XとYに踊る

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「あの――抱いてくれませんか」 「はい?」  出し抜けに話しかけられたのと、飛び込んで来た単語があんまり穏当でなかったことに、私は間抜けな声を上げた。  マスターは、先ほど、どやどやと出て行った四人連れの客の一人が財布だか免許証を忘れたとか言って、カウンターを離れていた。マスターの怒鳴るように呼び止める声と、酔っぱらいの馬鹿笑いと平謝りが薄いドアの向こうから聞こえる。  そろそろお会計にしようか、それとも、最後にもう一杯だけ頼もうか。つらつらと考えている時で、完全に油断していた私は、その相手がいつから隣の席に座っていたのかもよく分からなかった。  ――飲み過ぎた、こりゃ。  軽く揺れる視界のまま、隣に目を向ければ端正な顔がある。色の白い、パーツのはっきりとした顔立ち。最近、売り出している俳優の――K・Sだとかに似ている。目元のあたりに愛嬌がある、ちょっと痩せすぎの猫みたいな印象を与える青年。  私より、何歳か上か。それとも下か。最近はアンチエイジングのせいなのか、単純に中身が幼いままだから体も老化しないのか、他人の年齢を勘で当てるのが非常に難しくなった。実年齢より決して上の年齢を口にしてはいけない、という重圧のようなものまで感じるから、日本人の若さに対する執着はちょっと異常じゃないかと思う。私は年相応に年齢を重ねている人に結構、色気を感じる性質だから、いつまでもきゃぴきゃぴされていると萎えてしまう――ではなくって。なんだったっけ。財布を落とした? それはマスターが追いかけていった客の話か。話しかけられているのは、私か? この青年に? なんで?  ――ああ、酔っ払ってる。 「ええっと、ごめん。なんだっけ?」  青年が、この店の常連の一人であることは分かった。  けれども、今まで親しく口を利いたことも無い相手からのアプローチに私はちょっと狼狽える。席が隣り合わせになった時だとかに、目頭で挨拶はすることはあったけれど、それ以上のコミュニケーションを必要とすることが無かったからだ。  大抵、彼は一人でこの店に入ってきて、誰か――大抵が年上の男――と、出て行くことが多かった。だから、つまり「そういうこと」なのだろうという見当は付いている。  言うなれば同じ町内に住んでいるし、番地も同じだけれど、枝番が違う――時折すれ違うだけのご近所さん。それが一体何の用だろうと訝る私に、相手は真顔で言った。  目が真剣だった。 「抱いてくれませんか」 「――あん?」  聞き返したのは、申し出がイヤだったからだとかでは無い。  どこの誰を抱いてくれと頼まれているのか、まったく分からなかったからだ。  そんな私を真っ直ぐに見て、端正な顔はハッキリと言った。 「俺のこと抱いてくれませんか」 「はぁ?」  持っていたグラスからウィスキーがこぼれて、私は慌てて腰を浮かせた。結婚式の披露宴から着ているこの礼服は一張羅だ。こんなことで駄目にしていられない。  がたん、と大きく音がして椅子が傾いた。 「ちょっと。あんた飲み過ぎだから、そろそろ帰りな」  ちょうど店の中に戻ってきたマスターが、私の有様を見て呆れたように告げる。その声に、壁にかけられた時計を見上げれば、確かにラスト・オーダーの時間が迫っていた。  やけ酒か、これは。それとも他人の結婚式にあてられるような年齢に、私も気付かない内に差し掛かっていたということか。そんなことを真剣に考える自分を頭の片隅に感じながら、マスターの声に私は間の抜けた声を上げる。 「ああ、うん、ごちそうさま――」  へどもどしながら財布を取り出して会計をする。告げられた請求額がそれなりのものであったのに、やっぱり今日は脳みそのブレーキが少しおかしくなっているなと冷静な自分が囁いた。財布をパーティー用のバッグにしまい込んだところで、私に妙な提案をして来た青年が、平静な顔で「俺もお勘定お願いします」と言うのが聞こえた。彼が頼んだのは、どうやらグラス一杯分の酒らしい。私の払った額の何分の一にも満たない。 「じゃあ、また来るね」 「あんたはほどほどにしておきなさいよ」 「はーい」 「また来ます」 「ああ、気をつけてお帰り」  マスタ-からの温度差のある見送りの言葉を受けながら、二人揃って店を出たところで、「ライツヴィル」の看板の灯りが消えた。どうやら私と青年を最後の客とマスターが決めたようだ。