ヨリどりミドリ、エリすぐり

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ヨリどりミドリ、エリすぐり

 園田愛莉(そのだ・えり)は退屈な時間をもてあましていた。親友の築島翠(つきしま・みどり)がお見舞いに来ないひとりの時間は、検温と朝昼晩の食事以外、病院のベッドでゴロゴロしながら読書をするか、眠るしかやることがない。足のけがで自由に歩き回れないから仕方ないのだが、病室にWi―Fiがないことは計算外だった。入院3日目にしてギガを使い果たしてしまい、テキスト以外の通信が不能になってしまった。  ミドリはここ数日、姿を見せない。LINEを送っても返信がないし、既読にもならない。何か機嫌を損なうことをしたり、口走ったりしたのではないかと心配になり、会話をあれこれ思いだしてみると、何もかもが原因だったような気がして落ち込んだ。  ミドリは小学校以来の幼なじみだ。気が強くすらりとした長身で、容姿端麗かつ成績優秀。一方のエリは「よく見るとかわいい」が友人の大方の評価で、成績は中の上くらい。自己主張がなく、誰にでも付和雷同するので敵はいない。気性は正反対なのだが、ミドリはなぜかエリがお気に入りだった。エリもミドリといると楽しかったので大歓迎だったが、クラスメイトはミドリといっしょにいるエリには近づこうとしなかった。なにやら近づきがたい雰囲気があるのだそうだ。  ミドリがエリに固執する理由は、ある日の帰宅途中に本人の口から明かされた。その日の夕日が妙に赤く、艶めかしく見えたことをエリは今でも鮮明に覚えている。 「ねえ、エリ。エリはさ、誰か好きな人、いるの?」滅多に恋バナをしないミドリの口から意外な質問が飛び出した。 「バスケ部の工藤くんにはチョコをあげたことあるけど、高嶺の花だよ。アイドルの追っかけみたいなノリかなあ。親には、あんたは幼いねって言われるよ」エリは親の口まねをして笑った。 「私はいるよ。ずっと好きな人」 「えっ、まじ?気付かなかったなあ。ミドリって全然、男子に興味なさそうだったから。ひょっとして他校の男子?あっ、年上の大学生とか?」。エリは衝撃の告白に興味津々だった。 「違うよ。男子じゃないし」 「えっ?」 「私さ、女の子が好きなの。ぶっちゃけエリが好き」 「えっ…」 「引いた?」 「いや、その、いまいちよく分からないんだけど…」ミドリはエリの混乱を予想していたように丁寧かつ具体的に説明してくれた。 「要するにさ、私はエリとデートがしたいし、エリにキスしたいし、エリと裸で抱き合いたいってこと。普通の友達のふりをするのがだんだんつらくなってきちゃってさ。嫌われてもいいから正直に言おうと思ったの。もちろん嫌われたくはないけど…」 「嫌いになんかならないよ。でも、恋愛対象として見たことないからさ、どうしていいかわかんないというか…」エリは偽らざる心境を告げた。 「だよね。突然、こんなこと言われても困るよね。いいの。ゆっくり考えてみて。最初から可能性を否定されるのはつらいからさ。明日からも普通に接してなんて言ったら虫がいいかもしれないけど、できればそうしてほしいんだ。だめかな?」 「も、もちろんだよ」 「よかった。じゃあね、また明日」ミドリが坂道を走って去って行くのをエリは呆然と見送った。エリは得体の知れない世界に突然放り込まれて思考が右往左往していた。  エリはその夜、ベッドの中で寝返りを打ちながらミドリと恋人同士になった自分を想像してみたが、未経験のキスシーンやベッドシーンはどうしても映像がぼやけてしまう。明日からどうミドリと接すればいいのだろうか。何事もなかったように振る舞える自信がなかった。  エリは悶々と眠れぬ夜を過ごした。「あんた、どうしたの?目が真っ赤だよ」と母は心配したが、本当の理由は言えず、「SNSをやり過ぎた」とごまかした。