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迷走:人生の岐路を占いに託して
「それで、この文法ですが……」
私が黒板に筆記して文章を書いていくけれど、教室が静かになることはない。
学級崩壊ってほどではない。皆隣同士でくっちゃべってはいるけれど、好き勝手歩き回ることはないし、いきなり携帯ゲーム機を取り出して対戦する程でもないから。
ただ、私の授業は生徒たちの中では「あってもなくっても同じ」って舐められているんだ。
……むなしい。
そう一瞬冷たいものが込み上げてくるけれど、ぐっと我慢して、板書に集中した。
一部の大人しい生徒たちが、必死でノートにシャーペンを走らせている音が響くことで、少しだけほっとする。
そう思っていたところで、チャイムが鳴り響いた。
つい最近校舎の改装工事が終わってからというもの、チャイムはどことなく不安を煽るような電子音に変わった。
「規律、礼」
「ありがとうございました……!」
挨拶だけは元気だね。
そんな嫌みは胸の内だけに留めた。私は教科書と参考書を持って、職員室へと帰っていく。
今日もむなしい授業を消化してしまった。そう思う自分に嫌気が差しながら。
****
現国の教師になりたかったのは、私が教科書で読んだ小説が面白かったからだった。
本は面白い、国語は楽しい。そういうことを教えられる教師になりたかったはずなのに。現実はちっとも容赦がない。
教師になりたくてあちこちに試験を受けても、ちっとも採用試験に合格できなかった。どこもかしこも人手不足って言っている割には教師採用枠は数が少なくて、替わりに非常勤講師枠を増やしてばかりだからだ。結果として、私は非常勤講師としてあちこちの学校を歩き回る羽目になった。そうしないと、とてもじゃないけど生活できない。
ついでに現国の授業も年々扱いが悪くなっていく。文章を読む習慣が身に付かないと、他の文章だって読めないはずなのに、文章に親しむ習慣じゃなくって、模試に打ち勝つ方法ばかり求められる。
そんなこんなで、私はだんだんだんだん、やりたいこととやっていることの乖離が大きくなり過ぎて、胃がシクシク痛むのが抑えられないでいた。
今日の受け持ちの授業が終わり、荷物をまとめて帰る準備をする。受け持ちの生徒は多くても、発言権もなければ試験をつくる必要もない替わりに、職員室には机すら存在しない。
明日の授業の内容を考えながら、シクシク痛む胃を抱えて溜息をつく。
……私の人生、どこで間違えてしまったんだろう。そう思っていたらスマホが震えた。メッセージアプリの高校時代からの友達のグループになにか入ったみたいだ。
見てみたら、【結婚が決まりそう!】と写真が入っていた。
高校時代から、「早く結婚したい!」と言っていた子だけれど、仕事が楽しかったみたいでずっと相手がいなかった子だ。やっぱり結婚したいって思っている子には、そういう話が来るんだね。
私は【おめでとう】とスタンプをポンポン押しながらメッセージを入れておくと、スマホを鞄にしまい直した。
……もうすぐ30だっていうのに、そろそろ私の人生を立て直さないで大丈夫かな。そう不安が募る。
講師のせいで、どこに行っても「先生」と呼ばれてしまう。講師だからと、人が勝手に引いてしまって浮いた話が全く出てこない。
だからと言って、今のやる気のない講師生活も続けていたところでなんにもならないような気がする。これが教師だったら、いやいやながらも続けていられただろうけど、私は講師だ。いつ切られるのかわかったもんじゃない存在だ。
そこまで考えていると、キュルル……と胃が軋んだ音を立てて悲鳴を上げた。やめて。この辺りに病院はない。
「……今日は胃に優しいもの食べよう」
どうせ夕方はタイムセールがはじまる。それに合わせて胃に優しいものを買って食べよう。なにだったら胃に優しいかな。私はそう思いながらスーパーに向かった。
タイムセールで主婦層が半額シールが貼られるのを今か今かと待ち構えている間に、私はひょいひょいと特にセールのないお粥と卵を籠に入れる。半額シールが貼られないコーナーはそこまで混まないから、買い物は楽だ。
そのまま家に帰ろうとしたとき。
【あなたの人生、絶対に変えます】
普段だったら間違いなくスルーするだろう文字が、目に飛び込んできた。
見ると紫色の幕が貼られている。占いブースだ。なんか気付いたらできていたけれど、いつからこのブースがあるのかは、よく覚えていない。
そのまま通り過ぎればよかったのだけれど、今日は妙にその文字が気になった。
いつもの私だったら「こんなところぼったくりだから絶対に近付かない!」と思って無視するのにな。ちらりと占いの料金を見てから、私はその幕を潜ってしまった。
「いらっしゃいませ」
途端に声を掛けられる。
占い師というと、テレビに出てくるのはものすごく胡散臭い人ばかりだけれど、この人は長髪に甘いマスク、座っていてもわかるくらいに脚の長い人で、黒いぴっちりとしたスーツを着ていた。どう見てもホストとかそういう系統の人に見える。
私が狼狽えていると、占い師は「どうぞ座ってください」と言ってくれたので、ちょこんと席に座る。
「ずいぶんと疲れていらっしゃいますね? 胃の調子はどうですか?」
そう言ってくるので、ピンと来た。
私の鞄からはお粥が見えているから、私の胃の調子が悪いのはわかるだろうし、顔色もお世辞にもよくないから、いくらでも体調が悪いとわかる。
この人、コールドリーディングで占いと言い張っている人だ。
そう思ったら、逆に気軽になった。どうせインチキなんだから、うんと気持ちよくしてもらおう。そう思って「そうなんですよー」と話を合わせた。
「仕事が大変で……」
「天職の希望ですか?」
「そこまでは考えていませんが、人生に疲れていまして」
「お疲れ様です。よろしかったら、開運のお守りとかどうですか?」
「お守り……ですか? いえ結構です」
……危ないな、話を合わせていたら、やばそうなもの売りつけられそうになった。そう思って睨んだら、紫色のビーズの付いたキーホルダーを取り出してきた。
高校生が好きそうな、可愛いけれどチープ過ぎないデザインだ。でもアラサーが持つにはやや厳しい。
「これを鞄の中にでも放り込んでいれば、運が反転しますよ」
「いえ、結構です」
「やりたい仕事についたのに、世情が原因で上手くいかない気持ちわかります。だからこそ、こんな占い屋に入ろうってくらいに思い詰めていたのも」
……これははったりだろうか、それとも私がポロリと話を合わせて言った言葉の中に、そう取れる内容が入っていただろうか。私が考え込んでいる中、占い師はにこやかに告げた。
「今でしたら、占い料金とサービスで、こちらをおつけしますよ」
「じゃあください」
我ながら現金過ぎやしないかと思うものの、気付いたらそのお守りに手を伸ばしていた。
帰りしな、占い師はにこやかにこちらを見上げてきた。
「あなたの運命は、必ず劇的に変わりますよ。ただ、そのときにあなたの心根が邪魔をするかもしれませんから、あなたの不満を全て表に出したほうがいいです」
そう言ってきた。
……これもコールドリーディングの一環だろうか。励ましてもらっていながら、最初からペテンだと思っているせいで、思ったよりも気持ちよくならなかった。
私は「そうですね」と本当に適当なことを言って、占い屋を後にした。
お守りももらったし、今日はお粥を食べて早く寝よう。
そのとき私は、彼が言ったことが本当になるとは、全く思いもしなかったのだった。
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