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─── と、孫娘の唇を強引に奪ったくせに、軍人という立場を盾にして随分なことを言ったギルフォードを見て、モニータは不快そうに眉を寄せるのではなく……苦笑した。
「お顔と発言が矛盾していらっしゃること、指摘をしても?」
「……自覚はありますので、どうかご勘弁ください」
そうなのだ。ギルフォードは、実はとても困惑しているのだ。
ギルフォードは、軍人だ。
だから自分の感情を冷静に分析できるはずだった。立場上外交と話し合いのテーブルに付くこともある。だから、感情を殺すことなど朝飯前のはずだった。
なのに、今、それが上手くできない。
それはシャンティに向かう気持ちが、償いではなく恋慕の情だということに気付いてしまったから。
ギルフォードは、あの日涙を流していたシャンティを見捨てたことを悔いて、力になりたいと思っていた。
ただそれは大切にしたいという漠然とした気持ちで、その本当の名前を見つけられずにいた。
でも、馬車の中でシャンティを膝の上に乗せた時、それがわかった。
そして、どうして明日をも知れない軍人が、結婚というものをするのかという理由にも気付いてしまった。
……オイオイ、それ気付くの随分遅くないか?
なんていう厳しいツッコミはどうか勘弁してあげて欲しい。
ギルフォードは眼光は鋭いし、どう見てもオラオラ系軍人にしか見えないけれど、実は真面目で堅物。そして超が付くほど鈍感な青年だったりもする。
そんなこんなで、ギルフォードは再び「失礼」とモニータに断ってから、片手で顔を覆う。
顔を真っ赤にして、言葉にならないうめき声をあげるギルフォードを見たら、部下も同僚も上司も間違いなく卒倒してしまうだろう。
それほど普段のそれとはかけ離れた姿だった……のだけれど、老年のモニータからすれば、可愛らしい青年の仕草にしか見えない。
そして年配の女性らしく、空気を読まずに口を開く。結構非情な質問を。
「お取込み中申し訳ないんですけど、同じ質問をもう一度しても?」
「……お答えさせていただきます」
要は”ちゃんと言い直せよ”と言われたギルフォードは、顔を覆っていた手を外す。
そして改まった声で、2度目の質問に答えることにする。
「私はシャンディアナ嬢が好きです。あのまま、あれを本当の式として、お孫様を妻に迎えたかったくらいに」
「そう。ところで、あなた袖の短い制服を着たことはありまして?」
「は?あ……えっと……」
正直な気持ちを伝えた途端、まったく関連性の無い質問をされ、ギルフォードは面食らう。
けれどモニータの目は鋭い。さっさと答えろと雄弁に語っている。
軍人まみれの職場で長年働く夫を支える妻であるモニータの眼力は、ギルフォード並みとはいえないけれど、そこそこ威力はある。
そしてギルフォードは、質問の意味を問いただす権利はない。
そして自分の気持ちを赤裸々に吐露してしまった今、もはや抗う気もない。だから慌てて記憶を探り、モニータに伝える。
その瞬間、モニータはにやりと笑った。
ただ、ギルフォードはまだ崩壊したままの顔面を修正するのに忙しくて、それを見落としてしまった。
そんなわけで何食わぬ顔で穏やかな表情に戻したモニータは、とある提案をする。ただその提案は、予想をはるかに超えていた。
「ギルフォードさん。しばらくの間、シャンティをあなたのお屋敷で預かってくれないかしら?」
「なっ、それは───」
「あら?託すのは、結婚式までというお約束だったかしら?」
「……いえ。明確な期間は約束しておりませんが」
おりませんが、シャンティは絶対に嫌がるだろう。
なにせギルフォードは、シャンティにとって誘拐、恐喝、キスの強要と3拍子揃った、極悪軍人でしかない。
そして悪者の名を自ら請け負ったギルフォードだけれど、これ以上はシャンティに嫌われたくはない。
今何がしたいと聞かれたら一目散に花嫁の控室に行って、シャンティに土下座をしたいの一択だ。
だがモニータは、ゆったりとソファに腰かけたまま。まだまだ席を立つ気配はない。そしてまだ何か言い足りないご様子だ。
「あなたの気持ちは、この私がちゃんと受け止めました。だから、あなたシャンティを自分の屋敷に迎い入れて口説いてみなさいな」
「……?!」
突拍子もないモニータの発言に、ギルフォードは思わず椅子からずり落ちそうになってしまった。
そして信じられないといった眼差しを、モニータに遠慮なく向けてしまう。
けれど、そうしてしまうギルフォードを咎めることはできない。
なぜならシャンティにした全ての事実をモニータは知っているから。
なのに、知っている上でのこの発言。