両親は食堂「そのだ」を経営しており、平日は毎日朝から晩まで忙しい。放課後はエリも店を手伝う。母は「具合が悪くなったら保健室に行って仮眠しなさいよ」と言い残し、店の開店準備に取りかかった。エリは「うん、分かった」と生返事して家を出た。 「おはよう」いきなり声を掛けられてエリはギクリとした。ミドリだった。いつもは学校に近いミドリの家の前で待ち合わせして登校するので驚いた。昨日の告白を気にしてエリを待ち伏せしたのは明らかだった。 「びっくりしたあ」エリは無理に笑顔をつくった。 「ごめん。心配になっちゃって。混乱して眠れなかっただろうなと思ったからさ。迎えにきちゃった」ミドリはなんでもお見通しだった。 「ばれた?実は寝不足なんだよね。考えても、考えてもよくわからなくてさ。ごめんね」 「謝るのはこっちだよ。真剣に考えてくれるのはうれしいけど、深刻にならないでね。体調を崩したりしたらたいへんだからさ」ミドリは申し訳なさそうに言った。 「うん、気を付けるよ。じゃあ、たまに真剣に考えるようにする。答えを出すのに時間がかかるかもしれないけど」 「それでいいよ。ありがとう」  ミドリと普通に会話ができて安心したのかもしれない。エリは登校途中で猛烈な睡魔に襲われた。普段ならなんてことない坂道で足がもつれた。 「あっ」 「エリ!」 エリにはその後の記憶がなかった。気がつくと頭や足に包帯を巻かれてベッドの上に横たわっていた。隣にはミドリがいた。泣き腫らした目をしていた。看護師に聞いたところ、救急車の手配や実家への連絡、入院の手配から準備まで全てミドリが1人でやってくれたらしい。 「エリ、よかった、気がついて」ミドリの大きな目からはらはらと涙がこぼれ落ちた。 「ごめんね、心配かけて。急に眠くなっちゃって」 「私のせいだよ。本当にごめん。一生懸命、看病するから。ずっとそばにいるから」責任感の強いミドリは本当に寝ずの看病をしそうな気配だった。 「ミドリのせいじゃないよ。ちゃんと学校に行って、お願いだから。そうじゃないと私が責任を感じちゃう」押し問答の末、ミドリは学校にきちんと通い、放課後と週末だけお見舞いに来ることで納得してくれた。エリは足首の複雑骨折で全治一カ月と診断され、長い入院生活に突入した。ミドリとの関係も濃密になり、数日後の土曜日に最初の「事件」が起きた。 「エリ、頼まれていた漫画を持ってきたよ」平日は制服姿で現れるミドリが、おめかしして面会時間の開始ちょうどに顔を出した。 「わあ、ありがとう。活字が多いと目がちかちかしちゃってさ。私はやっぱり漫画がいいなあ」エリはうきうきしてバッグを受け取った。これ、これ。愛読している少女漫画の雑誌だ。すでにたくさんの文庫本を届けてくれていたが、読書をする習慣がないのではかどっていなかった。ミドリは、授業で教わったことをノートにまとめて毎日持ってきてくれた。クラスで起こった出来事も詳しく話してくれた。 「でね、リホちゃんが今日、とうとう工藤くんにコクったんだって。どうなったと思う?」リホはクラスで一番かわいいと人気の女子だった。工藤くんはバスケ部のスター。悔しいけど、お似合いのカップルだとエリは思った。 「お似合いだよね。うまくいったんじゃない?」 「それがね。他に好きな人がいるからって断られたんだって。びっくりだよね」エリも驚いた。「へえ。他に好きな人が。誰だろう」 「それは謎なんだ。リホが工藤くんを問い詰めたけど、答えてくれなかったみたい」 「ところで、エリ、シャワーはどうしているの?看護師さんが手伝ってくれるの?」ミドリが思いだしたように尋ねた。 「お風呂はしばらく無理みたい。シャワー室も狭くて松葉杖だと危ないから、ぬれたタオルで体を拭いているの」 「背中とか手が届かなくて不便でしょ。私が拭いてあげるよ」 「恥ずかしいからいいよ。それとも私、臭う?」エリは自分の体をクンクンとかいで見せた。ミドリは笑って「臭わないよ。