船上にて

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船上にて

船着き場、スターフェリー・ピアに着いてタクシーを見送る。遠くで雷鳴が鳴っていた。霧雨にけぶる乗り場に集う乗客はまばらだった。チケットを買っていると、汽笛が近づいて来た。やって来たスターフェリーは上半身は白く、下半身は緑色をして、船体のあちこちに星のマークを付けている。 スターフェリーはビクトリア・ハーバーの渡し船だ。航路は四つあり、観光客は勿論、地元民も交通手段の一つとして日常的に使う。三十八円程の格安運賃でビクトリアハーバー内から世界三大夜景のうちの一つと言われ親しまれている百万ドルの夜景を約六分程の間に見ることができると人気だ。 去年も夏季休暇を取って彼に会いに来て、香港で束の間のデートを楽しんだ。彼はかつて私の働いている都内の老舗ホテルにある寿司処で見習い職人として働いていた。男前で颯爽と遙か先を見て歩く姿が様になる人だなぁと憧れていて、ある日、社内で行われたホテル創立記念パーティーで私から話しかけてみたのがきっかけで付き合うようになった。彼はいずれは独立し、海外で鮨屋を開きたいという夢があり、港の繁華街の潰れたラーメン屋だった跡地に小さな店を開いたのが二年前の事だった。 去年の夏は楽しかった。 ネイザンロードを腕を組んで歩き買い物をしたり、女人街で会社の同僚にお土産を買ったり、道教のお寺・黄大仙で彼との未来を占ったり、お腹が空いたら点心飲茶やお粥の専門店で現地の味に舌鼓を打ち、最先端のクラブミュージックが流れる賑やかなナイトクラブで踊り明かしたりした。 このフェリーに乗った時は二階席にくっついて座り、夜景よりもお互いを見つめていたっけ。彼は今度日本に一時帰国したら親に紹介するって言ってくれた。なのに秋に近づくにつれて連絡をくれなくなり素っ気なくなっていった。そして、今年の夏は店が忙しいから会えないと言われて、サプライズで会いに来たらこの始末だ。 この船に彼と乗る事は二度とないだろう。 未練を捨てるのに一番目立たない席を探す。 フェリーは汽笛を鳴らし動き始めていて移動していた私はその揺れに大きくよろめいた。
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