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疾走:自分の体の居場所はどこだ
私がさんざん座り込んで泣いたあと、ようやく涙が止まったところで、彼氏さんがほっとしたようにこちらに屈んだ。
「とりあえず、食事を取りましょうか。ええっと……遙佳さんで」
「あ、はい……あなたはなんとお呼びしたら」
「陽葵の顔でこう言われると困りますね……俺は岸雄真です」
「岸雄さんですか……はい、本当に、すみませんでした……」
岸雄さんは気遣って食事の準備まで進めてくれた。
見回してみると、本当におしゃれな部屋だなと感心してしまう。
グリーンインテリアが部屋の隅に飾られ、ウッドテイストのカウンターや棚が、大柄な模様の大味さを調和してくれているんだ。
私だったらこんな大胆なデザインにはしない。よくてシンプル趣味、悪くて無難なセンスなんだ。
岸雄さんは冷凍のパンケーキを解凍してベリージャムを添えてくれ、紫色のスムージーを添えて出してくれた。これおいしいのかな。私が怪訝な顔で鼻をヒクヒクと動かしていると、岸雄さんが「ああ、すみません。いつもの癖で……」と謝ってくれた。
「陽葵、健康志向でしょっちゅうダイエットって言っている割には、全然実行しないし、野菜も食べろって言っても聞かないんで、冷凍フルーツで味を誤魔化して野菜を全部スムージーにして出してたんですよ」
「はあ……今は野菜おいしい時期ですもんねえ……?」
私は感心しながらそのスムージーを飲んでみた。
てっきりもっと野菜が主張するえぐい味なのかと思っていたけれど、冷凍フルーツが利いているのか、岸雄さんの配分がいいのか、ベリーの味で野菜のえぐみが全部消えてしまっている。はっきり言って、これをベリースムージーと言われても普通に信じると思う。
「おいしいです、このスムージー。つくり方教わりたいくらい」
「いやあ……本当に家にあるものを適当に詰め込んで、味がえぐくならないよう豆腐突っ込んだだけですよ」
「すごい、おいしいです」
豆腐で野菜のえぐみが消えるのか……覚えておこうと感心しながら、スムージーを飲み終え、パンケーキも食べる。こちらもふわふわで、冷凍とは思えないほどにおいしい。
なんなんだ、朝からこんなカフェで食べるようなメニュー、見たこともないぞ。SNS映えだって目指せる。
岸雄さんは苦笑して、おずおずと私に言う。
「すみません。陽葵が好きなもんばかり出して……偏食家なんで、本当に食べられるもんが限られてますから」
「いえ、私はご相伴に預かっただけですし。というより、普段は岸雄さんが食事の準備をしてらしたんですか?」
「ええっと……初対面の方に言っていいのかはわかんないんですけど……はい。同棲はじめた頃は陽葵も頑張って食事をつくってたんですけど、そのう……」
そのまんま黙り込んでしまった。
偏食家だって言っていたし、岸雄さんも苦肉の策でスイーツに野菜をぶち込むような真似をしていたみたいだしなあ……食べられるものが限られているときついのかもしれない。
「大変だったんですねえ……すみません、陽葵さんが行方不明になってしまって」
「いえ。俺こそ。あいつがすみません。遙佳さんの体を勝手に持っていくような真似をしまして」
「い、いえ! 岸雄さんが謝らないでくださいよ! あ、でも靴代どうしましょう」
私が陽葵さんのカードなりお金なりを使ってしまっていいんだろうか。そもそも陽葵さんは、いきなり学校を辞めるなんてアクロバティックな真似をしてくれたけれど、再就職のあてなんてあるんだろうか。私、教員免許以外は、自動車の運転免許すら持ってないのに。
ひとりで勝手に考え込んでいたら、岸雄さんはきょとんとした顔をして見せた。
「えっ? 陽葵の迷惑なんで、俺が支払いますけど?」
「……えっ、ちょっと待ってください。あなたは、陽葵さんと同棲してましたけど、そのう……」
「まだ結婚とかはないですけれど、そうなるかもしれないんで、ご迷惑おかけできません」
私はますますもって、この若者に感心してしまった。見た目はピチピチとした女子でも、中身は学生相手に日々心身の衰えを感じているアラサーなのだから。
こんなしっかりとした彼氏さんを残して、いったいどこに行ったの陽葵さん。
食事を終えたあと、岸雄さんに探してもらったサンダルを履いて、靴を買いに行くことにした。サンダルもヒールは付いているものの、さっきよりもローヒールだったから、問題ない。
岸雄さんに案内されながら、私はようやく見知らぬ町の全容を見て取ることができた。
どこもかしこも人が多い。そして古着屋、カフェ、美容院と、若者御用達の店がひしめき合っている。
日頃からあんまりにも人の気配が強過ぎると眠れない私は、都会から少し離れたベッドタウンで暮らしていたから、余計に人がごった返しているのを見て、ポカンと口を開いてしまったんだ。
「すごいですね……ここ」
「あれ、遙佳さんのお住まいは、こんな感じではなく?」
「私、静かな場所じゃなかったら眠れないんですよ。こんなに人が多い町、初めてです」
「なるほど。こんなもんだと思っていたんで、初めて知りました」
あと、今の私は陽葵さんだから出かけられるけれど、本来の遙佳深月だったら気後れしてしまって、こんな町で歩くのなんて無理。そう思ったことは口にはしなかった。
靴屋に入ると、私は必死で無難なデザインのスニーカーを探した。
この町は全体的に若いからだろうけれど、大柄なデザインのものが多過ぎて、私は内心「無理っ!」と悲鳴を上げそうになってしまう。最初は眺めているだけだった岸雄さんだけれど、最終的には私の靴選びを手伝ってくれた。
「陽葵の靴のサイズはこれくらいなんですけど……ええっと遙佳さんは大柄なデザインは駄目なんですよね?」
「ほ、んとうは、無地のシンプルなものが好きなんですけど、ここですとないですよねえ」
「うーん、だとしたらスポーツメーカーのはどうでしょう? あれだったらロゴにさえ目をつぶれば、そこまで派手なデザインはここには置いてないかなと」
「スポーツメーカーのですか……」
普段はそこの靴も買わないし、柄なしのシンプルな靴が好きな人間にとっては、世知辛い世の中だなとついつい思ってしまう。
結局は陽葵さんの現状の服に似合うように、チャコールグレイのスニーカーを買うことにした。デザインもシンプルだし、色もおしゃれ。なによりもヒールがなくって歩きやすい。私は試着して足踏みして、「おお……」と声を上げた。
「すごいですね。岸雄さん、ファッション関係の人ですか? 私、こういうのてんで駄目で……」
「この町で働いていたら、アンテナをあちこちに張らなかったら大変ですから。自分美容師なんですよ。あっ、ところでひとつ思いついたことがあるんですけど」
「はい?」
私の財布を入手次第、必ず靴代はお返ししようと思いながら、会計を済ませると、岸雄さんはスマホを取り出して言う。
「今、遙佳さんが陽葵になっているってことは、陽葵が遙佳さんになっているんでしょう? 陽葵も遙佳さんのスマホを入手しているはずなんで、それに連絡を取ることってできないですか?」
「うーん……どうでしょう……」
日頃から指紋認証して、パスワードもかけているからなあ。指紋認証はクリアできるとしても、パスワードをクリアできるんだろうか。
私が浮かない声を上げたものの、岸雄さんは暢気に笑う。
「もしかしたら、電話できるかもしれないじゃないですか」
「まあ……やるだけやってみます」
自分のスマホ番号を思い出しながら、とりあえずかけてみることにした。
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