雪と睡眠薬

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2.ゴミ箱行き  ただボケーっと生きているだけ、みたいな人にでも、大切な物はある。  その大切な物が傷つけられたとき、その人がどう思うか。  私だったら、どう思うか――  誰もいない女子トイレで、ただ一点だけを見つめて、私は考える。  それが始まったのは、つい最近のこと。  原因は私の怒りっぽい性格と…もっと根本的なことを言えば、転校生である〔新井 悠〕の持つ、独特の威圧感。  今までクラスメイト達は、私を放っておいていたし、〔新井さん〕に関しては陰口を言ったり、避けたりしているだけだった。  ……それがいじめに発展したのが、三日前。  きっかけは本当に短い出来事だった。  〔新井さん〕への悪口は、毎日少しずつ、声の大きさと内容がエスカレートしていて、ある日、それがどうしても聞くに堪えなくなってしまって。  だから私は言った。大きな声で。  ――うるさい、黙れと。  そんなようなことを。  怒りに我を忘れていたから、あの時のことは、あまりはっきりしない。  ただ、クラスメイトのしかめっ面と、その場に居合わせていた〔新井さん〕の呆けたようなカオだけが、脳裏に焼き付いている。    それからは、自分の物が失くなったと思えばだいたい女子トイレのゴミ箱の中。下駄箱に入れたはずの靴も近くのゴミ箱。盗まれないようにわざわざ名前を書いておいた傘は目立つところに勝手に放られていて、先生に注意される。見たら穴も開いていた。  よく、テレビや小説などで見るようなものに比べたら、まだまだ序の口なんだろうか?  ……初めて向けられた、明確な悪意。他人(ひと)とまともに接してこなかった私にとっては、それがかなり痛かった。  涙を流してはいけなかった。  私が正しいから、弱いところは自分にも見せないようにしなければならない。  私が怒ってしまったせいで、〔新井さん〕まで嫌がらせを受けるようになってしまった。その責任も負わなければならない。  そう思うと、なぜだか余計につらくなった。  〔新井さん〕はやっぱりいつも通りなようだった。でも、クラスメイトが私に〔新井さん〕への伝言を頼むことがなくなったから、接点もなくなってしまった。……元々、連絡ごとだけを伝え合うだけの関係だったのでしかたがない。  そんな感じで、私たちがいつまでも嫌がる様子を見せないので、クラスメイトは心を折りやすそうな私にターゲットをしぼったらしい。  その日は、よく晴れていた。  〔新井さん〕が転入してきて二カ月余り、いじめが始まって四週間の時が過ぎた。  季節は冬。まだ、雪は降っていなかった。  どこを探しても、筆箱が見つからない。たしかに、昼休みまではあったのに。  まさか、と思った。  私は筆箱を一つしか持っていなかった。大切な物だったので、盗られないように肌身離さず持っていた。  放課後、見つけてしまったソレは、予想通りの場所に、予想よりひどい状態でそこにあった。  ――それから先のことは、よく覚えていない。  気がついたら、一人で自分の部屋の布団の中で震えていた。  それから、怒気を帯びた母の、夕飯を知らせる声。  私はこれ以上の罰が恐ろしくて、居間へ向かった。  母が怖い。  情緒が不安定で、何か言うとそれだけで怒る。  私を出来損ないと罵る。  せめて普通でいろと言う。  父はいない。私が生まれてすぐに交通事故で死んだ。  姉はとっくに独り立ちしていて、ほとんど会ったことがない。  誰も、私自身を見てくれはしない。  母は何も言わずに冷めた夕飯を机に出した。  「いただきます」と小さな声で言って、おかずを口に運ぶ。濃い味付けが好きな母にしては味が薄い。  そして私は、いつも通りを取り繕って一日を終えた。寝る時は、何も考えないように本を読んで、自分が勝手に寝てしまうまで待った…… ……夢を見た。 私は、いつも通り学校に来て、憂鬱な気分で席に着こうとして、気づくのだ。 ーー自分の席が無いことに。 私の机と椅子があった場所には、どうしようもない半端な空間ができていた。 急いで職員室へ向かい、先生に事情を聞くと。 「ああ、五十嵐さん。もう学校、来なくていいですよ」 それだけ言って、何もなかったかのように作業を再開した。 他の先生に聞いても同じことだった。 異口同音にして発せられる言葉には、いつも拒絶の色が混じっていた。 怖くなって、家に駆け戻ったが、母は何も知らないらしく、一も二もなく私を追い出した。 ……居場所が無い。 居場所が欲しい。 どこにあるの……? どうして誰もいないの? なんで、私ばっかりこんなに辛いの……。 ただ嘆いているだけの私の前に、不意に〔新井さん〕が現れて、そして、こう言うのだ…… 「居場所が欲しいなら、死ぬのがいいでしょうね」  朝だ。  目が覚めたら、私の傍らに何冊かの本がぐしゃぐしゃになって放り出されていた。  ……いつもより少し遅く起きたようだ。  すぐに朝食へ向かう。  外を見たら雪が降っていた。  母が携帯を見ながら、「今日、学校二時間遅れだって」と言う。  ……大した積雪量ではなさそうだが、少し吹雪いている。 いつの間にか、死を恐れていた前の私もゴミ箱に捨てられたらしい。
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