鏡の裏にひそむ、聖女と悪女

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 アラグアが言うには、世界の裏側には光と闇の宝玉があるのだという。  宝玉はそれぞれ守護が持っていて、世界を安定させている。しかし百年ごとに宝玉は消えてしまう。そのたびに宝玉を再生しなくてはならないというのだ。再生させるためには人間の力が必要で、百年ごとに特別な人間が世界の裏側に現れるのだという。 「それが、ボクか?」 「そう!」 「そうよ。可哀そうなアルド」 「クトレメア! 黙っていて!」 「……えっと、再生できなかったらどうなる?」 「えっと、それは……」  アラグアは顔を歪め、両手のひらをすり合わせた。言いにくいことであるらしい。すると少しの間を置いてクトレメアの声が耳元で鳴った。 「世界が壊れるのよ」 「え?」 「ちょっと、クトレメア!」 「黙っておくことではないわ。いい? 可哀そうなアルド。宝玉が再生できなければ世界が徐々に壊れていくの」 「じゃあ! すぐに再生しないと!」 「そうよ。アルド。では、私の闇の宝玉から探しましょう」 「なんで! そうなるのよ!」  アラグアが叫ぶと、クトレメアの気配がアルドから離れた。同時に冷たい恐怖心も離れていく。 「私が最初に見つけたのに!」  離れて立っていたアラグアが、アルドに抱きつく。瞬間、畏怖が彼の心を襲い、身体を震わせた。しかしアラグアはアルドの変調に気付かなかった。 「ほとんど同時でしょう? 無分別なアラグア。可哀そうなアルドから離れなさい」 「いやよ! 私の光の宝玉が先でしょう? 私が見つけたんだもの!」 「腹立たしいアラグア。こうなったら力づくよ」  クトレメアの声がアルドの耳元で鳴った。すると大きな手が現れて、アルドの全身を掴んだ。  アルドは二人に掴まれ、身体の奥から引き裂かれそうになった。人間の女性二人ならこうはならないだろうが、どうも彼女たちは普通ではないのだ。天使か悪魔か、もしくは怪物か。少なくとも心の奥底から砕けるような恐怖によって、アルドは自身が廃人になってしまうのではないかと恐れた。 「……マ、ま、待っテ! ま、待ってく、れ!!」  アルドは残る力を振り絞り、アラグアとクトレメアを掴んで引きはがそうとした。しかしはがれない。人間の力では無理なのか。このまま壊れてしまうのか。薄れゆく意識の中でも、アルドは必死に、二人を掴んではがし取ろうとした。 「待ってくれって!! 言ってるだろ!!」  アルドが叫んだ瞬間、ぐにゃりと空気がゆがんだ。ゆがみは、鏡を触れて世界の表裏を行き来する時と似ていた。もしかして帰ることができるのかなと、アルドはわずかに安堵した。しかし手のひらには二人の女性の感触が伝わってくるままで、やはり逃げ帰ることができなかったのだとうなだれた。  空気のゆがみが落ち着くと、二人の女性はアルドから離れて倒れていた。  金と白の衣を着ているアラグアが左側に。  右には、銀と黒の衣を着ている黒髪の女性が倒れていた。  アラグア同様に黒髪の女性は気を失っているようだった。きっとこの女性がクトレメアなのだろうと、アルドは彼女に手を伸ばした。  クトレメアらしき女性の姿は、少し奇妙だった。端正な顔立ちで、長い黒髪なのは人間らしいものだった。しかし、手だけがアルドの身体と同じぐらいに大きかった。外見だけで人間ではないと分かったが、なぜか怪物だとは思わなかった。大きな手を含めて、美しい女性だと錯覚させられた。なぜ美しいと思ってしまうのか、アルドには全く分からなかった。 「クトレメアなのか?」  アルドは声をかけてみた。すると黒髪の女性が目を開けた。 「な、なに?」 「二人とも急に倒れたんだ。君が、クトレメアか?」 「さっきお互いに顔を見て自己紹介したわ。私は、アラグアよ」 「まさか。アラグアはこっちに倒れているじゃないか」 「え? え?? え???」  黒髪の女性は目を丸くさせて、アルドの足元に転がっているアラグアを見た。そして何度か飛び跳ね、再び声を上げた。 「これは私の身体だわ。どうして? どうして??」 「どうしてって……。もしかして君がアラグアなの?」 「もしかしてもなにも、私だけがアラグアよ。でも、あれ? この気味の悪い大きな手は……クトレメアの手? 私の手が、クトレメアみたいになっちゃってる!」  アラグアらしき黒髪の女性が騒ぎだす。すると足元で倒れていたアラグアらしき白髪の女性が目を開けた。 