ミステリアスな神社「蚕の社」その3

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ミステリアスな神社「蚕の社」その3

参道からそれた脇道に、ひっそりと石橋がかかっています。両側に狛犬ならぬ狐が鎮座していました。fa4dbc81-c7f2-4ee4-a1d8-ad68f3870963 進んでみると、石畳は三方向に分かれっていて、沢山の祠がありました。椿丘大明神の石塔があるだけで、謂れなどの説明もないため、まずは奥に入っていきました。     ↓ ↓↓ ↓adba7854-1c5d-4f6a-bef4-ada8375c0257 左にあるやや大きい祠。なんだか異様な雰囲気をぷんぷんと漂わせています。というわけで、お詣りしました。ですが写真は撮りませんでした。 撮ってはいけない。そう思わせるほど、その祠らから異様な雰囲気が漂っていたのです。 私が祠の前に立つと…。 木々の間からパチン、パチンと音が鳴ります。何かが落ちているのか、木が鳴っているなか、パチン、パチンと弾けるような音はラップ音のようにも聞こえます。祠は石組みの半地下。暗闇の中に、ぼんやりと二体の白い狐が見えました。 d386c4e9-faf7-4c6e-b15a-314083617263 祠には白清社と掘られていました。つまりは稲荷神社です。中に入ってお詣りするのを躊躇させるほどの、異様な圧。押し戻されるような圧力を感じました。これは普通じゃない。 これまで色々なところでお参りしてきましたが、ただならぬ感覚に、私は驚き、おののきました。お参りするか、このまま立ち去るか。その圧は、まるで入れるなら入ってみろといわんばかりに、来た人間を試しているようにも感じます。推し戻される感覚にしばし躊躇しましたが、勇気をだして入ってみることにしました。 石に囲まれた半地下のお社は、暗く、湿った匂いと、空気はひんやりとしていました。お賽銭を納めて、しっかり手を合わせてきました。 出てきてから、祠の横に白清塚もありましたが、いずれも謂れが書かれたものはありません。謎は深まるばかりでした……。 もしや、これがパワースポットと呼ばれている場所ではなかろうか? そう思った私は、家に帰ってから、急ぎ調べてみました。同じ感覚を持った方が何人もいらしたようです。その方たちのブログを読んでも、ただならぬ圧を感じたと書いてありました。 03bf6b2b-431c-4a6f-bdae-86fc3da79759 そして、私が偶然にも立ち寄った神社は、知る人ぞ知るパワースポットだったようです。 いろいろさぐるうちに、ある記述がみつかりました。 椿丘大明神(白清神社)は伯清稲荷大神という神様で、近くにある「天塚古墳」から出土したお稲荷様をお祀りしていたということがわかりました。 鳥肌ものです……。 明治20年。古墳の発掘のために伯清稲荷大神を木嶋神社に移しした。その際に、古墳にあったような石室に似せて、祠を石造りの半地下にしたとありました。稲荷神とは、キツネをの神様ではなく文字通り稲の神様を指します。 明治30年になって、村の女性が見た夢のお告げにより、ご本尊を、本来見つかった古墳に戻してお祀りすることになりました。ですが、木嶋神社に伯清稲荷大神のご神体があったわけですから、戻した後も、神の力が宿ったのでしょうか。現在も伯清稲荷大神の分霊としてお祀りして、この地域の信仰の対象なっているようでした。というわけで、分霊にも関わらず、今まで感じたことの無いほどのパワーでしたから、古墳にあるご神体の力はいかほどかと、恐れおののくしだいです。 伯清稲荷大神が見つかった天塚古墳とは、地名にも名が残る、秦氏のお墓です。秦氏は秦の始皇帝の末裔ともいわれ、5世紀に百済から渡ってきた弓月君「ゆみつきのきみ」という渡来人。謎多き豪族としてこの太秦の地に語り継がれています。秦氏は古来からある日本の稲荷神を氏神することで求心力を得たと考えられます。後に、秦氏は京都の伏見の地に伏見稲荷大社を創建し、勢力の拡大と共に、全国に広がったと推察されます。 また、天塚古墳には八幡神社もあることから、「はた」という読みから秦氏と関係があるというみかたもあるそうです。 7世紀始めになると、財力を蓄えた秦河勝(はたのかわかつ)は,聖徳太子から仏像を賜って,太秦に広隆寺(京都最古の寺)を建立しました。神仏を巧みに取り入れて、一大勢力、繁栄を極めた豪族だったということが伺えます。 歴史を教科書を思い出してください。784年。桓武天皇は仏教政治の腐敗から奈良から長岡京に都を移しました。そしてその十年後に794年に平安京、今の京都に都を移しました。 京都市のホームページには、長岡、京都と都を移す際に、藤原氏と、この地にいた豪族秦氏が全面的に協力したとの記述がありました。 今回の街歩きの発見では、まず、身近にある稲荷神は、日本人は古墳時代より前から信仰があったということです。日本人の祖はまさに米にあるのだなと改めて実感しました。 また、秦氏においては、一族に繁栄をもたらす養蚕をお祀りし、稲荷信仰を取り入れた。そして天皇家ともつながりがあるということです。 天皇が今の世にも、稲や蚕を大切な行事として行っているのが、私の中で腑に落ちました。 一つの神社から思わぬ歴史ロマンが広がったといえます。 これは、ぜひとも続きを歩きたいと思いました。 京都最古のお寺の広隆寺、そして伏見稲荷神社。秦氏にからむ街歩きをしたいと思います。 ※天塚古墳ついては検討中。恐らく超パワースポットと推察され、また木立の茂る鬱蒼としたところのようで、「伯清稲荷大神」を前にして、身が持たない感じです?? しばし休憩してから、今度は友人を巻き添えにして訪れたいかと思います(笑) <参考資料> 蚕ノ社(木嶋坐天照御魂神社)の境内の案内板。 ガイドブックに載らない京都 京都観光ナビ 開運日和 Wikipedia 都市史01(京都市ホームページ) 聖徳太子京都通百貨
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