コロナ渦中の闘病日記 -Ⅹ, 闘病への覚悟①-

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コロナ渦中の闘病日記 -Ⅹ, 闘病への覚悟①-

「感染性心内膜炎って10万人に2~3人の 発症らしいよ」 感染性心内膜炎にかかった私を前にパートナーが嘆いた。パートナーの憔悴した様子に胸がぎゅっと鷲掴みにされ、痛い。 私はまた涙を流した。 出会って21年、付き合って今に至るまでもう少しで20年。長いようであっという間の20年を一緒に過ごし、1ヶ月以上離ればなれになるのは今回が初めてである。 重い足取りで医療センターから帰宅したが、夕飯を作る気力さえ残っていなかった。 玄関でバックを置き、放心状態で立ち尽くした。時刻は19時を過ぎている。入院に備えて荷物を積めなくては。 クローゼットから1泊2日用のスーツケースと大きめのリュックサックを取り出した。コロナが落ち着いたら、日本各地のアニメの聖地巡礼や海外旅行に行くのを楽しみにしていたのに。行ける日を楽しみにして定期的に旅行グッズの手入れをしていて良かったのか、思ったより荷詰に時間はかからなさそうだ。 しかし、涙が止まらず中々荷物を詰められない。入れては取り出し、別の袋に詰め替えたりしている。つい先ほどまで強がっていた私は何処へいったのか。 止まらない涙と鼻水の処理に、ボックスティシュが空になった。きっと入院先で泣くから、ボックスティシュも持っていかないと。 20時過ぎにパートナーが帰ってきた。 床一面に散らかった洋服や、旅行グッズの真ん中でしくしく泣いている私に驚いた。パートナーが折角買ってきてくれた美味しいそぼろ弁当を食べれきれなかった。 現実を受け入れきれず、ショックのあまり食欲が無い。勿体ないが半分残してしまった。 食べないと。明日からの入院に持たないから食べないと。頭で分かっていても、箸が少しも進まない。 「食べないの?」 心配そうに顔を覗くパートナーが涙で霞んでよく見えない。 今のうち穴が空くほど見ておきたいはずなのに。 コロナの感染拡大に伴い、明日から入院する予定の医療センターは昨年の12月1日より面会が前面禁止となった。主治医の許可の元、手術前に逢えるにしても親族1名のみで5分しか面会できない。 明日パートナーと離れたら、下手すれば退院するまで逢えなくなる。少なくとも4週間は治療に専念しなくてはならない。 所謂14日程度の短期入院ではなく、長期入院を想定しているのだ。 感染性心内膜炎は元々口腔内にいる菌が、心臓のポンプの役割をする心臓の左側にある大切な弁に張り付いて菌の塊を作り、弁の動きを弱めてしまう。心臓そのものは血液を循環させようと頑張るため、心臓が肥大化するのだ。 感染性内科で肺のレントゲンを撮り、腎臓内科でそのレントゲンを見て心臓の肥大化を指摘され、心臓のエコー検査を行わなかったら。 高熱の原因も分からず、不安な夜を迎えていただろう。菌の生命力は非常に強く、中々死なない。厄介な菌が体内に生息しているのだ。 高熱を出すのは体内の白血球が頑張って菌と闘っている証拠である。CRPと呼ばれる白血球が菌やウイルスと闘った際に発するたんぱく質の数値の異常な高さは、闘いの壮絶さに比例している。 白血球の働きを擬人化している漫画が"はたらく細胞"だ。アニメ、映画化もされており体内で白血球(好中球)がいかに重要な役割を担っているか良く分かる。 余談だが、私の推しは好中球1146番だ。(CV.前野智昭さん) 感染性心内膜炎の原因となる菌が口腔内にいるのは珍しいことではない。健康な人であれば体内に菌が入ったとしても40℃近くの発熱などの症状は出ないし、一生無症状の人もいる。 但し例外があり、身体の免疫力(菌やウイルスと闘う力)が落ちていると発症しやすい。 一般的には虫歯や歯科治療をきっかけに菌が体内に入り込むが、感染経路が不明のケースも見受けられる。 私の場合、何らかの理由で菌が体内に入り込み、弁に張り付いてご丁寧に住み家を形成してくれている。入院後の検査の話になる為、詳細は後述する。 心臓の左側の弁の先には脳に流れる太い血管がある。仮に弁にそのものが壊れれば心不全になる。血液が全身に行き渡らず、酸素が不足して最悪死に至る病気だ。私は少量ではあるが、血液の逆流が確認されており、放置すれば命に関わる。 その他、脳梗塞、腎臓や肝臓の機能の低下を引き起こす原因にもなる。菌は血液に乗って体内を循環し、住みやすい場所を見つけては心臓の弁以外に新しい住まいを築いてしまう。 目に見える症状としては表皮に赤紫の斑点が生じる。痛いし痒いし、見た目がグロテスクだ。塗り薬では治らず、点滴による抗生剤の投与が必須となる。 菌に侵された場所を特定しては治療をする必要があれば行う。気の遠くなる検査と治療と私の場合は手術が待ち受けているため、入院しても退院の目処が立たないのだ。 「さっき電話してくれた女医の説明も良く分 からないし、参ったな」 私は涙を拭きながらパートナーに同意した。 それもそのはず、感染性心内膜炎をネットで調べてもあまり参考にはならない。人によって病状・進行具合が様々だからだ。7割は心臓を剥き出しにして弁に張り付いた菌を取り除く開胸手術を行うが、3割は点滴による抗生剤投与で治る軽症者だ。。一方、先に記述した通り体内の他の場所で暴れている菌や血液中にいる菌を殺す必要もある。合併症を引き起こしていたら、その分入院は延びる一方だ。 結局、入院して治療を行いながら検査をする方法がベストだ。 放置すれば菌の塊の重さに耐えきれなくなった弁ごと血液に流されて血管に詰まる。脳内に酸素が行き渡らなくなり脳梗塞を引き起こし、身体の不随、植物状態、脳死に至る可能性もある。 重苦しい空気が私達の間に漂った。 「何で私なのかな?何でこんな病気になるの かな?折角一生懸命生きてきたのに意味が あるの?」 「そんなこと言わないで」 「無理。入院嫌だ」 パートナーは私の我が儘に困惑していた。 「入院して治さないといけないの分かって る。でも…このままトンズラしような」 冗談とも本気とも受け取れる私の言葉をパートナーは遮った。 「治療しなきゃ治らないだろう?高熱で辛そ うだし。俺は弁当とか片付けて風呂に入っ てくるから、その間に荷物詰めて」 お言葉に甘えて片付けをパートナーに任せ、私は荷詰を再開した。 その時の私は、風呂に入った直後に新たな症状に襲われるとは微塵も予想していなかった。 そして、2021年3月2日の入院が人生最大の試練の始まりに過ぎないとも知るよしもなかった。
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