真を写す

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先輩達は全員、いざとなれば打ち合わせから交渉、撮影、誘導まで全部一人でやってしまう。 自分もそうならなければ。 そして芝国ランドで働ける様になったら、今度は温泉旅館での仕事を覚えなくてはならないのだ。 取り敢えず、頑張ってみよう。 取り敢えず、一人で出来るまで。 弁当忘れても傘忘れるな、と言われる北陸。 雨の日はカメラとお客様を濡らさない様に。 冬は車が埋まる程雪が降る。 夏は九州よりよっぽど暑い。 気候は厳しかったが、毎日汗を流しながら駈け回り、声を張り上げている先輩達は皆、陽気で優しかった。 時には大きな失敗をする事もあったが、そんな時には酒を飲みながら朝まで話を聞いてくれたりした。 流行り始めたカラオケボックスや、UFOキャッチャーが人気だったゲームセンターへしょっちゅうみんなで出掛けた。 自分が辞めると、そんな先輩達に負担がかかってしまう。 また、ほとんどが喋りに長けた男性で、いざとなれば本職を後回しにして駆け付けてくれる写真部は、年輩の女性パートが多い芝国ランドスタッフにかわいがられていた。 遠く九州から来た若者と聞けば尚更である。 数年後、秋場にも恋人が出来た。 結婚を考える様になっていた。 取り敢えず、取り敢えず。 もう少し、ここで頑張りたい。 そして、十年が過ぎた。 もう何万回、何十万回、シャッターを切っただろう。秋場は現場を任される主任という役職に就いていた。フィルムの現像から写真のプリントまで一人で出来る様になった。 しかし。 バブル期と呼ばれる時代、どこの観光地でも見掛けた存在、写真屋さん。 ピーク時の芝国ランド写真部の売り上げは年間八千万円に迫った。北陸支店が担当するいくつかの温泉旅館でも、それに近い実績を上げた。 秋場が入社する前には、写真屋さんは施設の雑用などほとんどする事もなく、撮影台に座って将棋を指したりしていればお客様の方から寄って来てくれたと言う。 実際、秋場もそういう写真屋さんを見た事があった。 旅行会社へのリベート等もあるが、誰もがカメラを使える訳ではなかったし、特に集合写真はプロが使う中型カメラの方が綺麗に撮れるに決まっていたから、だが。 時代は動いていた。 彼等の存在を否定する方向へ。
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