嘘(ウソ)

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 六本木ヒルズの明るい姿が眺められる。ヒルズ族、なんて言葉が流行った時期もある。そのようなセレブな世界に桜はひとつも興味がなかった。長いストレートの髪をかき上げて、頭を何度か横に振る。変な時間にうたた寝をしたバチが当たったようだ。  ビールとタバコの犯人は、イチ。桜は彼をイチと呼んでいる。本名は知らない。桜と同じ39歳ということしか知らない。SNSを通して出会い、勢いで部屋に招き入れ、寝て起きて寝て、半同棲のような生活をしている。イチは自分自身をヒルズ族だったと笑って言う。嘘に決まっているので、桜は無視した。  窓から夜の景色を見つめる。都会は明るくて、空の星は見ることができない。見えてもせいぜい冬のオリオン。星座に詳しくない桜には、人の息づく夜景のほうが好きだった。  大きなビルが見える。明かりが点滅する。遠くで電車の音がする。がたん、ごとん、がたん。電車の音がよく聞こえると、雨が近いと聞いた。しかし夜空には雲ひとつない。10年もの間、同じ夜景を見てきた。日々、新しいビルが建っていく。それでも桜は飽きずに夜景を見つめてきた。イチもこの景色が好きだと言った。夜景の弱い光に照らされた桜の横顔がきれいだと、つまらない台詞を吐いた。イチという得体の知れない男が部屋にいることは、恐怖よりもなぜか安心感がある。どうしても悪い奴には思えなかった。
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