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「顔が良いねぇ……」
「顔……うん、確かに良いけど……」
「まぁ、顔は良いね」
「確かに顔は良いね」
クローネとエリアスは、同じ単語を繰り返しながら頷きあっている。
そんな二人を見て、シャンティはしゅんと肩を落としてしまう。
そう。ギルフォードは地位もあるし、顔も良いのだ。
だからシャンティは、ノリと勢いだけで彼の隣にいる自分に対して心の隅で罪悪感を覚えてしまうのだ。
出会い方は最悪だったけれど、毎日ベッド中で触れられることにも、代理とはいえ妻として振る舞うことに対しても、シャンティは抵抗がない。ちょっとは持てよと自分に言いたくなるくらい。
雨の中の路地裏で拾われた猫みたいに、シャンティはギルフォードを信頼している。誠実な彼の側にいることがとても幸せだと思ってしまう。うっかり勘違いすらしそうになってしまう。
しかも最近、ギルフォードに対してこんなふうにすら思ってしまうのだ。
───ギルフォードさん。こっちを見て。もっと私に微笑んで、と。
ドキドキもするし、戸惑いもあるけれど、シャンティは不意にそう言いたくなる衝動に駆られてしまうのだ。
でもそんなふうに思っていることを知られたくはない。でもちょっとだけ気付いて欲しい。
そんな矛盾する気持ちが日に日に強くなっていくのが止められないでいる。
「本当に……私なんかが代理の妻で申し訳ないです」
「いや、それはないでしょう」
「うん、ないない」
秒で否定されたけれど、シャンティは腑に落ちない。
「そうでしょうか。.....今更なんですが、私が代理の妻でいることが本当にギルフォードさんの為になっているのかわからないんです」
眉を下げて肩も落としたシャンティに二人は困った顔をした。けれど、どちらかというとそれは苦笑に近いものだった。
でもシャンティは言葉を続ける。
「私の家が平民であっても、特別な何かがあれば良かったんですが……」
実のところギルフォードがここまで優しく接してくれるのが、シャンティは不思議でたまらない。
形だけの妻を求めているのなら、指輪など買い換える必要だってなかったはずだ。でもギルフォードは自分の意思で用意した。
それは逃げた花嫁を、今でも想っているからともいえる。シャンティに触れてほしくない。という理由ならすとんと胸に落ちる。ただなぜかそう考えると、シクシク胸が痛むけれど。
ギルフォードから逃げた花嫁さんは伯爵家の令嬢だった。対してシャンティの祖父は軍事施設で働いてはいるけれど、単なる設計士でしかない。
ただ、他の人より早く正確に図面に起こせる技術を持っているから重宝がられてるだけのこと。
その技術すら、門外不出というわけではない。祖父は希望者がいれば、講義もしているようだし、自宅に招いて個人指導すらしている。
それにギルフォードは少佐だ。そんな技術など必要ないし、祖父とて要望があれば、すぐさまそれを差し出すだろう。
あと勿論ながら、ギルフォードがメロメロになるほどの美貌をシャンティが持っているわけでもない。
そんなふうに冷静に客観的に自分と自分の家を分析してしまうと、やはり気持ちは落ち込んでしまう。
そしてその表情は、当然ながらギルフォードの顔談義をしていたクローネとエリアスの視界にも映り込んでいた。
「なんかさぁ、シャンティちゃんはギルフォードと一緒に居るの嫌なの?」
「っふへ!?」
真逆のことを問われ、シャンティは驚きすぎて変な声を出してしまった。
けれどクローネは、そのリアクションを間違って捉えてしまった。
「聞きにくいんだけど、もしかしてシャンティちゃんは今でもその……」
「ん?なんでしょう?」
シャンティが首を傾げて続きを促しても、クローネはなかなか口を開かない。
ちらりと隣に座るエリアスに視線を移しても彼もなぜだか、クローネと同じようにモジモジと気まずそうにしている。
聞きたいことってなんだろう。
隠し事は特にないけれど、ギルフォードに向かう自分の気持ちを問われたら、それはちょっと答えたくない。
そんな気持ちでいたら妙に喉が乾いて、シャンティは再びティーカップを手にして、一口こくりと飲んだ。
その瞬間、ようやっとクローネが口を開いた。
「に、逃げた花婿さんのことが好き……だったりとか?」
「あ、それはないです。全然」
シャンティはティーカップをソーサーに戻してから、きっぱりと言い切った。
そうなのだ。シャンティは逃げてしまった花婿に対して、未練などこれっぽっちもない。
それこそ、ギルフォードに対してのとは違う罪悪感を抱いてしまうほど。
シャンティがアルフォンスと婚約して時に感じた印象は、一つだけ。
───優しい人。これに尽きた。これだけしかなかった。
アルフォンスはシャンティが両親を亡くしたばかりだということを知っていた。そして、祖父の中途半端な役職のせいで年頃の貴族令嬢とも平民とも馴染めず友達がいないくて淋しいことも知っていた。
だからとても優しかった。
慰めの言葉も掛けてくれたし、王都で流行っているお菓子もプレゼントしてくれた。
伯爵さまにとったらつまらないであろう辺鄙な田舎町での思い出話も聞いてくれた。嫌な顔などせず、ちゃんと相槌すら打ってくれて、良いところだねって言ってくれた。
けれど一度も「一緒に行こう」とは言わなかった。それが答えだったのだ。
そしてそれをシャンティは不服だと思わなかった。物足りなさなどこれっぽちも感じなかった。
つまりシャンティにとってアルフォンスは、好きでも嫌いでもない存在で、そういう関係でしかなかったのだ。
「そう、なら良かった」
にっこりと笑ったクローネにシャンティも笑い返す。
でも、ふと考える。
今、ギルフォードが、かつて自分がアルフォンスに向けていた気持ちを、自分に向けていたらと考えたら、とても怖くなった。
優しい口調。柔らかな笑み。
それが「無関心」からきているのなら、とても寂しい事だと気付いてしまったから。
「……ギルフォードさんが、迷惑だと思ってなければ良いんですが、あっ」
そんなふうにぽろりと胸の内が零れてしまって、慌ててシャンティは口を閉じる。
けれど、クローネとエリアスは再びぽかんと口を開ける。
「こりゃあ、なかなかだなぁ」
エリアスはお茶を一口飲んでそう言った。
でも、その言葉はお茶の感想じゃないことはわかったけれど、その真意はわからなかった。
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