今日はそれなりに客の入りもあったし、少し早めの店じまいも問題は無いだろう。――そう言えば、マスターは何歳ぐらいなのだろう。私が大学の頃から、全然歳を取っていないように見える。また店の秘密が出来た、と思いながら私はなんとなくそのまま歩き出すことも出来ずに、店の前に立ち尽くした。引き出物の袋と、パーティー用の小さなバッグ。それをぶら下げたまま黙り込んだ私の横に佇んだ青年が、再び言った。 「抱いてくれませんか」  ぐわりと世界が歪んだような感覚に襲われるのが一瞬。 「――酔ってんのかね、君は」  思わず妙な口調になる。女とセックスをする時、私は男役――いわゆるタチと呼ばれる役割で、それから役割を交代をしたことは無い。けれども、体つきはどこからどう見ても女のそれの筈だ。今日だって露出は少ないが紺色のパンツドレス姿で、髪だってそれなりに綺麗にまとめている。胸も、まぁ、それなりに無くはない方だと自認している。それなりの凹凸のある体つきをしている自覚もあるし、バストとウェストの差は目測出来る程度にあると思っていたのだが――まさか私が男に見えてるんじゃなかろうか。それか、元は男だった女だと思っているのか。それとも、女から手術をして男になったのと勘違いをしているのだろうか。そんな言う懸念を含んだ問いかけに、青年は首を振った。 「そんなに飲んでいません」 「そうだね。だろうね。知ってる――私の方が飲んでるもん」  酔っぱらっている、というのならば私の方がよっぽどだ。少し立っているだけで世界が揺れているような感覚に襲われる。  立ち去ろうとしない青年になんだか妙な疲労を覚えながら、私は諭すような声を出した。 「まだこの辺なら店だって開いてるだろうし、君って『そっち』でしょう。自分の、ちゃんと好みの相手を探した方が良いと思うよ、お互いのためにさ」  真面目な大人みたいことを口にする自分に、私は眉を寄せた。やっぱり相当に酔っぱらっているに違いない。こんな説教を口に出きる身分かと、普段ならば黙り込む場面だというのに。  いや、しかし、男が好きな男に、抱いてくれって言われたって――人間性はともかく私の体はどうやったって女なんだから――大事故の様相しか浮かばないじゃないか。珍しくも理性的な説得を試みる私に対して、青年は一歩も引かなかった。なんだか悲壮感じみた決意みたいなものが後ろに見える。私に抱かれるのは、そんな顔して決意固めなきゃいけないほどのことなのか。だから別に男探せよ、誰かいるよ。  そんな私に対して、青年が思わぬ事を言った。 「あなたは、物凄く優しく抱いてくれるって聞いたから。だから、抱いて欲しいなって」  なんだそりゃあ、と思って私は言う。 「聞いたって、誰に」 「カンナに。あの、結構派手な感じの」  結構派手、ではこの辺りでは何の特徴にもならない。それなりに派手な奴らばかりが集まっているせいで、とことん地味な格好をした方が却って浮き立って見えるような街だ。  ――カンナ?  出された名前に、すぐに顔は浮かばなかった。客だったのか遊び相手だったのかそれすらも覚えていない女の名前。そもそも、その女とこの青年はどういう関係なのか。セックスの仕方なんてプライバシーが軽々しく話題にされるのは、あんまり心地の良いものじゃない。店の客なら、それも口コミの一つというか宣伝の内だと諦めが付くけれど。彼女だっけな、客だっけな。自分でもどうしようもないことを考えながら、眉を顰める私から視線を逸らして、暗いアスファルトの地面を見ながら青年はぽつりと言った。 「一回ぐらい――誰かに、物凄く優しく抱いて貰いたくって」  ぐわん、と世界が揺れる。  コペルニクス的大転換。  ああ、くそ――。  君ね、それは。  その言葉は、あんまり卑怯じゃないのか。  愛されたがりの寂しがり。  それは、あまりにも私の嗜好に合致するものだった。なんなんだ、この子は。どこかから私に美人局しに来た物騒な方達の回し者なのか。昼間の仕事と、夜の仕事の掛け持ちで、それなりに稼いではいるがそれと貯金という言葉はイコールにならないのが私という人間の残念なところだ。あちこちの店に酒と引き換えに気前よく金をばらまく癖をやめないと、いつまで経っても貯金額は増えやしないだろう。そんなことを考えながら、目の前の青年を見やる。  自信無げに、断られることを前提にしているように――。  所在無げに立ち尽くしたまま、目を伏せているその顔は、あまりにも私の好みすぎた。ドストライクだ。