部屋を暗くして拭くからいいでしょ?それともあんな告白したから警戒されているわけ?」  エリはどきりとした。「そうじゃないけど、親に拭いてもらうのだって断っているんだよ」とやんわり拒絶したが、ミドリは意に介さず、「遠慮しないで」と席を立ってカーテンを閉め、タオルを水でぬらし始めた。 「はい、じゃあ脱いで」ミドリは薄暗い病室でぬれタオルを広げながら言った。エリは観念するしかなさそうだった。「あんまり見ないでよ」エリは上半身をはだけてベッドにうつぶせになった。タオルがひんやりして気持ちよかった。ミドリは入念に背中を拭いてくれた。「じゃあ、次は下ね」「えっ」エリが抵抗する間もなく、ミドリにパジャマのズボンと下着を下ろされてしまった。エリは慌てて「ミドリ、いいよ、自分でできるよ」と逃れようとしたが、ミドリに抑え込まれてしまった。「だめだよ。いいかげんにしているとかぶれたりするんだよ」と言って新しいぬれタオルで拭き始めた。時折、ミドリの冷たい指が尻に触れると、なんとも言えない羞恥心とくすぐったさがこみ上げた。 「じゃあ、上向きになって」「もういいよ。前は自分で拭けるから。本当に恥ずかしいんだよ」エリは必死に断ったが、ミドリにくるりと態勢を変えられてしまった。真っ裸でベッドに横たわっている事態にとまどい、エリは大事なところを無意識に隠した。ミドリは首から順番に体を拭き始めた。はじめは優しく、次第に強く、ミドリのタオルは宝物を磨くようにエリの体を上下した。「そんなことしたら拭けないよ」ミドリはエリの右手を優しく排除して、愛撫するように胸を拭き始めた。エリは頭がボーとして何も考えられず、顔は火照るように熱かった。ミドリの指が乳首に触れると、「あっ」と小さな声が漏れてしまった。「もうやめてよ。お願いだから」ミホが体をひねると、ミドリは「ごめん、ごめん。ちょっと触っちゃったね。気を付けるよ」とエリの頭を撫でながら体を仰向けに直し、お腹から下を拭き始めた。病室はタオルのこすれる音と、ミドリとエリの吐息の湿った音で溢れた。足の指を1本ずつ丁寧に拭き、ふくらはぎから太ももの付け根にタオルが進むと、エリは緊張して陰部を隠した左手に自然と力が入った。ミドリはエリの左手を優しく撫でて、「ちょっとごめんね」と言いながら手をどかそうとした。エリは拒否したが、ミドリに「エリ、お願いだから」と懇願されて力を抜いてしまった。ミドリは、エリが嫌がらないよう注意深く拭いたが、長くて冷たい指がどうしても敏感な部分の周囲に触る。エリは少しぬれていることを自覚して当惑し、いつの間にかすすり泣いていた。    エリに下着とパジャマを優しく着せると、ミドリが「嫌だったの?」と尋ねた。エリは「やっぱり恥ずかしいよ。こんなの無理だよ」と泣きじゃくりながら答えた。「でも体はちゃんと拭かないと」「明日からは看護師さんに手伝ってもらうから」「私じゃ嫌なんだね。あんな告白したからだよね。気持ち悪いよね、やっぱ」ミドリがみるみる落胆していくのが声で分かった。エリは慌てて「違うよ、気持ちよくなるのが嫌なの。私、そういうの経験ないから。すごく戸惑っているの。怖いんだよ」と弁解たが、ミドリは「もういいよ」と吐き捨てて病室を出て行ってしまった。エリは慌ててミドリに電話したが、着信拒否された。LINEのメッセージも既読にならなかった。ミドリに嫌われたら学校生活から取り残されるのではないか。そんな恐怖に取りつかれ、エリは何度も謝罪のメッセージを送った。「ミドリの好意を拒むようなことを言ってごめんね。もう嫌がらないから許してよ」何十回目かのメッセージにようやくミドリから返信が来た。「わかってくれてうれしい。また月曜日ね」機嫌が直ってほっとしたが、エリは、ミドリの要求がエスカレートするのではないかと不安にもなった。  翌朝、両親が面会に来てくれた。日曜日は食堂が休みなのだ。