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イチは気まぐれに部屋に来て、桜を抱いて、桜のために朝食を作り、気まぐれに出て行く。その日のうちにまた来ることもあれば、3日程度の間が空くこともある。妙な共同生活がもう2年も続いていた。「桜、結婚しようか」と囁かれたことがあったが、相手にはしていない。結婚というものに桜は興味がない。一人で働いて、一人で食っていく。これが一番楽なのだ。
玄関の鍵の音がした。ドアを開けてイチが入ってくる。電気をつけようとしたのを察し、桜は「暗いままにしておいて」と少しだけ大きな声で言った。
「起きてたのか」
「さっきね」
コンビニ袋を下げたイチは、ガサリと音を立ててそれをテーブルに置いた。
骨張った指が伸びてきて、桜の長い髪に触れる。イチの行動に桜は無表情だった。
「好きだな、その顔。ブスで」
「ブスで悪かったわね」
「嘘だよ、きれいだよ」
「そう、ありがとう」
遠く、車が走り続ける音が耳にこだまする。都心の夜景は明るく、騒音はうるさく、窓を開ければ排気ガスのにおいがする。
「晩メシ買ってきた。この前、桜が旨いって言ってたやつ」
イチはガサガサと袋を開く。おいしいって言ったもの、なんだっけ。指先で自分の唇を撫でながら桜はイチの動きを見ていた。暗闇に慣れた目が、イチの手元の小さなパックを見つける。
「ああ、チキンライスね」
「そう。旨いって言ってただろ」
「ケチャップがおいしいのよ、これ。ありがとう」
「俺は適当につまみ」
電子レンジでそれぞれを温め、ソファとテーブルで気だるく酒盛りを始める。ゴールデンウィークなんて、なにひとつすることはなかった。イチが大きな音を立てて缶ビールを開けた。桜にはウーロン茶を。酒もタバコもやらない桜には、お茶と食べ物があればそれで構わない。
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