バッターアウト。  既に腹の奥が疼くような欲が動いている。こういう時は、女で良かったなと思う。このアルコールの摂取量で、勃起をさせようと思ったら、それなりに時間を置いてからでないと色々危ないし大変だろう。  そんな下世話なことを考えている私に青年が言う。 「あの――あなたは、男でも平気だって聞いたし」 「そりゃあ、まぁ、平気だけどさ」  その通りで、私はその辺りのこだわりが極端に薄い。バイよりレズだと自認しているが、それもちょっと怪しいと思う。まぁ、だからマスターが言うところのタチの悪い素人なのだろうけれど。  どんな風に噂されているのか知らないが、一時期は相当に散々遊び歩いたから、色んな評判が立てられているに違いない。  いやいや、私の話はどうでも良い。  私は良くても、だ。 「あのさぁ――」  そっちはどうなの、と聞き返そうとしたところで、ガタガタと「ライツヴィル」の薄いドアが動く音がする。マスターが店じまいの支度をしているのだろう。たぶん、あれは施錠の音だ。それに私と青年はハッとしたように顔を見合わせた。  店のドアの外でずっと話し声がしていたら、マスターだって不審に思ってひょいと顔を出すかも知れない。私と目の前の青年に面識が無いのを、マスターは知っている。何をしているのか、と訊ねられた時に答える言葉を持たないし、青年が私に頼んだことが耳に入れば頭ごなしに「馬鹿なことはやめな」という叱責が待っているのは目に見えていた。  それは――。  それは、なんだか可哀想だと思った。  この話をマスターに聞かれたくない。  いや、違う。  私は、青年の話を誰にも聞かれたく無かった。聞かせられる話で無いと、本能的に理解していた。そして、私がそう思っていることを青年もうっすら感じ取っているのを理解していた。どうなのだろう。酔っ払いの幻想だろうか。思いながら、私は咄嗟に言った。 「バームクーヘン」  青年がぽかんとした顔をする。 「――は?」 「バームクーヘンを食べよう。一緒に」  引き出物の袋を青年に押しつけると、その細い腕を掴んで私は慣れた通りを歩き始めた。  握った手は、皮膚の下の骨の感触がダイレクトに伝わってくる。ゴツゴツとした男の手だ。普段、求められて握ったり繋いでやったりする女の手とはまるで手触りが違う。  ――なにやってんだ、私は。  放って帰れば良いのに。いくら性行為だとかそういうことに対して、多少奔放なことが許される町だとはいえ、出し抜けに「抱いてくれ」だなんて妙なことを頼んでくる相手を、放り出して帰ってしまったところで誰も文句は言わないだろうに。  丑三つ時の新宿には、まだ大勢の人がいて、信じられないぐらいにネオンが煌々と輝いている。その代わり、ネオンの光が届かないところは目が眩むぐらいに真っ暗だ。  そんな薄暗がりの中に、私の行きつけのラブホテル「ワルプルギス」はある。まったく誰が付けたのか知らないが、名付け親は相当に“イイ”性格をしているに違いない。それを言えば、私が働く夜の店の「3月ウサギ」も良い勝負だが。そう言えば、マスターの店の名前の由来はなんだろう。やたらと洒落た響きをしている。ラテン語だろうか。今度、マスターに聞いてみるか。  青年の手を引きながら自動ドアを潜る時、果たして私なんかとラブホテルに入るところを見られて、この子の今後の交友関係なんかは大丈夫なんだろうかと心配したが、それは余計な心配だろうと考えることを止めた。  何度か使ったことのあるホテルの一室は、間接照明の薄暗い光に満ちていて、私は皺にならないように礼服を脱ぎ捨てて、ハンガーにかける。一張羅は大事だ。とは言え、酒を飲んだ服が帯びる独特とのよれた哀愁のようなものを服が帯びてしまっている感じが否めないが。  さて。  キャミソールとストッキングの下着姿で振り返って、所在なげにドアの前に立ち尽くす青年に顎をしゃくる。 「とりあえず、座りなよ」  ヒールの高い靴を脱ぎ捨てて、ベッドの上に胡座を掻いた私の前に、青年は借りてきた猫のように大人しく正座した。頭を掻きながら、ぞんざいに私は言う。 「で、なんだっけ」 「あの」 「抱いて欲しいって言われてもさ、私見ての通りチンコ付いて無いんだけど」 「はぁ」 「どうすんの?」 「えっと」  洗ってはあります、と真顔で言われて、なるほどと私は思う。確かに、そちらも請われて女相手に弄くったことはある。というか、男と付き合っていた頃などは積極的に弄くっていた。 「なんで私?」 