着替えやらエリの好物やら大量の荷物は、知らない男の人が抱えていた。 「エリ、思ったより元気そうでよかった。今回はミドリちゃんのおかげで本当に助かったわ。何かお礼しなくちゃね」 「退院したらね。荷物を持っているのはどなたなの?」 「ああ、紹介するのを忘れていた。あんたが入院してしまったんで、期間限定でアルバイトを雇ったの。大学院生のヨリくん。頼良(よりよし)なんて武士みたいな名前だからヨリくん、て呼んでるの」母が笑って紹介した。 「ヨリヨシです。とんだ災難でしたね。何か必要なものがあったらいつでも持ってきますので、遠慮なく言ってください」ヨリくんは気さくでよさそうな人だった。年齢より若く見えるし、ルックスも悪くない。白いシャツに細めのスラックスはシンプルかつ清潔でエリ好みだった。 「Wi―Fiがほしい!スマホが使えなくて困っているの。パパ、ママ、いいでしょ。期間限定で借りてよ。お願いします!」 「じゃあ、期間限定でね。ヨリくんに選んでもらうわ」。ヨリは「安くていいやつ選びますよ」と請け負った。 「ヨリさんは大学院で何を勉強しているの?」エリは好奇心で尋ねた。「心理学です。あまりお金になりそうにないですけど」ヨリは笑った。 「ヨリくん、そろそろ荷物を置いたらどうだい」。父が見かねて言った。「ああ、そうでした」とヨリはベッドの脇のテーブルに荷物を置いた。ひとしきり雑談をして洗濯物を受け取ると、両親とヨリは帰ってしまった。病室にぽつんと取り残されたエリは漫画を読んで過ごしたが、ミドリのことを考えると集中できなかった。  月曜日の放課後、ミドリはご機嫌で病室に現れた。エリはほっとした。学校での出来事や授業の内容をひととおりしゃべると、ミドリは当然のようにカーテンを閉めてタオルをぬらし始めた。エリはもう抵抗しないと約束してしまったことを後悔した。何も感じないように頭を空っぽにして歯を食いしばったが、ミドリの愛撫は執拗だった。ようやく解放されたときは体中が火照ってくたくただった。「嫌だった?」ミドリは2日前の質問を繰り返した。エリは首を振るのがやっとだった。少し休もうと横になると、ミドリが覆いかぶさり、唇を重ねてきた。ミドリは優しく激しくエリの口を吸い、舌を絡ませた。エリが驚きと恐怖でミドリを引き離そうとしていると、病室のドアをノックする音が聞こえた。 「エリさん、ヨリです。お母さんに頼まれたWi―Fiを持ってきました」「ど、どうぞ」ミドリが突然の来訪者に気を取られた隙に、エリはベッドに潜り込んで返事をした。ミドリは敵意むき出しでドアをにらんでいた。 「お客さんでしたか。エリさんの家の食堂でアルバイトしている者です。こんにちは」ヨリは恐縮しながら自己紹介した。 「初めまして。帰るところだったので、どうぞごゆっくり。また明日ね」ミドリは挨拶もせず、さっさと帰ってしまった。 「ありがとうございます。助かります」 「いえいえ、これで陸の孤島とはおさらばですね。どうかしましたか?ひどく疲れているようですが」。エリは動揺を悟られないように笑顔でお礼を言ったのだが、ただならぬ雰囲気を感じたのかヨリが心配そうに尋ねた。「よかったら相談に乗りますよ。僕はエリさんの味方です」ヨリの笑顔を見ているうちに涙が溢れ、エリは入院してからの異常な体験を打ち明けた。ヨリは時折、ふむふむとうなずきながら黙って聞いていた。 「ミドリさんのことを詳しく聞かせてください。ミドリさんの家族のことも。どんな些細なことでも構いません」ヨリの質問はこれひとつだった。エリはミドリについて知っていることを全て伝えた。 「早く手を打った方がよさそうですね。あすは仮病を使って面会謝絶にしましょう。看護師さんに頼んでみます。ミドリさんからLINEや電話が来ても無視してくださいね」ヨリは言葉を尽くしてエリを安心させ病室を後にした。エリは胸の内を洗いざらい吐き出して安心したのか、泥のように眠ってしまった。  