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prologue とある花嫁と花婿のご事情
とある世界にはジューンブライドという言葉がある。
それは古い言い伝えで、結婚や出産を司る女神が守護する月であるから、その月に夫婦の契りを交わしたカップルは幸せになれるというもの。
ま、春先に結婚をすると農作業の妨げになるので”落ち着いた頃に結婚してね”という裏の意味もある。……どちらに重きを置くかは、それは個人の自由ということで。
ちなみにこのお話の舞台となるヨルシャ国にはそんな言葉は存在しない。
だが乾季に入り、深緑が眩しく心地よい季節のため、この時期は最高のウエディングシーズンとなっている。
そして本日も、ヨルシャ国の王都ユリンシアでは、2つの教会で祝福の鐘が鳴り響く予定だった。
───……だった。
そう、その予定だったのだ。だが、それは過去形。
現在、王都にある2つの教会では、祝福の鐘の代わりにレクイエムが奏でられようとしていた。
***
王都ユリンシアの教会は信仰の場だけではなく、孤児院や学校の役割も兼ねている。そのため大小いくつもの教会がそこに点在している。
その一つ。王都から東に位置する場所に、歴史は長いが派手さにかけるこぢんまりした教会がある。
そしてその一室───親族の為に急遽用意された、さして広くない部屋では、現在どう言葉に表せば良いのかわからない重々しい空気が充満している。
「───……紙切れ一つ見せられただけでは話にならない。納得いくよう説明願います。ロッセ 卿」
「いや、ですから先ほど説明した通り、今朝になって息子は手紙一つ残して消えてしまったんですよ。フォルト 殿」
「手紙一つ残して消えた?随分と簡潔な説明であるが、まったく明瞭でない。納得できる理由も何一つない」
「そう言われましても……息子は既に成人し家督もすでに継いでいる身。隠居した私が口を出せることではないでしょう」
ロッセ卿と呼ばれた男性は、肩を竦めて笑って見せた。その瞬間、フォルト殿と呼ばれた男性のこめかみに、びしっと青筋が立つ。
ちなみにフォルト殿と呼ばれたその男は正式にはルジリッド・フォルトという。そして男性と呼ぶ年齢ではなく既に老人の域に達していた。
だが未だ現役で職に就いているので矍鑠かくしゃくとしており、その容姿は好々爺とは真逆のそれ。だが馬鹿が付くほど孫娘を愛している。
対してロッセ卿と呼ばれた男は、ルジリッドより若くまだ40代。若い頃はまあまあモテていたであろう名残を見せつつも目元はしっかり皺がある。
そして彼の口元は緩い弧を描いていて、その唇からは薄っぺらい謝罪の言葉すら紡がれていない。
先の会話を聞いて、勘の良い人間ならなんとなく状況を察することができるだろう。
けれど敢えて言葉にすると、ロッセ卿の息子アルフォンスこと花婿は、手紙一つ残して結婚式当日に姿をくらませてしまったのである。
そして現在、花嫁の祖父であるフォルトは大変怒り心頭。だが、花婿の父親はのらりくらりと責任逃れをする言葉を吐いている。
いやはっきり言って、こんな不始末をしでかしたというのに、詫びの一つも入れずに舐め腐った態度を取っているのだ。
年上に対してでも、当事者の親族としてでも、その態度はかなり失礼なもの。腹の一つでも切って誠意を見せるべきなのに。
または胸倉掴んで張り倒されても甘んじて受け入れるべき状況なのだ。
だけれどもヨルシャ国は完璧なる階級社会。
フォルト家は裕福であるが、残念ながら爵位を持っていない。だからお貴族様相手では、どんなに理不尽なことでも泣き寝入りするしかないのだ。
ぐぬぬっとルジリッドは悔しそうに奥歯を噛みしめる。隣にいるその妻モニータも非難の視線を向ける。
けれどロッセ卿もその妻も、”あらあら困りましたねぇー”といった感じで自責の念は欠片も無い。
そんなふうに温度差があるこの4人だけれど、礼服を身に包んでいることだけは同じ。
そして早々に話をまとめて、式に参列してくれた方々にお詫びに回らなければならなかった。
ちなみに今回最も被害を受けた花嫁はというと───この空気に耐え切れず、いつの間にか姿を消していた。
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