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***
彼は、最低最悪の嘘吐きだった。
「ふざけないで」
一年後。
離婚が成立して苗字が変わった私が目にしたのは、春明の名前。新聞記事でのことだった。
工場で働いていた彼が、暴力団らしき男にリンチされて殺された、とのこと。私は春明の弟から、電話で涙ながらに事情を説明されることになる。
「ふざけないで」
そう思ったのは、彼に対してだけではない。自分に対してもだ。何故、気づくことができなかったのだろう。嫉妬深い自分が、彼が“不倫している”と宣言するまで、彼の周囲に女性の影を一切感じていなかった。時々携帯をこっそり覗くなんてことさえしていたというのに、全く察知していなかったのである。
それなのに何故彼は、好きな人が出来たから別れてくれなんて言ったのか。
何故彼は、銀行から自分のお金をありったけ降ろして我が家に置いていったのか。
何故彼は、私の家を出ていくと同時に勤め先をやめていったのか。
何故彼は、両親と不仲であったのか。両親と会うのも控えていたのか。
何故彼は――彼は。ああ、彼は、自分達にあんな酷い言い方をして、何もかも捨てるように行方をくらましたのか。
「嘘吐き。本当に、嘘吐きじゃない……っ!」
彼の父は、度を超えたお人よしだった。友人の借金の連帯保証人になってしまい、かなり黒い場所から書いていたその多額の借金を一気に背負うことになってしまったらしい。だが、既に仕事をしていなかった年老いた彼の父に、支払い能力などほとんど無いにも等しかった。借金取りの手がその息子たちの方にまで伸びてくるのは時間の問題だと、彼は悟ったのである。
だから、家族を、私と息子を捨てたのだ。恐ろしい連中から、守る方法がそれしかなかったから。
好きな人ができた、不倫をしている。それが、私にとって一番許せない理由になることを、そういえば離婚に繋がるはずだという確信があったからだ。
「一緒に、一緒に乗り越えて行こうって言ったくせに。嘘吐き、嘘吐き……っ!」
『君のことなんか全然好きじゃない。完全に愛想が尽きた。秋留のことはちょっとだけ気がかりだけど、君の血が入った子供なんかもう可愛いともなんとも思えない。だからここに捨ててく。俺はここからは自由に、彼女と一緒に生きることにする。慰謝料でも養育費でもなんでも置いていくし俺の私物は処分していいから、さっさと別れてくれ。君ももうこんな男は嫌だろ?』
あれが全部、真逆の意味だと気づいていたら。あの時縋りついてでも彼を止めていたら、信じていたら、何かは変わっていたのだろうか。彼が、父親の背負ってしまった借金を返すため、地元の工場で過労死寸前になるほど働いて――それでもどうにもならなくて殺されるなんて、そんな無残な最期を遂げさせずに済んだのだろうか。
どれほど虚空に問いかけても、返事は来ない。
馬鹿馬鹿しいほど優しく残酷な嘘を抱いて、慟哭はいつまでも部屋に響き続けたのだった。
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