翌日もその翌日もミドリからは何の連絡もなかった。ヨリは心配するなと言ったが、無理というものだ。その次の日、ヨリがふらりと病室を訪れた。「エリさん、お母さんから漫画の差し入れですよ」「あっ、ありがとうございます。何度もすみません」。エリは、ヨリに荷物運びをやらせている母に代わって侘び、一番気になっていることを尋ねた。 「あの、ミドリから全く連絡がないんです。何かあったとしか考えられません」ヨリが漫画をベッド脇の机に置くと、ぽつりと告げた。「ミドリさんは引っ越しすることになりました。ご両親が離婚することになりましてね。母親の実家がある北海道に行くそうです」エリは驚いた。あまりにも急すぎる。「一体何をしたんですか?まさかミドリを傷つけるようなことしていないですよね!」エリに問い詰められてもヨリは涼しい顔だった。 「僕はミドリさんの母親とお茶をして、ミドリさんの病について説明し、治療できるのはあなたしかいないと説明しただけです」 「病気?ミドリは病気なんですか?」 「ええ。簡単に言いますと、弱者を守り愛したいという強迫観念に取りつかれています。父親は傲慢ですぐに暴力を振るう。母親はいつも殴られていた。ミドリさんは母親を守りたいけど、父親が怖くてできない。そんな自分が許せず、守る対象をエリさんに無意識にすり替えたのだと思います。事態をややこしくしたのは、ミドリさんが父親を激しく憎んでいることです。憎しみはどんどん大きくなり男性全般を嫌悪するようになって、ついに自分は女性しか愛せないのだと思い込んでしまった。すごく悩み、焦ったと思いますよ。自分には一生、恋人ができないのではないかと。ミドリさんは聡明だが、猪突猛進で少々、思い込みが激しいところがあります。エリさんを守り愛する行為は葛藤の中で歪み、暴走してしまったのだと思います」 「ミドリはいまどうしてるんです?自殺したりしないですよね?」エリは心配で仕方なかった。 「今はきっと混乱しているでしょうね。ミドリさんの母親は父親を刑事告発するそうです。これからはあなたを暴力や理不尽から守り、ちゃんと愛しますというミドリさんへの誓約とメッセージです。守り続ければ、ミドリさんの病は癒えるでしょう。きっと元気になってエリさんに連絡をくれると思いますよ。友情に嘘はなかったと思いますから」  エリは、衝撃で言葉を失った。自分の下手な説明から適切な処方箋を見つけて短期間で問題を解決したヨリにも驚いた。 「あなた一体何者なの?」 「えっ?僕はK大の大学院で…」 「嘘つき。精神科医かなんかでしょ」 「いや違いますよ」ヨリはしどろもどろだったが、とうとう正体は明かさず「アルバイトがあるので失礼します」と逃げるように帰ってしまった。  病室にひとり取り残され、エリは不安になってきた。「ミドリ…」親友のいないこれからの日常を想像して途方に暮れた。  ヨリが病院の正面玄関を出ると、甥っ子にと呼び止められた。「おじさん!」「頼人(よりひと)か。ずっと待ってたのか?」「エリはどうだった?」「あなたは何者なの?って問い詰められたよ。自分を支配してきたミドリという『超自我』を失ったわけだから、しばらくは混乱するだろうけど、あの子は大丈夫。おまえが隣で支えてあげれば元気になる」「そのつもりなんだけどさ、自分からはコクったことないからどうしていいか分からないんだよ」「バスケ部のエースはモテモテでいいな。だけど、もう無料奉仕はしないぞ。僕はこう見えても忙しいんだ」「K大心理学部の最年少准教授だもんね、工藤頼良(くどう・よりよし)は。でも興味深い患者がいると、体が勝手に動いちゃうんでしょ?」「わかっているならもう興味深い患者は紹介しないでくれよな」                               (完)
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