Absence sharpens love

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Absence sharpens love

「持ってるか?」 唇を開放した近澤の台詞だ。 南斗は遊園地のトイレに入ったそのとき、近澤に腕を掴まれて有無を言わさぬ速さで個室に連れ込まれた。そして施錠音を聞く同時に唇を塞がれたのだ。唇から顎、そして首筋からまた唇へと噛み付くような情熱的なキスのあと、そう欲情的な目で問われて口端を引き上げる。拒む理由などない。すでに自身も芯を持ち始めている。南斗は素早く背中のメッセンジャーバッグを胸の前に回す。十二個入りのコンドームの最後のひとつを取り出す。 「噛みな」 言葉と同時、コンドームのパッケージを近澤の口元に差し出す。メッセンジャーバッグを胸の前に回したままの南斗は、余裕のない顔でパッケージの封を噛み切り開けた近澤に笑みを含んだのも一瞬。次の瞬間、壁の方に振り向き両手を付いて後ろに尻を突き出す。 「…ッ!」 前戯もなく挿入された痛みと圧迫感に声を上げれば、背後から口を塞がれた。振り返る寸前、「動くぞ」と耳元で囁かれて壁に両手を付きなおす。 近澤は南斗の唇を塞いだまま、もう片方の手で引き締まった腰を掴んで荒々しく腰を律動させる。まるで獣にでもなったかのように理性よりも感情が先走り、南斗が欲しくて堪らない。これほどまでに欲情に駆られて誰かを求めたことがない。近澤は初めて感じる迸る感情に戸惑いを覚えながらも南斗を暴いていく。 近澤が腰を使う度に肌を打ち付ける音と粘着質な水音が小さく個室に響く。彼らはここに訪れる数時間前も倒錯した世界に溺れていた。もう何度目かわからないほど肌を重ねている。近澤は南斗の感じる場所を探り当てる。一方の南斗の内部は解さずともすぐに近澤の形に順応していた。 「ッあ、ぁ…んっ」 南斗は口を塞いでいる近澤の手の平に掠れた声と吐息を吐き続ける。熱を帯びた息が篭り湿っていく。息苦しさを覚えて手を引き離したい衝動に駆られる。しかし、公共の場所で行為に及んでいることが頭の隅にあり、近澤の手を引き剥がせない。南斗は手の平を舌先で舐ると、痛いほどに硬く聳り勃っている自身に手を伸ばす。 (まさかあんな場所でヤるとはな) つか、俺も余裕なかったけどな、と思い返していた南斗は胸中で零す。近澤と関係を持ってからは感情だけが先走り、近澤が欲しくて堪らなかった。時間が限られていた事もあるのだろう。あれほど強烈に誰かを求めたことはなかった。近澤の全部が欲しい。逆にくれてやるとさえ思っている自分は重症だと南斗は思う。 「おえ、ナル!俺たちの話聞ぃってか?」 「あ?…たぶん」 南斗は不意にマサに話しかけられて我に返った。慌てて取り繕うかのように返事をすれば、反対側に座る高志に、「聞いてねぇ」とため息混じりに言われる。 昼の十二時半。南斗は作業主任のマサ、そして自分より五歳年上の高志と現場近くの食堂に昼食を食べに来ていた。 南斗は本業の仕事と学校の冬期休暇も終わり、昼は鳶として工事現場で働き、夜は定時制高校と祖父母が営む食堂の手伝いをしている。新たに副業を始める以前の生活に加わったものがある。それは近澤に会いに行くという新たな目的のために始めたふたつ。ひとつは英語科担当教員で担任の常山にサポートを受けて語学スキルを磨く。二つ目は元キックボクサーで無敗のチャンピオン、「sgriob(スグリーブ)」のママである鷲北の紹介で東南アジアの伝統的な武術ジムに通い始めたことだ。近澤に守られるよりも、逆の立場になれなくとも盾になれる存在でいたいという強い意思からである。 「で、なに?」 「大将と女将さんがいなくて寂しいだろ?って言ったんだよ」 そう親しみを込めて呼ぶマサは、祖父母が営む食堂の常連客でもある。 いま二人は南斗と亡き両親からのプレゼントである豪華客船で世界一周の旅行中だ。 