「男も平気だって聞いたから――」 「そうじゃなくてさぁ」  優しく抱くだけなら、もっと適任がいた筈だ。私みたいなタチの悪い――素人じゃなくて、それこそ新宿中を探せば、青年好みに「優しく」抱いてくれる男の一人や二人見つけることが出来るだろう。それなのに、どうして、わざわざ私なのか。  青年が、ぽつりと答えた。 「――あなた、前に、あの店で言っていたでしょう」 「なにを?」  あの店にいる時は、どうにも気が緩んでしまって酔いが早い。口から出て来るのは大半が何も考えていない戯言ばかりだ。青年が言葉を続ける。 「相手が滅茶苦茶になるぐらい、感じてよがり狂ってるのを見るのが好きだって」 「――」  それは、言った。  酔っぱらいの戯言だが、それは紛れもない私の本音だ。  結構はっちゃけてるなぁ、私。 「抱いている間は、皆『私の可愛い子』だって。そう言っているのが聞こえて。それが――」  いいなぁ、と思ったと言う。ひどく頼りなげな調子で、まるで自分の居場所を慎重な声は、怯えていたとさえ言って良い。  あーあ。  それに私は内心で溜息を吐く。  抱ける。  違う。  抱きたい。  目の前の名前も知らない、恐らく男に身を任せてばかりきたのこの青年を、有らん限りの言葉を尽くして褒め讃え、気持ち良くしてやり、泣かせてやりたい。絶頂に導きたい。  抱きたい。  原始的で暴力的なその衝動のままに飛びかかろうとするとこを、私は寸でで堪えた。 「でも、君は――私じゃ欲情しないでしょう」 「はい、いや、うん――でも」  青年の指先が、預けていた引き出物の袋の取っ手に絡められる。自信の無さの現れ。ますます私好みだ――と、どこか遠くで考えながら私は畳みかけるように言う。 「気持ち良く出来ないかもよ」  むしろ失望させる気がした。その可能性の方が高い。  私がいつもしているセックスは、相手の弱味に付け込むような、酷いセックスだ。触って欲しいと無言で、けれども剥き出しに大胆に、目の前にさらされる急所を優しく撫でて甘い言葉を囁いているだけ。それも、相手が私に欲情をしていることが前提での酷い茶番だ。  ああ、くそ――。  今までタチの悪い素人でいたとことでのでツケが、こんな風に回ってくるだなんて思いもしなかった。抱きたい。今すぐに、目の前の青年のシャツをひん剥いて、乳首を舐め回して、アナルをかき乱してやりたい。けれども――それは。 「くそ」  どうして私は男で無いのか。  たぶん、私が与えるその快感は、青年が心の底から欲しいと望むものとは異なる。  引き出物の袋を乱暴に押しやり――ベッドから落ちた袋が、がちゃんと陶器の音を立ててる。そう言えば、皿だとかなんだかのセットだとかが入っていたような気がする――私は青年の股間に触れた。 「欲情して無いじゃん」  私の行動に、青年は驚いたように目を見開いて固まった。  ベルトを外して、ズボンの前をくつろげてやると、くたりと力無く項垂れた青年の性器が目の前に現れた。  思えば、男のペニスなんて見たのは久しぶりだ。記憶にあるそれより青年のそれは小さくて、女相手のセックスに用いるための男性器を模した玩具よりも、すべすべしていて上品な感じがした。というより、私が驚いたのは青年のそこがあまりにもつるりとしていて毛の一本も生えていないことだった。 「剃ったんじゃないよね、これ」 「脱毛しました」 「へぇ」  私だって「下の毛」の手入れはしているが、そこまできちんと処理はしていない。感心しながら頷いて、私はベッドの上で雑にストッキングを脱ぎ捨てた。 「あのさ、私は別に――君のこと抱けるよ」 「――」 「そもそもがレズビアンって訳じゃないしね。抱かせてくれる相手が男なら、それだって構わないさ。けど、そっちは違うでしょう」  ついでのようにキャミソールを脱ぎ捨てて、ブラジャーとパンツ姿になって、私はもう一度ベッドの上に胡座をかきなおした。 「女と経験ある?」 「――――」 「男と女の身体って、本当に、全然違うよ」  真顔になって諭しながら、不意に私の中には辟易とした感情が浮かび上がってきた。  なんだって、私はこんなことをしているのだろう。  相手が「抱いてくれ」と頼んできたのだから、こんな説教じみた真似は止めてさっさと押し倒してしまえば良いだろうに。やっぱり酔っぱらっているからだろうか。それとも、抱いたら――。  この青年を抱いたら、私の方がどうにかなると思っているのだろうか。  