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カーテンの隙間から微かに差し込む蜂蜜色の朝日だけでも、部屋を華やかに照らし出す。清潔なお日様の香りがガラスを越えてここまで届きそうだ。
窓の向こうでは、小鳥がチュンチュンと陽気な歌を奏でている。
でもシャンティは、いつまでも眠っていたいと思うような、ぬくもりにまどろんでいた。
裕福ではあるが贅沢はせず質素倹約を心掛けているフォルト家では、祖母もシャンティも日の出とともに目覚めて、朝の支度をするようになっていた。
ご存知の通り、今は初夏だ。真冬ではない。
なのに、こんなにベッドから出たくないと思うのは久しぶりだった。
それは多分、このぬくもりがいけないのだ。とても罪深い。
暖かくて、少しこそばゆくて。
小さい頃、両親のベッドにもぐりこんだ時とは違う気持ち良さだ。
そんなことを考えながら、シャンティはもっとそれを感じたくてぬくもりにすり寄った。
そうすれば待ち構えていたかのように、大きな手がシャンティの髪を撫でる。
手の持ち主は、最初は恐る恐るといった手つきで、シャンティの髪にそっと触れた。けれどそれは次第に大胆となり、シャンティの髪の隙間に指を入れ手櫛で何度も梳く。これがまた心地よい。
シャンティは瞼を閉じたまま、ほぅっと息を漏らした。
「───……寝ぼけて甘えるのも可愛いな。シャンティ」
ほとんど吐息のような低い声が耳に落とされ、シャンティは、まるでものすごい勢いで瞬間移動したかのように、全ての出来事を思い出してしまった。
そうだ、そうだった。自分はすったもんだの挙句、現在この男性の代理妻をしていたんだっ。
そして当然のごとく、昨晩起こったあれやこれやも思い出てしまう。
昨日ベッドの押し倒されたシャンティは、もちろん一線は超えていない。シーツは皺はあるが、そっち系の染みはない。
ただギルフォードの口づけを全身に受けたのだ。それはもう頭のてっぺんから、つま先まで。刷毛をはくように優しく熱く。
R15のアレなので、詳しくは言えないけれど、ぶっちゃけ、あれでもう一線を超えたことにしてもよくね?などと思ってしまう程だった。
……その相手に自分からすり寄ってしまった。
その事実に気付いた途端、シャンティの頬はかぁーっと熱くなる。シャンティの身体だけ夏真っ盛りだ。
ただシャンティは、この状態でギルフォードの顔を見る勇気はない。
声だけ聴くに、大変ご機嫌そうである。不機嫌でないのは有り難いが、その声音に甘さと熱が含まれているのはいただけない。
なにせ、今は朝なのだから。
うっかり寝ぼけてすり寄ってしまったけれど、これはおねだりではない。断じて違う。
でも、それをわざわざ口に出して言うか?誰が?自分が?アホか、言えるかっ。
と、シャンティは一人ツッコミをした結果、狸寝入りをするという結論に落ち着いた。そして、目を覚ましたギルフォードが起き上がって距離を取ってくれるのを必死に願う。
人はこれを他力本願と言うが、今のシャンティは、言いたい奴に言わせておけば良いという心境だった。
ただギルフォードの手は止まることはない。それどころか、額に口づけをしてくる始末。
ちょっと待った!このままでは昨晩のアレの流れになってしまうっ。そうシャンティが心の中で悲鳴を上げたその時、コンコンと控え目なノックが部屋に鳴り響いた。
「─── 旦那様よろしいですか?」
ガチャと遠慮なく夫婦の寝室の扉が開き、執事のドミールの声が聞こえた。
「ああ、起きてる」
若干不機嫌さを滲ませながらギルフォードがそう答えたと同時に、その身体もゆっくりと起き上がる気配がする。けれど大きな手は、シャンティの髪に添えたまま。
そんな、人前でもイチャイチャしてます感全開の空気をものともせず、ドミールは再び口を開く。
「エリアスさまがお見えになってます。1週間前に提出した合同訓練の報告書を差し替えて欲しいとのことです」
「つまみ出せ」
「はい。そう返答されると思いましたので、門までは首根っこを掴んで追い出そうとしたのですが……」
「なんだ?」
「今回に限っては旦那様は追い返すはずはないから、頼むから一回話を通してくれと喚かれまして、一先ず客室に通しました。……いかがいたしましょうか?」
「くそっ。アイツ、わざとか?」
そう吐き捨てながら、ついでに舌打ちまでして、ギルフォードがベッドから起き出す気配がする。
内心ほっとするシャンティだったけれど、ここでとんでもない会話が始まってしまった。
「ところで奥様の朝食はもうご用意しても?」
「いや。もう少し、このまま寝かせてやれ。昨晩はだいぶ無理をさせた」
すぐさま、おやまあと暖かい笑みが聞こえてきた。
対してシャンティは恥ずかしさで死にたくなった。
あと一線は超えていないことを伝えるべきかどうか悩んだ。でも、やっぱり狸寝入りを続けることにする。
ちなみにギルフォードはシャンティが目を覚ましていることに、しっかり気付いている。だから目を閉じたままあたふたしているシャンティを、たまらない目つきでいる。
「私は着替えてから向かうと伝えてくれ。それと風呂に熱いお湯を送っておいてくれ。私の可愛い妻に、朝風呂を使わせてやりたい」
「かしこまりました」
こんどは、ほっほっと若い夫婦に対して微笑ましい態度をとったドミールは一礼して部屋を後にする。
残されたのはギルフォードと、羞恥で臨終寸前のシャンティだけ。
そんな中、しゅっと布がこすれ合う音がする。ギルフォードが床に落ちたままのガウンを拾い袖を通したのだ。
そしてそのまま出て行くと思いきや、ギルフォードはこんな言葉をシャンティに送った。
「シャンティ、あと少ししたら風呂に入れる。ゆっくり浸かってくれ。その間に私は野暮用を済ませるから、一緒に朝食を食べよう」
心臓を鷲掴みにするような優しい声音に、シャンティはシーツに包まれたまま、ギュッと目を瞑った。
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