或る日

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或る日

晴れた日だった。 僕には特に親父をいらつかせる様な事をしている自覚はなかった。 親父に怒られても虚しいだけだ。明日になれば、僕はまた、1日が経つのが早いと感じる。家族間での揉め事はない。むしろ、家族間の間ではそれ程、ギスギス感はない。自分もテレビを面白くないと思っているし、バラエティも見たくない。小説や漫画の方がずっと楽しい。だから、家族間での不満はナニ一つない、平穏だった…???よくわからない。 明日、ナニしようかな?ぼんやり天井に見えるシミを見ながら明日の事を考えている。 特段、一大事と言える様なイベントが我が家にはない。特に変な事をされた記憶も親にはない。自分は若い頃、同性に対して、可愛さゆえか、ショタと呼ばれるものを嗜んだ。 クィーンのフレディみたいだな、と将来的にエイズになる事が怖くなり、幼い子に対する仕打ちに罪の意識を感じ取り、するのをやめた。 子供に対する愛情は歪みきっていたし、次第にそんな風に八つ当たりの様に性的に扱う自分が、許せなくなって、周りもそうしている奴らばかりだったから、敵意は彼らにも向いた。 自分が性的に狂っている癖によく、他人にあーだこーだ言えると我ながら、言えた義理かとよく想う。けれど、自分はやはり、子供を痛めつける事は罪だと思い、辞めた。 弱肉強食とか、そんな世界に生きていたけど、仕事の上司の鬱憤を、スクール水着をつけた女の子に自分のペニスを押し付ける様な自分を見ているのは、本当に解せなかった。 この世界に、歪みを感じていたし、それは自分が隠れて、ジュニアアイドルとか、子供番組に出ている女の子の生足やらで、オナニーしている時から、コンプレックスだった。 ロリータ、ナボコフ、映画も小説も読んだりして、あぁ、いけない事だと、女優には惹かれたが、恐ろしい事だと、感じるように日増しになり、或る日、仕事と家の些細な事で、家を飛び出し、夕暮れ時だったか、流石に我慢の限界で女児を探し回り、手を出しかけたすんでの所で我に返り、家に戻ると、心配そうに僕を見る弟の顔で、シラフに戻った。そんな、記憶が今から10年前の仕事を辞める前の日の記憶として残っている。 ああ、時はあっという間に過ぎる。僕はもう、成年ではなくなったのだ。そう、今はもう、かつての瞳に宿っていたギラギラさは薄れた影になってしまった。 父親に牙向けても良いだろうな?と、ふと思ってみたりして苦笑いしている今があったりしている。 描かなくても良いことや書きたくないことは描かなくても良いんだよ、僕は虚無感に襲われた時、そう思っている。
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