第1章 私の妻におなりなさい

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一度、大きく伸びをして凝り固まった身体をほぐす。 肩を軽く押さえ、首を左右に倒しながら工房を出て母屋へ回った。 我が家は金沢で、加賀友禅の工房をやっている。 といっても職人は父と、去年、古希を迎えた祖父のふたりきりだが。 私はといえば、父の工房に間借りして細々と友禅の技法で染めた半襟などの小物を作りつつ、オリジナルの和装小物の販売をしている。 「お客さん?」 玄関には珍しく、ビジネスシューズが二足、並んでいた。 取り引きのある問屋の担当さんが来ることもあるが、大抵ひとりだ。 「うん、そう。 東京から」 「ふーん」 台所でお茶を淹れていた母を尻目に棚を漁り、おやつになりそうなものを探す。 「三橋(みつはし)呉服店さんの若旦那だって」 「ふーん。 ……って、三橋さん!?」 聞き流しかけたが、とんでもない名前が出てきて思わず聞き返していた。 「三橋って、あの三橋呉服店さん!?」 「あの、三橋呉服店さん」 三橋呉服店、三橋呉服店と繰り返しているが、それほどまでに信じられないことなのだ、これは。
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