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あたたかい教室内にたどり着いて、桂はようやくほっと一息つけた。通学中、嵐がいると痴漢などのトラブルに会うことはないが、その分小言が厄介だ。あたたかい格好をしろ、早めに帰れ、無理はしすぎるな。どの小言も桂を気遣ってのものだが、回数が増せばうんさりとする。
「桂ちゃん、おはよー」
「……おはよう。美香ちゃん」
なるべくどもらず間をおいて、言葉は大きくはっきりと、呼べる時は相手の名を呼ぶ、という嵐の教えを守りながら桂は挨拶に応じる。これで大人びた普通の女子に見えるというのだから、嵐のコミュ力指南は大したものだ。人見知りな自分にはまだ無理のないキャラだろう。
この友人は美香。千歳からの紹介で親しくなった。明るくて人当たりのいい子だが、少し難点もある。
「今日も嵐君と登校してたね。仲良くて羨ましいな」
コートを脱ぎながらロッカーにしまう。それだけでも彼女は嵐の話題を口にした。どうやら嵐の事が好きらしい。だから桂に積極的に声をかけては嵐の話をするのだろう。
「ほんと、はやく彼女でも作って妹離れしてくれるといいんだけど」
この場合はこう言ったほうがいいのでは、と計算しながら桂は返す。この短い言葉で嵐に恋人がいない、恋人ができたほうが自分には都合がいいと美香に伝えられる。
「嵐君、なんで彼女作らないの?」
「……確か、中学生のときにとっかえひっかえだったからもういいとか言ってたような……」
言ってしまってから、少しばかりショックを受けたかのような美香に桂は失敗したと気付く。好きな相手が過去複数の異性と付き合っていたというのはショックだろう。しかし見た目が大人びている嵐ならありえることで、美香はすぐいつもの調子に戻る。
「その彼女ってどういう感じの子なの? 千歳みたいな? それとも年上とか?」
「ええと……会ったことはないの。紹介してもらったこともなくて。だから見栄をはって女たらしのふりをしている可能性もなくはない」
「なくはない!? っふふ、桂ちゃん、おもしろいね」
小さく吹き出すよう笑う美香だが、桂はそれが『笑わせた』のか『笑われた』のかもわからなかった。ネガティブな桂は『笑われた』かもしれないと考えて焦る。
「ちなみに桂ちゃん、彼氏とかいる?」
「……今はいない」
「そっか。『今は』か」
繰り返されて、自分が『今恋人がいないだけ』を装ってしまった事に桂は気付く。これでは嵐を『見栄をはって女たらしのふりをしている』を言えない。男子なんて嵐かなずなか、物語の中の存在しか知らないのに。
「まぁ桂ちゃんならその気になれば彼氏の一人二人はできるよね。でも千歳もだけどさ、全然彼氏を作る気配ないのすごく不思議」
「あー……」
「私が千歳や桂ちゃんならもっとその見た目を活かすのにさ。とくに千歳。男子は皆ああいう子が好きなんだよね。どこ行ってもちらちら見られてるし」
「うーん……」
ここで桂の集中力は途切れた。コミュ力の限界で、間の抜けた相槌を返す事しかできなくなる。それでも相槌を返すだけ、彼女は成長したほうだ。
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