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飲みおった……劇薬を……なんの躊躇もなく飲みおった……。
シャンティは、綺麗に飲み干された小瓶を、穴が開くほど食い入るように見つめている。
ここで多少人を疑うことを覚えている人間なら、馬車の中でのギルフォードが演技だったと気付くだろう。
けれど、シャンティは人が好い。あまり人を疑うことをしない。これもまた、亡き両親がお空の上からハラハラと見守っているだろう案件で。
そしてシャンティは、こんな解釈をしてしまった。
お酒をしこたま飲んだので、万が一を考え、自ら劇薬を煽ってくれたのだ、と。
その思考は、あまりにお人好し過ぎるもの。
だが、当の本人は心の底から心配した表情を浮かべギルフォードに声を掛けた。
「……だ、大丈夫ですか?」
「ああ。即効性のものだから大丈夫だ」
「ええっ」
大丈夫な要素が何一つない。
「あの……横になった方が良いのでは?」
「ん?眠気を取るために、これを飲んだというのに。わざわざ寝かせようとは悪い花嫁さんだ」
「……」
困ったように笑うギルフォードを見て、さすがにシャンティもこれが眠気覚ましの薬だということに気付く。
そして憂えた瞳は、綺麗な三角形になった。
「もしかして、わたくしのことをお騙しになって?」
「ああ。悪い」
ギルフォードはあっさりと認めたけれど、その表情は全くもって悪びれてはいなかった。シャンティの目が更に尖った三角形になる。
「怒っているか?」
「……」
酔っ払いに酔っぱらっている?と聞いて、まともな答えが返ってくるだろうか。
そして怒っている人間に怒っている?と聞いて、はいと頷く人間がいるだろうか。
人間とは悲しい生き物で、図星を指されると、認めたくなくなる生き物である。
例に漏れずシャンティも、うっと言葉が詰まってしまった。
そして、うぅっと情けない唸り声を上げた結果「……嘘は付いちゃいけないんですぅ」と弱々しい反論しかできなかった。
その後すぐにギルフォードは、本当にすまなかったと言った後、花が咲くようにゆっくりと口元を綻ばせた。
それを見たシャンティも、鏡合わせのように、いつの間にかギルフォードと同じ表情を浮かべていた。
そしてもう怒りの感情が飛散してしまった今、この劇薬の一件は水に流すことする。
まさに水だけに?そんな余計なことを考えたけれど、もちろんそれをギルフォードには伝えることはしない。絶対にしない。
そしてヘンテコな空気を払拭するために、シャンティは うほんとわざとらしい咳ばらいをして、仕切り直しにと自己紹介を始めることにした。
「では、改めてシャンディアナ・フォルトです。シャンティって呼んで下さい。趣味は庭いじりと刺繍です。ギルさんの本当の花嫁さんが見つかるまで、精一杯、代理妻を演じさせていただきます。あと、19歳です。どうぞよろしくお願いします」
「結構な挨拶をありがとう。改めてギルフォード・ディラスだ。今年で29になる。君とは10の差だな。よろしく、シャンティ」
にこりと笑って挨拶を終えたギルフォードを見て、シャンティは、え?これだけ?と思った。
自分の紹介もなかなか簡素なものだが、ギルフォードはそれを上回るものだった。
これでは彼自身のことが全くわからない。当然、性格など知る由もない。
わかったことと言えば自分とは違い、あっさり他人の愛称を口にできる人間だということだけ。
「……あのぉー、ところで」
「なんだい?シャンティ」
「私はどんな妻を演じたら良いでしょうか?」
シャンティは、意を決してギルフォードに問いかけた。
やはり代理の妻とはいえ、彼にも理想があるだろう。楚々とした妻とか、清楚な感じの妻とか。あとは気さくな妻とか、ノリの良い妻とか。
最初の2つは少々自身がないが、一応聞いておいて損はないことだ。ある程度の努力も……ちょっとはする。
けれど、ギルフォードはゆっくりと首を横に振った。
「私は君がここに居てくれるだけで良いんだ。だから無理せず自分らしく過ごしてくれ」
こりゃまた難題な要求を突き付けてくれる。
シャンティはえーっという言葉を飲み込んで、ギルフォードを見つめてしまう。多分、今、自分の眉は情けないほど下がっているだろう。
「ん?困らせてしまっているか?」
「はい。できればもう少し具体的な例を出してくれるとありがたいです。なんといっても私、妻をやるのは初めてなもんで」
「確かにそうだったな」
ギルフォードはシャンティの言葉を噛み締めるように頷いた。
そして顎に手を置き、しばしの間、思案してしまった。
それを見つめながら、シャンティは必死に欠伸をかみ殺していた。
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