ギャップに萌えする花嫁と、翻弄される花婿

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 ───チクタクと、しんとした部屋に柱時計の音がやけに大きく聞こえる。  シャンティは壁紙のとある一点に視点を固定して、ギルフォードが思考の樹海から抜け出すのを待ち続けている。  ……でも、時々ちらっと眼を向けてしまう。  数時間前、取っ捕まえられた時は恐怖の大魔王にしか見えなかったけれど、今は、ただ美男子だけが許されるポーズを決めただけの彫刻だから。人畜無害なので。  けれど、いつ気を取り直すのかわからないので、その辺は抜かりなく盗み見る。  そしてシャンティがチラ見を18回繰り返したところで、とうとうギルフォードは樹海から脱出してしまった。 「───……待たせてしまってすまない」 「いえ。全然」  本音を素直に口にすれば、ギルフォードはなぜか申し訳ない顔をした。  けれど、すぐに気持ちを切り替えて質問をする。 「まず、私は君を恐喝し、強引に花嫁の代役を求めた。これに対しての怒りは?」 「ないです」  滑舌よくシャンティが答えれば、なぜかギルフォードは怯んだ。  ただ、次の質問にはシャンティもしどろもどろになってしまう。 「そ、その……君の唇を強引に奪ったことに対しては?」 「あ、あれは……その……私も確認を怠っていましたし……」 「し?」 「虎か狼っぽい何かに、鼻先をつんっとされただけです」 「……」  祭壇の前で交わした会話を思い出しながら、シャンティは互いが傷付かない言葉を選んだ。  シャンティは人が好い。ついでに言うと妙なところで気を回してしまう節がある。  だから、こんなふうに思っていた。  あの時、自分はおっかなびっくりしていて身体が震えていた。  だからもしかして、ギルフォードがフリをしようとしていたのかもしれないのに、自分の痙攣のせいで唇と唇がくっついてしまったのかもしれないと。  それに、よくよく考えたらギルフォードだって、見ず知らずの人間を脅すという苦肉の策で偽装結婚式をしたわけだ。  だから本当は、したくてしたわけではないのかもしれない。  もっと言うと、シャンティは見ず知らずの人間から、無理矢理にでもキスをしたいと思わせる容姿ではないことは自覚している。  そんなふうにシャンティは思った。ただ口には出さない。  さすがにここで同意されたら腹が立つし、互いの傷を深めてしまうだけだ。そこから産まれるものは何もない。  でも、ポロリと本音が漏れてしまう。 「でも良かったです。噛みつかれなくて……あっ」  しまったと気付いたシャンティだったけれど、へへっと誤魔化し笑いをしてこの場をやり過ごそうとした。けれど、 「……そういうことを言わないでくれ」  ギルフォードは、ほとほと困り果てた様子で、シャンティに懇願した。ただ、うっすらと頬が赤い。  ここで恋愛経験のある人間なら、ピンとくるものがあるだろう。  けれど、シャンティが気が回るのは、残念ながらこっちのジャンルの方ではない。  なのでギルフォードの懇願を言葉通りに受け取り、表情を引き締めた。  そんな少々微妙な空気の中、ギルフォードはこほんと小さく咳ばらいをして、居ずまいを正して再び口を開く。 「実は君にお願いがある」 「なんでしょう」  シャンティは、ギルフォードと同じように背筋を伸ばしてみた。そんな彼を見て、シャンティは今度はピンときていた。  ただ先回りして言ったとして、違っていた場合はかなり恥ずかしい。なので、ここは最後まで聞くことにする。 「無理を承知で言わせて欲しい。いや、聞くだけで不快になると思う。だから先に謝罪をさせてもらう。それすら不快に思ったのならすぐに忘れてくれ。あと先に言っておくが────」  前置きが異常に長い。  つらつらと流れるように続くそれに、シャンティは耐え切れず思わず口を挟んでしまった。 「つまり代役を続行してほしいってことですか?」 「……」 「え?違うんですか?」  全ての表情を失くしてしまったギルフォードに、シャンティは再び慌てふためく。 「あ、ごめんなさいっ。私ったら勘違いを───」 「いや、そうだ。そうなんだが……そうと言えばそうなるし……いやそうではなくて……。いやいや、その前に質問させてもらう。君はあんなに失礼なことばかりした私の屋敷に来てくれるということなのか?」  未確認生物を目にした時のような顔をされ、シャンティはそぉーっと視線を外す。  実はシャンティはギルフォードの思考を先読みしたのもあるが、自分自身が家に戻りたくなかったのだ。  両親が亡き後、引き取ってくれた祖父も祖母も、シャンティにとても優しいし、理解がある。その生活は窮屈ではないし、穏やかで満ち足りている。  だから戻りたくない理由はそこではない。  ならどうして?と聞かれたのなら……忘れているかもしれないが、シャンティは花婿に逃げられてしまった花嫁なのである。  そして、このまま家に戻れば、逃げた花婿が見つかるまで宙ぶらりんのままの生活が待っているのだ。  何より祖父と祖母に気遣われながら、生活する日々を考えるとかなり憂鬱だったりもする。  だからあとちょっとだけ気持ちを休ませるためにも、もう少し”花嫁の代役をしているシャンティ”でいたかった。   という小狡い理由は隠して、まるで優等生のような台詞を吐いた。 「乗り掛かった舟ですからね。良いですよ。逃げた花嫁さんが見つかるまで、代役を務めさせていただきます。ただ、脅したり、変な薬を使ったりしないでくださいね。アレは……ちょっと怖いです」  ぺこっと頭を下げたシャンティにギルフォードは困惑して……でも、くしゃりと笑った。 「もう絶対にしない。約束する」  その顔は大型犬のように人懐っこくて、怖さを打ち消す魅力があった。
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