「……う、るさいわ。腹立たしいアラグアの声がするわね」  白髪の女性が上体だけ起こすと、目の前に立っているアルドとアラグアらしき黒髪の女性を見上げた。 「そこにいるのは、私の身体? どうしてそこに? もしかしてこの気味が悪い白い身体が、私の身体?? 薄気味悪いアラグアの身体が、私の身体??」  クトレメアらしき白髪の女性が騒ぎだす。  それからしばらく二人は互いの身体を指差して叫び、自らの身体を見てののしり合った。  二人の口論をアルドはじっと見ていた。巻きこまれないように少し離れていると、妙に心が落ち着いてきた。なるほど、二人の身体が入れ替わったのだと。そしてなぜだか分からないが二人の仲はとても悪いようだ。まるで子供の喧嘩を見ているようで、アルドの心に少しだけ余裕が生まれた。 「きっとこれは、可哀そうなアルドの仕業よ」  クトレメアがアルドを睨みつけながら言った。アラグアの可愛らしい姿だったので、睨みつけられても凄味はない。 「ボクの?」 「そう。きっとね。世界を救うための特別な人間なのだから。何か特別な力があるのだわ」 「力って? どんな力だっていうんです?」 「分からないわ。光の宝玉と闇の宝玉を再生できる特別な人間なのだから、きっとすごいことができるのね」 「そうなの? アルド!? すごいわ!」  クトレメアの言葉に、アラグアが跳ねながら驚いた。クトレメアの姿だったので、大きな手が上下に揺れる様は、奇妙でいて可愛らしくも見えた。 「でも、元に戻して。奇妙なアルド。私は美しい姿に戻りたいの」 「私もよ。お願い、アルド! こんな変な身体じゃ嫌だわ!」 「鬱陶しいアラグア。黙っていなさい」 「クトレメアこそ黙ってて!」  二人が再び睨み合い、ののしり合おうとする。面倒臭さを感じたアルドは、二人の間に割って入った。 「ごめん。ボクにはどうすればいいのか分からないんだ」  アルドは申し訳なさそうにうなだれた。  特別な人間だと言われても、アルドには実感が湧かなかった。確かに世界の裏表を行き来できるが、それは特別というより劣っているものだと考えていたからだ。世界の裏側に行ったとして、なにか凄いことができるわけでもない。ただ奇妙なものを見て、嫌な気分になるだけなのだ。 「世界を救うとか、そういうのもよく分からない。申し訳ないけど」 「待って、アルド! 私の話を聞いて!」  うなだれるアルドを見て、アラグアがあわてた。あわてられても困ると、アルドは内心肩を落とした。 「アルドしか世界を救えないの。ねえ、お願い。今は分からないかもしれないけど、私たちにはそれが分かるのよ」 「可哀そうなアルド。無分別なアラグアの言う通りよ。どうか私たちの宝玉を再生して」 「それはどうすれば再生するの?」 「分からないの。百年に一度のことなのよ。そして私たちも百年に一度生まれ変わるの。だから何も知らないのよ。だけど、百年に一度現れる特別な人間だけが、宝玉を見つけだすことができるらしいの」  アラグアが半歩アルドに近付いた。冷たい恐怖がにじりより、アルドの足と身体を冷やした。彼の様子に気付いたアラグアは、あわてて一歩離れた。 「ボクには分からないよ」 「きっとすぐに分かるようになるわ。可哀そうなアルドは何も教えてもらっていないのだから」  クトレメアがなぐさめるように言った。アルドに近寄り、彼の頭をなでる。するとズシリと頭の上が重くなった気がした。畏怖がアルドの身を包み、肩と脚を震わせた。その様子を見てアラグアがクトレメアを引きはがした。 「……分かったよ」  アルドは仕方なく頭を縦に振った。 「だけど元の世界にも時々戻りたいんだ」 「それは構わないよ、アルド!」 「ええ。構わないわ。でも必ずこちらに戻ってきて。そうしなければ必ず迎えに行くから」 「二人は表の世界に来ることができるの?」 「できるわ。同じ姿じゃないけれど。でも無理やり連れ戻すことはしたくないの。だからお願いよ、アルド」 「分かったよ。アラグア、クトレメア」  アルドが言うと、二人はにこりと笑って互いに見つめ合った。しかしすぐに睨み合い、目を背けた。  世界の裏側には、光と闇だけがある。  アルドには他人には言えない秘密があった。それは鏡に触れると、世界の裏側に流れてしまうことだ。  そしてアルドにさらなる秘密ができた。  鏡の裏にひそむ聖女と悪女を救い、世界を救うことだ。
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