1.予定にない同居人がいます

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 僕の話を聞き終わった前畑は、腕を組んだまま難しい顔をして黙り込んでいた。 (まあ、そうだよな……)  僕が前畑でも、かける言葉が見つからないだろう。この反応はわかっていたことだった。  気にするなよ。変なこと聞かせて悪かったな。そう言ってこの話題を終わらせようとしたとき、前畑がいきなり「よし!」と威勢のいい声を上げた。 「じゃあ取り敢えず、おまえん家行ってみっか」 「…………は?」 「おまえ午後の講義は?」 「え……三時間目のひとコマだけだけど」 「俺と同じだな。じゃあ、終わったら一階の自販機のとこで」  前畑は圧の強い笑顔で言い切った。流れについて行けない僕を余所に、「夕メシはどうすっかな」なんて、昼を食べたばかりなのに既に夕食の心配をしている。どうやら前畑が僕の家に来るのは決定事項らしい。――まあ、親が泊まりに来たとき用に、一応布団はあるし、この前は僕の方が前畑の家にお邪魔したのだから、来るのは別にいいんだけど……。 「明日土曜で、ちょうどよかったよなぁ」 「そうだね……」  前畑はあの影を見ても、僕のことを気味悪がったりしないでくれるだろうか――  にこにこと話し続ける前畑に相槌を打ちながら、僕の心にはそんな不安があったのだった。   ◆  午後の講義のあと、一階で落ち合った僕たちだったが、着替えを取りに一度家に帰った前畑と僕がアパートの最寄り駅で合流したのは、結局四時を十五分も過ぎたころだった。それでも四月の陽はまだ結構高いところにある。  夕飯にはまだ早い時間ということで、取り敢えず当初の目的どおり僕は前畑をアパートまで案内することになった。 「おまえの家この辺だったのか」 「まあ、まだ一週間ちょっとだけどね」 「そういえば元々は大学の近くだって言ってたもんな」 「前畑はこの辺来たことあるの?」  同じ市内でも、自宅や学校の周辺以外の場所なんて、そうそう足を運ぶことがない。前畑の家の最寄り駅は、僕が使っている路線とは違うので、来たことがなくて当然だ。そう思いながら口にした問いに、けれど前畑からは意外な答えが返ってきた。 「ああ、わりと来るな。多分おまえよりもこの辺は詳しいかも」 「え、そうなんだ」  駅周辺にあるのはスーパーと居酒屋のチェーン店、ファミレスにパチンコ屋くらいのものだ。正直、人を呼び込めるような魅力的なものがあるとは言いがたい。前畑がわざわざ来る理由は見付からなかった。 「おまえもあとで連れてってやるよ」 「あ……うん、ありがと……?」  よくわからないまま、取り敢えず礼を言う。  そうこうしているうちに、僕たちはアパートに着いた。  僕の住むアパートは二階建てで、一階と二階にそれぞれ部屋は四つずつだ。僕は正面左から数えて三番目の部屋になる。ドアの横に掲げられた表札には、〈203〉と表記がしてあった。  鍵を開けると、薄暗い玄関に足を踏み入れる。僕の後ろに続く前畑が、小声で「おじゃまします」なんて言うのが、何だか妙にくすぐったかった。  あの影を見るようになってから、部屋の中に入るのはいつも緊張するけれど、今は前畑の存在が心強い。そのまま部屋に続くドアを開けて、僕はぐるりと中を見渡した。 (いない……?)  狭い部屋の中だ。隠れるような場所なんて、トイレと浴室しかない。そう思ってどちらも確かめてみたが、やはり影の姿はなかった。念のため収納場所も見てみたが、もちろん僕が詰め込んだ荷物しかない。 「別におかしなものは見えないな」 「うん……」  前畑の言葉に、僕は上の空で頷く。  昨日僕が帰って来たときも、影はいなかった。けれど夜になってから、急に現れたのだ。  幽霊なんて今まで見たことがなかったから、彼らの生態なんてまったく知らないけれど、こんな風に時間によって出たり出なかったりするものなのだろうか。  そんな疑問をそのまま前畑に伝えたら、前畑も首を傾げた。 「俺もそういうのは詳しくないからわかんねぇけど、なんか変なヤツだな。まるで普通に生活してるみたいだ」  その言葉に、僕はこの四日間を思い返す。  初めにあの影が現れたのは、朝だった。台所に立っている影にびっくりして、僕は慌てて家を飛び出した。  その日の夕方、影はまるでテレビを見ているような様子で、部屋の中にいた。  そして次の日の朝、僕は宙に浮かぶ影を見た。横になっている姿は、どう見ても見えないベッドで寝ているような恰好だった。  二日目の夜は前畑の家に泊まり、三日目の昼は影の姿を見ることはなかった。けれど夜になって、あたかも外出先から帰ってきたかのように、玄関に現れたのだ。  朝起きて、日中は外出し、夕方にはあの部屋に帰り、夜は就寝する――確かにこうしてみると、あの影はまるで生前(あの影が仮に幽霊だとするならば、だが)の生活パターンをそのままなぞるかのように現れている。  ということは、だ。 「え、じゃああの影って、やっぱりこの部屋に住んでた人ってこと……?」 「まあ、まったく無関係の人間ってことはないんじゃないか、さすがに」  それじゃあホントに、この部屋が事故物件ってことになってしまう。  思わず言葉を失った僕を気にしてか、前畑が言った。 「まあ、けど、おまえの話を聞いた限りじゃ、その影? ってのが、何かするってわけじゃないんだよな」 「え? ……うん、まあ……」  確かに前畑の言う通り、あの影が姿を見せたことで何か実害があったのかというと、実際のところ何もない。単に僕のSAN値が削られただけだ。――いや、それも充分実害と言えなくもないのだけれど。  そもそもあの影は、僕のことを認識すらしていないように見える。多少なりともコミュニケーションが取れれば、現れる理由を訊くこともできるのだが。 「その影が出てから、急に体調が悪くなったとか」 「特にそういうのは、ないんだけど……」  寝不足なのは、単にあれが怖くてこの部屋で熟睡できないからで、心霊ネタでよくあるように、急に頭や肩が重くなった……なんてこともない。僕自身はいたって健康だ。  ……あれ? ってことは……。 「それなら、しばらく様子見でもいいんじゃないか?」 「そう、なのかな……?」  何となく納得はいかないが、前畑が言うと、それしかないような気もしてくる。  唸りながら首を傾げる僕を余所に、話は終わったとばかりに前畑が、「そろそろメシ食いに行かね?」なんて笑顔で誘ってきた。頼りになるのかならないのか、わからないヤツだ。
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