『ピョン吉』の村

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 ここで訂正を入れておきたい。この村民の皆が皆『ピョン吉』スタイルではない。この村では五分五分といった割合で『ピョン吉』スタイルと普通の格好の人が分かれている。  いや、むしろ『ピョン吉』スタイルの方が少ないんじゃないかとも思える。目立つから多数に感じていたのかもしれない。しかし、スタイルが分かれるからといって、この2者の中での軋轢は全く見当たらない。ひとつは風習であり、ひとつは表現の自由だからである。この村ではそこのところを村民皆がはっきりと認めあっている。  ただ、歴史的に、こんな高尚過ぎる理解ある納得が古代から実際にあったのか、そもそもなんの諍いもなかったのか、とはオレには分からない。この身体が動けばこの村の役場で「村史」を拝見できるかもしれないが、いかんせん「ド根性ダイコン」である。  ただただ、悔し涙を飲むばかりである。
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