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ギルフォードは、ほとんど放心状態のシャンティを抱えてフラワーシャワーを浴びる。
ただ、先ほど無言の圧力をかけたせいか、花婿側からのそれはとても弱々しいものだった。そして花びらを投げる軍人たちは総じて顔が青白かった。
ということは、ギルフォードにとって然したる問題ではない。
顔色を無くした部下や同僚の顔など、それこそ毎日目にしている。いやむしろそちらの方がよく見ている。
だからギルフォードは儀礼的にそれらを浴び、そのままメイドオブオナーに花嫁を託して、とある部屋に向かった。
なぜなら式の最中、エリアスからこんな言葉を耳打ちされたから。
「シャンティの祖母が、ギルにちょっと話があると言って客室で待っているよ」
教会から渡り廊下を挟んですぐに、上位の軍人が使用する客室がある。
ギルフォードは髪や肩に乗った花弁を払う時間も惜しんで、そこに向かっている。大切な客人を待たせているからだ。
そして目的地に到着すると乱れた息を整え、ギルフォードはノックをして扉を開けた。
「お待たせして、申し訳ないです」
入室して5歩、歩いた後、自身の上官に対して一度も取ったことがない程、ギルフォードは礼儀正しく一礼をした。
そうすれば少し離れた場所にある長椅子に腰かけている客人──シャンティの祖母であるモニータは、穏やかな笑みを浮かべて首を横に振った。
「いいえ。全然待っていませんよ。お式もこっそり拝見させていただきましたし」
「……っ」
ギルフォードは客人の後半の言葉に驚いて息を呑んだ。
思わず顔を上げれば、丁度モニータがソファから立ち上がるところだった。
そしてモニータは、情けなく狼狽えるギルフォードの元へ足を向けると、両手をお腹の前で揃えて頭を下げた。
「ギルフォードさん、先ほどは助かりましたわ。ありがとうございます」
「い、いえ、とんでもありません」
「エリアスさんにもお礼をお伝えしたいのですが……彼はどちらに?」
「申し訳ないです。ちょっと席を外しておりまして。ただ礼には及びません。私達は何もしてませんから」
このギルフォードの言葉は謙遜ではない。
本当にギルフォードもエリアスも何もしていないのだ。
あの時───シャンティを捕獲しようと教会に乗り込んだギルフォードとエリアスはまず、親族控室へと向かった。
急を要するためノックもそこそこに扉を開ければ、そこには震え上がり沈黙するロッセ卿とその妻がいた。
そして頬を押さえて涙目になっているシャンティの祖父と、腕を組み呆れた表情を浮かべるシャンティの祖母が。
花婿逃亡事件における名誉棄損の争いは、すでに勝敗が決していた。
だからギルフォード達は目撃者でしかない。
ただどんな理由であれ、平民が伯爵を脅しつけたという事実は、表沙汰になればシャンティの祖父の立場が危うくなる。
なのでギルフォードがフォルト家にできたことは、ちょっとばかし持っている権力で、この事実を闇に葬る事だけ。至極簡単なものだった。
だから本当に礼には及ばない。
そして、きちんと礼を述べなければならないのは、ギルフォードの方だった。
「それより、こちらこそ助かりました。大切なお孫さんをその……お貸しいただき、ありがとうございます」
再び綺麗な所作で腰を折ったギルフォードに、モニータはにこりと笑う。
「お役に立てて良かったわ。それと……あの子の着替えを持って来ました。ずっと花嫁衣裳のままでは窮屈だと思うから、渡してくださいな」
「わざわざ、お手数をおかけしました。そこまで気が利かず……助かります。ところで、フォルト殿は?私こそ直接お礼を申し上げたいのですが」
そう言いながら辺りをきょろきょろと伺うギルフォードに、モニータは困ったように眉を寄せた。
「ふふっ。ごめんなさいね。夫はちょっと馬車で拗ねてまして。今は、少佐に会わせる顔がないと」
まぁ……つまり、ビンタされた顔を見せたくないというわけだ。
ニュアンスで何となく悟ったギルフォードは、何も言わず頷くことにした。
そうすればモニータは、くるりと視線を向ける。その視線は少し意地が悪かった。
「でも夫には見せなくて正解だったわ。またわたくし、あの人に張り手をしなければならなかったから」
暗に式で孫娘にキスをしたことに対して咎められていることに気付いたギルフォードは、さっと顔色を変えた。
「……すいません。つい気持ちが抑えられなくて……」
そうギルフォードは、しどろもどろに言った後、「失礼」と断って片手で顔を覆った。指の隙間から見える顔は真っ赤だった。
だが、すぐに表情を生真面目なものに変える。
「決して浮ついた気持ちで、あのようなことをしたわけではありません。ですが、お孫様に対して不躾なことをしたこと、お詫びの言葉も見つかりません。本当に申し訳ありませんでした」
謝罪の手本のような仕草で謝られ、モニータは何の文句も浮かんではこなかった。
「100点満点の謝罪をありがとう。でも、ごめんなさいは、わたくしではなく直接あの子に言ってあげてくださいね」
「もちろんです。誠心誠意、謝罪します」
ひたすら平身低頭するギルフォードに、モニータは顔を上げるよう促す。そして、着席するように言った。
もちろん断る理由がないギルフォードは、素直にそれに従う。
そしてテーブルを挟んで、向かい合わせに着席したところで、モニータはこほんと小さく咳ばらいして、口を開いた。
「で、わたくしの可愛い孫娘をどうするおつもりですか?少佐さん」
「……っ」
これまでの穏やかな口調から一変、厳しいものに変えたモニータを見て、ギルフォードも姿勢をしゃんと正す。
モニータがここに来たのは、夫の罪をもみ消してもらったお礼を述べたいからではない。
成り行きでシャンティにキスをしたことを、咎めるためでもない。
本当の要件は、この一連のギルフォードの行動に矛盾があることに気付いたから。そしてそれを問いただすため。
ただギルフォードがそのことを語る前に、モニータが先に口を開いた。
「後ろ盾もなく、たった一人でここまでの地位に上り詰めたあなたなら、結婚式当日に花嫁に逃げられた失態を誤魔化すような小細工をする必要はなくて?それに独身だからとか妻帯者だからとか気にする地位でもないでしょう?」
「……ごもっともです」
これぞ亀の甲より年の劫。
シャンティには見事に独裁的な軍人を演じることができたギルフォードだったけれど、その祖母にはしっかりと見破られてしまっていた。
そう。ギルフォードはわざとシャンティに対して利己的で身勝手な軍人を演じていた。それは───
「私は今度こそ、お孫さんの力になりたかったんです」
という理由だったから。
そんなギルフォードの意味深で意味不明な発言に、モニータはきょとんと目を丸くした。
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