叱責されること必須のこの状態で、まさか口説いて良いなどと言われるとは……。
やっぱりギルフォードが信じ難いという表情を浮かべるのは無理はない。
「さすがにそれは───」
「あなた今、孫娘に求婚した自覚はおあり?」
「……っ」
自覚はなかった。でも、今の今、自覚した。
「わたくしはあの子の祖母。そして保護者よ。わたくしが二人の結婚を許可したら、あの子はあなたと結婚せざるを得ないわ」
モニータのその言葉に、ギルフォードはさっと顔色を無くす。
「そんな無体なことはさせられません。それに……今はシャンディアナ嬢は、結婚を延期している状態なのです」
「そうよね」
モニータは素直に頷くと、ギルフォードに続きの言葉を促した。
「……なにより私のような武骨な軍人を、シャンディアナ嬢が好きになってくれるとは……到底思えません」
情けなくも眉を下げて、弱音を吐いたギルフォードに、モニータは可笑しそうに肩をゆする。
「ふふ……どうかしら?あの子は、ああ見えてとても頑固なの。本気で嫌だったら、どんなに脅されたって、他人のお願いを絶対に引き受けることはしないわ。わたくし、ちゃんと張り手をシャンティに伝授しておりますから」
「どうでしょう。私はあの時、焦るあまり手段を選ばなかったのです。だから、したくても……できなかっただけかも……しれません……」
「やる前から諦めるなんて軍人さんらしくないわ」
情けなく項垂れるギルフォードを見て、モニータはくすりと笑った。
それは高位の軍人の情けない姿を、嘲笑っているわけではない。
モニータは先ほどの質問で、とある確信を得たのだ。
ちなみにこの女性、この年になっても、じれじれのロマンス小説が大好物ときたものだ。そして、孫娘の性格からしても絶対にこの二人は結ばれると思っている。
それに恋ができるのは、平民だけが持つ特権。
モニータ自身もまぁまぁそれなりの恋をして、夫と結ばれた過去を持つ。だから行き遅れ臭が日に日に強まる孫娘には、是非とも恋という味を知って欲しいところ。
でもモニータは、それをギルフォードに伝えることはしない。
口に出したのは、”若い時の苦労は買ってでもせよ”精神からくる、こんな的外れな励ましの言葉だった。
「大丈夫、あなたは顔は良いから、きっとうまくいくわ」
きっぱりと言い切ったモニータに対し、ギルフォードはとても変な顔をした。言葉に表すなら「何を根拠に」といったところか。
これまで眼光の鋭さに全てを持って行かれた彼は、見た目の美醜に触れられたことがない。
ゆえに、容姿に対してはあまり自信がなかった。
そんな理由で更に肩を落とすギルフォードに、モニータは今度は煽る言葉を紡ぐ。
「あらあら、お嫌ですか?それともそこまでは、孫娘を好いてはいないのかしら?どちらにしても、ご無理にとは言いませんよ」
「いえ。大変光栄なお願いです。私なんかでよろしければ、是非」
ギルフォードは頭を下げた。かなり食い気味に。
憎まれこそすれ、好意を寄せてもらうなど、神の御業をもってしても不可能だとは思う。
けれど、本音はシャンティと共に過ごすことができる可能性に、すでにもう神に感謝したい気持ちでいっぱいだった。
つまり、とっても嬉しかった。
けれど、ここでモニータは釘をさす。
「ただ一つ条件があります。あ、二つだったわ」
「いくらでも条件をつけていただいて結構です」
「では、お言葉に甘えて。まず一つは、屋敷に迎い入れるシャンティへの説得はあなたからお願いしますね。それともう一つは、期間はお互いの逃げた相手が見つかるまで。それが条件です。説得できなかったら、このお願いは忘れてくださいな」
「はい」
しっかり頷きながらも、ギルフォードの頭の中は、シャンティへの謝罪の言葉と、説得する理由を探すことでいっぱいだった。
だから、実は心ここにあらず。はっきり言って気がそぞろだった。
「でもね、子供はすぐに作っちゃ駄目ですよ」
────ダンッ、ガタンッ。
とんでもないモニータの発言に不意を突かれたギルフォードは今度こそ椅子からずっこけた。
ただその状態でも、言うべきことはきちんと言う。
「い、命に代えてもお約束いたします」
「ええ。よろしくお願いいたしますわ」
モニータは見た目とは裏腹にとても初心な軍人に向かって、にっこりと微笑んだ。それから何かを思い出したように、両手をぱんっと打ち鳴らす。
「あと、夫には私から適当に言っておきますので。もし職場で顔を合わせても、いきなり怒鳴りつけられたりすることはないから安心してくださいな」
モニータの気遣いに、ギルフォードは床にへたり込んだまま再び頭を下げた。
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