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マンションのそばには小さな川が流れていた。
その川沿いに桜並木が続いている。
通勤以外で外へ出かけたのは久しぶりだ。
最近ずっと仕事に追われていた。
休日も仕事を持ち込んで、ひたすらパソコンに向かっていた。
きっとわたしはそうやって、わざと自分を追い込んでいたのだと思う。
なにも考えないように。なにも感じないように。なにも思い出さないように。
希海の訃報を聞いてから、ずっとそうやって。
桜の下で足を止め、ゆっくりと視線を上げる。
桜は満開だった。
咲き誇る花のなかから一枚、花びらがひらりと舞い落ちてくる。
わたしは手のひらを広げ、その花びらを受け止めた。
たしかにそこにあるはずなのに、なんの感触もない。
そのときわたしはハッと顔を上げた。
「希海?」
目の前に立つのは希海だった。
寂しそうな悲しそうな、でもどこか嬉しそうな顔でわたしを見つめている。
「騙されると思った?」
「え?」
「おれはもう、あのころとは違うよ?」
わたしは黙って希海の顔を見る。
幼いころから見慣れた、でもいつの間にか大人になったその顔を。
すると希海がふっと息を吐くように微笑んだ。
「でも騙されたふりして消えてやるよ。たしかにいまのおれじゃ、千歌を幸せにしてあげられないもんな」
わたしはきつく、くちびるを結ぶ。
そうしていないと、涙があふれてしまいそうだったから。
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