この相手を思ってのためのような言葉のやり取りは、ひょっとして今まで私が一番嫌いだったおためごかしの時間稼ぎに過ぎないのでは無かろうか。  思いながら私はブラジャーのホックを外して雑に投げ捨てた。 「ただ『抱く』って言っても、触られる感じとかそういうのが、本当に違うんだよ。女の手、柔らかいの知ってるでしょ。さっき、手繋いだし――君の手より大分柔らかかったでしょ。骨の形からして、全然違うよ。男が『男を抱くのも女を抱くのも対して変わらない』って言うのは、そりゃあ、あいつらには穴に突っ込むモノが付いてるからでさ。いや、それは君にも付いてるんだろうけど。――突っ込む穴の感触は多少違いはあるだろうけど、そういう意味で男が抱くのは多少違いがあるのかも知れないけど、女が『抱く』って言うのは、それとは全然違うことだよ。それも、女に『抱かれる』なんてのは、君が思っているのよりも、もっと違う――セックスっていう概念が、そもそも別のものなんだと思った方が良いよ。――それで本当に平気なわけ? 大丈夫なの?」  青年の目が微かに揺れた。視線が剥き出しの私の乳房に行って、気まずそうに逸らされる。その目に欲情の色は無い。「女」という生き物に対して、相手が抱いているだろう「戸惑い」だけがダイレクトに伝わってくる。  XとY。  たかが染色体の違いだ。  そのために、こんなに苦悩する男がいる。女もいる。人間っていうのは、なんて不思議なものなのだと思う。たかが欲情――つまるところ発情の証だ。それなのに、この世に生まれ落ちた時から、男にしか欲情しない男や、女にしか欲情しない女や、ただの身勝手な性欲を振り回すだけの――私みたいな妙な生き物がいるということは、どういうことなのだろう。  軽く肩を押しても倒れない。どれだけ細くても華奢でも、女のそれと違う身体をベッドの上に倒して、着ていたシャツをひん剥いた。  薄っぺらな身体に、薄い色の乳首が二つ。  跨がって見下ろした青年の顔は、なんだか泣きそうだった。  首のあたりから、するりと指先で身体をたどる。青年の身体がひくりと揺れた。そのまま私は相手の乳首を摘むようにして、弄くる。青年の肌に、さぁっと鳥肌が浮かんだ。  欲情、の方では無い。  嫌悪とか拒絶の類のそれだ。  柔らかい女の手。  それに「抱かれる」ということに、ようやく思い至ったような顔をしている。青年が生まれて何年経つのか知らないが、私みたいな――タチの悪い素人――のと違い、真面目に男を好きな男として生きて来たのだろう。悩んだり、社会との折り合いをつけたり、そうして苦しくなって、だから私みたいな奴に頼るぐらいに弱り切ってしまったのだ。  私は屈み込んで青年の体に唇を落とす。萎えた性器を扱くのは止めて、その奥の――触れられることを想定して、綺麗に洗われた窄まりをつつくようにして探る。 ベッドのサイドボードの中に、封切り型のローションと、避妊具が準備されていることを、このホテルの常連の私は知っている。  青年をズボンを下着ごと引きずりおろして、足を大きく広げさせた。ローションのパウチを切って、青年のそこにとろみを帯びた液体を垂らす。  押し殺すような声が聞こえた。  たかだが抱くだけ、抱かれるだけ。  それでも、私たちっていうのは――。 「ごめんなさいッ」  悲鳴のような謝罪と同時に、突き飛ばされて私はベッドの上に無様に転がった。もつれるように、ベッドから飛び降りた青年が、這いずるようにしてバスルームを目指す。しばらくすると中途半端に開いたドアの向こうから、苦しげな息づかいと、吐瀉の音が響いてきた。  ほとんど全裸のままに天井を見上げて、私は何とも言えない複雑な気持ちを味わった。私はのろのろと自分の手を持ち上げて眺める。 女のそれにしては、どちらかというと骨っぽい掌だ。 それでも、女の手だ。 「くそったれ」  吐き捨てるように言いながら、私は奥歯を噛み締めた。  一回ぐらい。  そう、たかが一回ぐらい。  優しく抱いてやりたかった。戯れのように「可愛い私の子」と囁きながら、快楽に溺れさせてやりたかった。  バスルームから青年がふらふらと出て来る。  私はベッドから起き上がって、おざなりにブラジャーを付けながら口を開いた。 「吐いた口直しにさ、食べよう。バームクーヘン」  蒼白い顔をした青年は、私の言葉に少しだけ眉根を寄せて、それから力無く笑った。
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