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「…何と、それは真か?」 「左様にございます。すぐさま代役を立てねば、江戸は瞬く間に混乱に陥るかと。」 "あいわかった。…その方、去って良いぞ。"と、額に汗を流し走り込んできた奉行の報告に返事だけする。徳川家8代目将軍の吉宗は、その内容に深く溜息をついていた。 「こうなる事は分かっていたのだが…」 「つきましては、早々に代役を立てねばと」 平伏し、淡々と述べる家老の1人を吉宗は見つめる。 「そうであるな」 と言っても、時代は享保の改革の真っ只中。新田開発や目安箱で見つかった問題の解決、更には年貢の調整で人などいくらいても足らないぐらいであった。 「…それにしても、忠相が」 江戸で"奉行"と聞かれれば知らぬ者はいない名奉行、大岡忠相(大岡越前守)が熱を出して倒れたと言うのだ。小石川養成所の設立から新田開発、更には…と挙げていけばキリが無いぐらいに、奉行としての"大岡忠相"は仕事の幅が広く、到底1人の手腕に賄えない程の仕事を何人分も抱えていたのだ。 それが1日でもいなくなれば、たちまちどうなるかは学の無い者でも分かるだろう。 「その方、忠相が復帰するまで代役をせぬか?」 「無理でございます」 「ちょ、無理とか言うなし」 阿修羅の如く。否、阿修羅でもせいぜい顔が3つあって腕が6本だから3人分である。その倍以上、ついては千手観音レベルで仕事をこなす忠相の代わりなど、吉宗に平伏しておけば済む家老に務まる訳が無い。 かく言う吉宗も、目安箱に投函された内容を確認するだけで日が暮れてしまう。 "…こうなってしまっては仕方ない"と、半ば諦めた様子でパン、パンッと手を叩いた吉宗。正座をしているだけの家老達は"忍びの者でも呼ぶのか?"と目を丸くし始めた。 「入ってよいぞ」 吉宗の合図で入ってきたのは、髷を結った二足歩行の白い猫。…を模した絡繰にしか見えない。"絡繰に越前守の代わりが務まるのか?"という表情で家老達は"それ"をぼうっと眺めている。 「こんにちは、ぶぎょうねこです。」 反応は出てこない。 「ぶぎょうねこ!?」 「はい、ねこはぶぎょうねこです。裁定をするねこです。」 "裁定"の一例として有名なのが"三方一両損"である。3両を落とした者、拾った者が譲り合わないために忠相が1両を渡し2両ずつに分けたという話は有名だろう。猫を模した絡繰に、そんな器用な事ができる訳が無いと家老はタカを括ってしまった。 「将軍様、このような絡繰に奉行の真似事をさせるなど…」 「ねこはぶぎょうねこです。からくりではありません。」 「この"ぶぎょうねこ"には、忠相が執り行った裁定を"でえた"として記録しておる。故に"忠相ならこうするだろう"と考えが及ぶらしいのだ。」 「…しかし、こんな面妖なものを」 「その方、これ以上文句を言うのであれば斬るぞ」 吉宗の腰に差された刀が、鈍色の刀身を覗かせるさまを想像し家老は閉口した。名奉行が不在の中、"手段は選べない"と呼び出したぶぎょうねこであるが、疑われつつも吉宗の強行突破で"奉行"として江戸に姿を見せる事となった。
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