「別に寂しくねぇよ」 「嘘つけ。このばあちゃんっ子が」と高志が笑う。 図星を突かれて眉根を寄せたのも一瞬、話題を変えようと話を振る。 「なぁ、キャベツの千切りは細い方がよくねぇ?」 陽一の極太より口あたりはいいと思うぜ、と南斗は今朝のことを思い出して愚痴る。 南斗は相変わらず出勤前に食堂の仕込みも手伝っていた。食べかけの唐揚げ定食に添えられている千切りキャベツに箸をつけながら、「ここの店も細いじゃねぇか」とキャベツの千切りを口に運ぶ。 「俺の切り方の方が旨い」と南斗は満足気に自負する。 「ナル、もうお前が二代目襲名しちまえ」とマサは耳に掛けていたタバコを取る。 「元カリスマホストに跡目奪われちまうぞ」高志はマサに火を点けたライターを差し出す。 「ちょっとマサさん。筋モンじゃあるまいし襲名って」 マサや高志は祖父が元極道だったことや亡き両親のことを知らない。詳しい事情を知っているのは会社の社長である親方だけだ。しかし、彼らからそんな話が出たのは初めてではない。その度に上手くかわしていたが、今日ははっきりとしたことが言える。 「二代目は陽一。経営も任せられるからな」 「若!このまま跡目かっさらわれていいんですか?」 「そうっすよ、若!戦争だ」 「どこの筋モンドラマだよ」と南斗は笑ってから続ける。 「まぁ襲名は先だと思うぜ。ジジイが「俺は永久に不滅だ」とか言ってっし」 俺はばあちゃんに永久でいて欲しいぜ、と南斗は残りの料理を口に運ぶ。 「ホント、ナルはばあちゃんっ子だよな」 「女が嫉妬したりしねぇの?」 「は?…女」 「おぇ、年末年始の休みに外国人の女と遊園地デートしたんじゃねぇのかよ」 「彼女かわいそう」と軽い口調で高志が笑う。 そう二人から矢継ぎ早に言われて南斗は記憶を巡る。「あ!」数秒の間を置いて年末年始休暇に何をしていたかという話の流れで話したことを思い出した。けれど、そのとき女という単語を口にした覚えはない。ふとイケてる年上外国人とか言ったかもしれねぇな、と曖昧な記憶が頭を過ぎる。 「忘れちまうような女ならたいしたことねぇな」 軽い口調で笑ったマサは、短くなったタバコをステンレス製の灰皿でもみ消す。 「お前の好きそうな年上スレンダー美人を紹介してやろか?」 「高志、その女紹介してくれ」 「アンタらふたりとも既婚者だろうが。嫁にチクるぞ」 「一緒に出掛けた女も忘れるような奴に言われたくねぇな」 「俺はこう見えてそいつ一筋だし。じゃなきゃ英語なんて勉強するか」 「お前のお勉強って…女の為だったのか!」 「もしかしてジムに通ってるのも…」 南斗は、二人に本当の目的を言わずにえくぼが出る笑顔を向ける。 「ま、眩しい」とマサは笑いながら目を瞬く。 「愛に生きる男は違うな」軽い口調で高志も目を瞬いた。 「惚れんなよ。オッサンども」 キリッとした顔で口端を引き上げれば、二人は噴き出した。南斗も釣られて笑う。笑いのツボに入り、周りの客の注目を浴びながら爆笑する。いつも冗談を言い合い最後にはこうして笑う。近澤がいない淋しさや、祖父母と会えない寂しさが紛れる瞬間でもある。二人に感謝しているものの、照れ臭さから口に出したことはない。 ふと南斗は腕時計に視線を遣る。 「ヤバ!あと十分で昼休み終わる」 言葉と同時に席を立てば、二人も席から立ち上がった。 この店に来る途中の男気ジャンケンで負けたマサが、素早くテーブルの端に載っている伝票クリップを持ってレジへと向かう。 彼が会計を済ませるのを待ってから店を出れば、冬の冷たい風に頬を撫ぜられた。三人はそれぞれ身に着けているネックウォーマーを鼻先まで引き上げる。南斗のそれは近澤と色違いだ。「よし、行くべ」というマサの声を合図に、三人は現場の方へと走り出す。 FIN 2022/12/20 改稿
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