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1月30日。今日もいつもと同じように授業が終わる。しかし私の心は平常心にあらず。部活動、厳密に言えば、部活動のあとのことにとらわれていた。私ひとりが急いだところで早く終わるわけでもない掃除もいつもより気合が入る。
掃除が終わるや否や、職員室へ駆ける。廊下を走ってはいけないという形骸化されたルールなど気に掛けるわけがない。そう、これは時間勝負なのだ。ことは一刻を争う。
職員室の中、入ってすぐのところにあるキーボックスから鍵を取り出し、貸出リストに名前を書く。料理同好会、部長、高橋瑞樹。職員室の端に座る小崎先生と目が合い、会釈する。
私は再び廊下を駆けた。ぶつかりそうになる下級生を華麗にかわし、じゃれあう男子には目もくれず、廊下を走り、階段を下る。
到着。調理室。鍵をあけ荷物を置き、奥の冷蔵庫へ向かう。卵、牛乳、バター、生クリーム、いちご。よし、今朝持ってきたものはしっかり揃っている。家庭科の先生の許可は取ってある。
ではでは、作っていきますか、ショートケーキ。
料理同好会の部員は三名、私の他に運動部との兼部の一年生が一人、食レポ専門の同級生が一人。三年の先輩は二人いたが、既に引退しており、今頃受験に励まれていることだろう。
いつも通り一人だけの調理室。
バタン、ピッ。カッ、グウィィィィン。淡々と調理を進める。ピロリ。オーブンの予熱が終わる。生地を型に流し込みオーブンに入れる。調理室にただ、効果音だけが響く。生地を焼く間に生クリームを混ぜ、いちごを切る。使い終わった器具はすぐに洗う。早く焼けないかな。
終業後、一時間半しかない部活の時間でケーキを作るのは、まさに時間との戦いだ。焼きあがったら今度はスポンジを冷やさなければならない。やることも無いのでインスタのストーリーを消化する。もういいだろうか。スポンジに触れる。問題なさそうだ。スポンジを切り、生クリームといちごを挟む。全体を生クリームで包み、絞り袋に入れた生クリームといちごで飾る。
完成。予め用意していた箱に入れて蓋をする。
時計を見ると5時15分。少し時間が余ったが、おおよそ予定通りだ。LINEを見て、待ち合わせ時間を確認する。駅前に5時45分。職員室に鍵を返し、バス停へ向かう。
駅に着いたのは5時35分。多くの部活は5時半に終わり、生徒はそれから帰るのでバスは空いていた。待ち合わせの時間まで余裕があるので改札外のトイレへ向かう。個室で着替えを済まる。完全に私服になった私は下校中の高校生には見えない。
トイレを出て、辺りを見回す。いた。
「あかりちゃんお待たせ!」
「あ、高橋さん。着替えたんだね。」
「だって仕事終わりの先生が生徒と一緒にいるの見られたら変な噂になりそうじゃん?」
そう言って私は、あかりちゃんこと小崎あかり先生と腕を組み改札へと向かった。
走る電車は私の家とは逆方向に向かう。親には友達(親同士の繋がりのない都合のいい友達)の家に泊まると伝えてある。私達の姿は、他の乗客の目にはどのように映るだろうか。
「その箱は?」
「あかりちゃん、今日誕生日でしょ?」
「そうだけど、えっ、まさか。」
「あとでのお楽しみってことでね。」
あかりちゃんの肩にもたれかかってみる。香水の匂いはしない。あかりちゃんの匂いがした。
電車を降り、数分。小崎と書かれた安っぽい表札。
「おじゃましまーす。」
「はい、ごゆっくりー。」
独身、彼氏無し、一人暮らし26歳の家。前回来た時と変わらない部屋に取り立てて感想を抱くこともなく、慣れた足取りで入り込む。
「ちゃんと手、洗ってね。」
「はいはい。」
言われなくてもさすがに高校生なので分かっている。
「晩御飯あっためるから適当にだらだらしててね。」
「これ、冷蔵庫に入れていい?」
ケーキを箱を見せて尋ねる。
「あ、お願い。」
「はーい。」
晩御飯はカレー。多分二日目。私が家に行くと三回に一回はカレーが出てくる。そしてその時は決まって前日に作った二日目のカレー。一応来客の私を待たせないための配慮だろう。
カレーを食べ終えた私はケーキとパン切り包丁を持ってリビングへ向かう。
「ハッピーバースデー、あかりちゃん!」
「わぁ!ショートケーキ!ありがとう!」
無邪気に喜ぶその姿は、26歳のそれには見えない。ケーキを切り分ける私、皿ををおさえるあかりちゃん。
「ケーキ入刀みたいだね。」
「ちょっと何言ってるの。」
にやにやしながら分かりやすく照れる。
「どこで買ったの?」
「手作りだよ。」
「えっ!手作り!?すごい!さすが高橋さん!」
感嘆符がうるさい。分かりやすく喜んだり驚いたりするあかりちゃんを見ているとつくづく、「この人、本当に社会人なのだろうか。」と心配になる。そう思ったのは今回が初めてではない。
初めて会った時――厳密に言えば生徒と教師という関係はあり、お互いに認識していたので初めてではないのだが――もそうだった。
いつも通り調理室で料理をしていた。匂いにつられてやってくる生徒はしばしばいたが、教師がかかったのは初めてだった。たしかちょっとしたお菓子を振舞ったのだと思う。きっかけは覚えていないが、先生の愚痴を聞かされた。
「最近残業が多くてね。あと、私、テニス部の顧問やってるんだけどそれの仕事とか、あとはうちのクラスの色々があったりで忙しくて――。」
教師に守秘義務があるのかないのかは知らないが、ここまであけすけに言ってしまうのは大人としてどうなのか。とりあえず私は社交辞令で返す。
「まあ私はだいたいここで料理してるんで、良かったらまた来てください。」
多分来ないだろうと思っていたのに、それから週に2回くらいのペースで彼女は来るようになった。こんな先生を軽蔑するとともに、その弱さにある種の庇護欲が芽生えた。そして、関わりを深めるにつれ、さらに別の感情に変わった。
「先生、私と付き合いませんか?」
先生と生徒、という関係が変わり始めた。
「いやぁ、やっぱり高橋さんって料理上手だね。美味しかったー。」
満足げな顔。
「私、ショートケーキが一番好きだなぁ。」
「似合ってる。」
「ん?似合ってる?」
「ところであかりちゃんってショートケーキのショートってなんのことか知ってる?」
「え、なんだろう。んー、あ、ショートニングとか?」
「正解。」
半分だけど、とは言わない。
ショートケーキのショートは「脆い」が由来らしい。生徒に弱いところを見せて、挙句の果て先生という立場にありながら生徒と付き合ってしまうなんてあまりに脆い。そんなあかりちゃんにお似合い。
そして私達のこの関係も。私はあかりちゃんが好き。脆いところも含めて。あかりちゃんも多分、私が好き。相思相愛ではあると思う。しかし私たちは、一方で、生徒と先生である。先生の転勤、私の卒業、関係の発覚、先生の人生設計、私の人間関係。壊れるきっかけはそこかしこに溢れかえっている。私達の関係はあまりに脆い。そんな私達にもお似合い。
嬉しそうにショートケーキを頬張るあかりちゃんを見ながら、そんなことを考えていた。
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