋側に向けて玄関に飾ってくれ」 「なにかのまじないか?」 「ばあちゃんから昔聞いた…家人が無事にカエルっていうまじない」 「俺も南斗に渡すものがある」 近澤は背中に背負っているバッグを胸の前へと回す。黒い革製のシルバーコンチョ付きキーケースを取り出すと、それを南斗に差し出した。 「マンションとペントハウスの鍵だ」 「ペントハウスの方は家賃払えるかもしれねぇけど……」 「その心配はいらない。両方ミナトが居たいだけいていい」 「マジかよ」 「実家や別の場所に住みたくなったら、マスターに鍵を返却すればいい。あとのことは全部マスターが片付けてくれるように話を着けてある」 「サンキュ」 「一服したら並んでねぇアトラクションから回ろうぜ」 南斗はキーケースをバッグに入れると、ソフトパックのタバコを取り出した。その銘柄は二人が初めてシガレットキスを交わしたタバコだった。 偶然なのか、銘柄を変えたのかわからなかったが近澤は懐かしく思いながら、切り口から飛び出している一本を摘み取る。軽く口に銜えてタバコの先をジッポライターで焼けば、タバコを銜えた南斗が顔を寄せてきた。互いの先端を合わせれば、ジリジリと音を立てて赤い火種は南斗へと移った。最後のシガレットキスを交わした二人は、ゆっくりとタバコを燻らせると、ベンチから立ち上がり再びアトラクションの方へと向かった。 そして夕日が徐々に闇に飲まれる時間まで園内で過ごした。すべてのアトラクションや乗り物を制覇した彼らは、閉園の音楽を聴きながら遊園地をあとにする。 駅に向かう雑踏の群れに加わった二人は互いに無言のまま流れに沿って歩を進める。途中交差点の赤信号で立ち止まれば、どちらともなく振り向いて顔を見合わせる。視線がぶつかった瞬間、近澤は南斗に強い力で腕を掴まれる。声を発する間もなく、腕を引かれて近くの路地に連れ込まれた。 南斗は両側をビルの壁に囲まれた狭い路地で手を離した。そして上がった息を整えてから、近澤に向かって右手を差し出した。すぐに近澤は意味を理解して左手で南斗の手を握る。 「色々とありがとな。チカ」 「いや、頑張ったのはミナトの方だ。俺は何もしていない」 「ここで別れようぜ」 「そうだな」 強い力で握り合っている手の力を、同じタイミングで緩める。 この手を離せば、もう住む世界が違う南斗と会うことはないだろう。光の世界にいる南斗の傍に、血と硝煙に塗れた世界にいる自分はいない方がいい。けれど、彼を想うことは許して欲しいと近澤は思う。 ゆっくりと握っていた手を離した南斗が、路地の奥へと走っていく。その背が完全に消えるまで眺めていた近澤は、まだ温もりが残る手を一瞥して握ると、駅の方へと向かった。 南斗は近澤と別れたあと、一ヶ月ほど近澤と暮らしたマンションではなく、ペントハウスに帰ってきていた。 周囲のビルに掲げられた看板を照らすネオンの光が代わる代わる、照明を灯していない部屋に光線のように差し込んでいた。部屋は少し片付けられていたものの、マンションに移る以前のままにされており、ただここに近澤と梶井がいないだけだった。 三人掛けソファの背凭れに頭を載せて座る南斗は、何も映していない視線を宙に漂わせていた。小さく部屋に響く置時計の秒針音も聞こえないほど、寂寥感(せきりょうかん)に苛まれていた。 「…っ」 背中に背負ったままのバッグに入っている携帯電話が振動して我に返る。はっと身体を起してバッグを胸の前に回して携帯電話を引っ張り出す。画面に表示された必要ない通知に落胆する。 「掛けてくる訳ねぇよな……」 近澤と交わした握手、その手を離した瞬間に共有していた時間は終わった。連絡先も聞かなかった。逆に教えられもしなかった。もう手を伸ばしても触れられる距離にいない。同じ空の下で生きていても、二度と会えないだろう。ソファの肘掛けに肘を付いている南斗は近澤がいないこの部屋の景色に慣れず、視線を逸らすように手で目を覆う。 「……レヴ」 ヘブライ語で心を意味するレヴ。近澤の本当の名前を呼べば、愛しさが溢れ出した。足枷になるだろうと伝えられなかった気持ちを口にする。声に載らなかった言葉は白い吐息になり、真っ暗な部屋に消えた。 しばらくして、南斗はアルコールの力を借りて眠ろうとソファから立ち上がる。キッチンに向かおうとした次の瞬間、傍にあるローテーブルに気付かずに躓いた拍子にバランスを崩す。そのまま派手にローテーブルを横倒しにして床に転んだ。 「…っ」 床に手を付いて起き上がろうとすれば、転んだ瞬間に散ばった数冊の洋書が目に入った。ローテーブルの上に積まれていただろう洋書を拾い上げようとすれば、何かが挟まっているのに気付いた。 南斗は近澤が読んでいた洋書の小口から少し飛び出している紙を引き抜く。すると、それは栞ではなく、赤い月が海の上に浮かぶ写真が印刷された絵葉書だった。何となく表面を見れば、『南斗へ』と近澤の字で宛名書きされた手紙だった。 「覚えて…」 近澤は南斗が父親の手紙を見せたとき、「手紙っていいよな…文字の羅列なのに筆圧で書いてる奴の気持ちがわかるっつうか」という言葉を覚えていたのだろう。南斗が読みやすいように筆記体ではなくブロック体の英語で綴られていた。 頭の中で英文を日本語に変換しながら、ゆっくりと左から右へと文字を追う。読み進めるごとに胸に開いた穴が徐々に何か温かいもので埋まっていくのを感じた。 そして…―――。 『愛してる』 英文ではなく日本語で綴った文章で手紙は締め括られていた。もう一度読み返せば、近澤の声が聞こえたような気がした。その瞬間ここで過ごした時間を走馬灯のように思い出し、様々な感情がどっと胸に迫り涙で視界が歪むのを、グッと奥歯を噛み締めて堪える。 「俺も…」 南斗は伝えられなかった言葉を声にして、そっと最後の一文にくちづける。それが間接キスだと知らない南斗は裏面の写真をもう一度見た。すると、赤い月の名と撮影場所の国が英文で印刷されている事に気付いた。 新たな目標を見つけた南斗は笑窪を凹ませて笑う。 FIN 自サイト改稿版連載期間 2016.12.10→2019/12/08
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