後悔のない未来

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社会人になってからはじめての帰省はひさびさでありながらとてつもなく居心地の悪いものだった。    僕と弟の共同の部屋であった場所は弟の部屋になっていた。仕方がないのでリビングに布団を敷いて寝るようにしたのだが、弟の様子が気になって仕方がない。    僕の弟は長らく引きこもり生活を続けていてもう何年も家から出たことがない。きっかけは些細なことだった。うちの親は2人目を作るつもりがなく、僕を一人っ子として育てるつもりだったため、僕にお金をかけた。欲しいものは買ってもらえたし、やりたい習い事も、服装や持ち物も、それなりにお金をかけてもらえた。自分でいうのもなんだが、成績も優秀で、友達もそれなりに多く、恵まれた学生生活を送ってきたと思う。  弟が生まれたのは想定外だった。そのため、なかなかお金をかけることができなかったようだ。そのせいもあってか弟は陰気で友達も少なく、勉強もできなかった。雰囲気を察して物を強請ることもなく、控えめな弟だったが、10歳くらいのころにはじめて親にお願いをした。それがピアノを習いたいということだった。  しかしピアノを買うのは大変なことだし、習うのにもお金がかかる。ちょうど僕が受験期で家庭教師を雇い勉強に力を入れているところでもあったため、その要求は斥けられた。  その頃からだろうか。学校に行く回数がだんだんと減り、引きこもりがちになってしまった。不憫なことではあるが、当時の僕は自分のことでいっぱいいっぱいだったため、「ピアノなんて女みたいな習い事しなくてもいいだろ」なんて一蹴してしまった記憶がある。どこかで出来の悪い弟よりも自分の方にお金をかけるべきだと思っていたのかもしれない。  弟の部屋に恐る恐る入ると、弟はゲームをしていて、僕の部屋だったはずの場所はお菓子や食べ物のゴミで散らかっていた。最近はゲームに触っていないので詳しいことはよくわからないが、昔からある化け物を倒すような類のゲームに熱中しており、僕が帰ってきたことはなんとも思っていない様子だった。  親も弟には困惑しているようで、顔から疲れが見えた。家を出たとはいえ、こうして家族が壊れていくのを見てはいられないと思った。あのとき、僕がもう少し弟のことを考えてあげられたら。ピアノが買えなくてもせめて電子オルガンくらい与えてやれば習いにも行けたのではないか?僕がもう少し自分で勉強していたら、弟にお金をかけてあげられたのではないか。  そう思いながら眠りについたことを記憶している。目が覚めるとそこは自分の部屋だった。さっきまで弟のゴミでいっぱいだったはずなのに。昔と同じように綺麗に整えられている。ふと隣を見ると、弟が勉強机に座って宿題を解いていた。宿題…?よく見ると弟はあの時の弟だった。僕も、あのときと同じ。  そのときはなぜか素直にタイムスリップできたのだと思った。僕の後悔をやり直すために、不思議な力が働いたのだと。トントン、とノックの音がして母親が入ってくる。まだ若い、あの頃の母だ。 「そろそろご飯よ」 「あ、あのお母さん」  ピアノ習いたいんだけど。深刻そうに弟がそう言うと母は困った顔をした。確かそこで僕がやめときな、と母に助け舟を出して、その話は流れてしまったのだ。 「いいじゃん、やりなよ」  彼がやりたい、っていうことなんて今までなかったじゃないか。やらせてあげようよ。僕が今の家庭教師やめて、もっと安い塾に行くから。ピアノはダメでもオルガンくらいなら買えるでしょ、上手くなったら買ってあげようよ。僕はいつになく熱弁した。母が、「そこまで言うなら」と首を縦に振りかけたところで目が覚めた。  目が覚めると今度は元のリビングだった。あぁ、なんだ夢か。そう思って起き上がるとそこにはなかったはずの大きなピアノが置かれている。まさか、本当に過去に戻って未来を変えたのか?弟の引きこもりは直ったのか?僕は急いで弟の部屋に入った。  しかしそこは何も変わっていなかった。なんだ、やっぱり夢か?でもピアノなんてうちにはなかったはずじゃ?あいつはピアノを習えなかったんだ。  ふと迷惑そうな弟のゲーム画面を覗くと、化け物を倒すゲームが音ゲーに変わっていた。
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