終章  ~ 夢の中 ~

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 終章  ~ 夢の中 ~

「結局のところ、お前のスランプどうなったんだ? 脱したのか?」  何故か相席となった関にーこいつが勝手に付きまとってるだけだースランプについて訊かれたが、そんなのわかるわけない。その守備に就けなかったんだから、こいつのせいで。 「さあな。盆明けの練習が始まってみないとわからないな」  愛想のかけらもなく答えると、それを聞いていたらしく、通路を挟んだ隣から結城キャプテンが間に入った。 「心配いらないさ。マウンドでの動きは、完璧いつもの北斗だった」  俺達の方に顔を向け、ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべる。  その額には加西に貼り付けられた真っ白なガーゼが、彼女の想いとなって傷口を覆っていた。  さすが敏腕マネージャー、バスに乗り込む前にしっかり用意していたらしい。大方オペラグラスでも使って観戦していたんだろう。  とにかく一歩前進……いや、これまでの事を思えば二歩は軽く進んだ気がする。  それはともかく、 「マウンドとショートは違います」  憮然として言い返した俺に、「そうか?」とわざとらしく首を傾げたキャプテンが、延長戦に入ってからのプレーを振り返った。 「サードベースのフォローは当然としても、その前のライナーは並の奴には捕れないだろ、普通」 「あ~、あれね、無理無理。俺だったらグラブも出ないっす」  ピッチャーの関が即座に返すが、お前のその反応の方がよっぽど俊敏だろう、と言いたい。  今は何を言っても話のネタにされそうで…特に隣にいる奴が悪すぎる、と早々に狸寝入りを決め込んだ。  背もたれを倒し上半身をシートに預けて外の薄闇に目を向けていると、身体の疲労がどっと押し寄せて来る。  延長戦になり時間が相当押していたのも手伝って、甲子園に名残を惜しむ間もなくバスへの乗車を余儀なくされていた。  宿泊先である旅館に向けて走り出し、ようやく一息吐ける状態になってそれまでの疲れが一気に出たんだ。  普段は人前、特に他人の前では絶対に眠ったりしない。  よほど気心が知れてないと精神的に落ち着かない性分らしい。  身内の少ない俺にとって唯一の例外は瑞希だが、あいつが隣に入って来ると余計気になって眠れない。  あいつは一人の方が駄目なようで、初めて一緒のベッドで眠った時も、俺を頼りきってくる瑞希にきっぱり断れず、その延長で今もずるずる続けている。  けど実は毎夜、拷問にかけられている気がしないでもない。  そんな事をつらつら考えている内、みんなの話し声が段々と遠くなりかけた。 「――おや、珍しい。成瀬君は眠ったようですね」  その声に、半分ほど現実に引き戻された。 「監督、騙されないように。こいつのは振りだから」 「え? そうなんですか?」 「こいつ、隣に人がいたら、絶対本気で熟睡しないの。小学校からずっとそう」  さすが関、よく心得てる。 「それは知りませんでした。ですが今日は今までになく疲れているはずですから、案外本当に寝ているのかもしれませんよ」 「ありえませんって。携帯でも出そうものなら絶対殴られます」  そうだ、馬鹿な真似はするなよ。壊しても責任は取らないぞ。 「さては関君、経験済みですか?」 「エヘ。ま、そんなとこっス」 『エヘ』、じゃないだろ!   お前の隠し撮りしたスナップのせいで、多大な迷惑を被ったんだからな!  関と監督の会話を拾い、眠気が遠のいていく。  すると監督が別の相手に呼び掛けた。 「それにしてもよく頑張ってくれましたね、彼は。ねえ結城君」 「本当に。マウンドでうずくまった時はさすがに心配になりましたが」 「何が彼を立ち上がらせたのか知りたいものですね」 「あぁ、――同感ですけど訊いても答えないでしょう、きっと」 「ええ、そうですね。それに投球はともかく、あんなにマウンド捌きの上手いピッチャー、初めて見ましたよ」 「こいつはどこを守っても完璧にこなすんです。それが『成瀬北斗』の真価。春日さんがどんな事をしても手に入れたかった理由です」  隣からの結城キャプテンと監督の話し声が、近く遠く、聞こえる。  その内容は俺の事で、聞いているこっちが恥ずかしくなる。  二人の談笑に口を挟む気にもならず、黙って目を閉じていた。 「そうみたいですね。関君が言い出した時には驚きましたが、田島君があっさり、というより嬉々としてマウンドを譲ったのも、ベンチに戻ってきた後の表情も、試合を見ていて納得しましたよ。投手に誘いたくなる訳が」 「でしょう? けどこいつはそれを望まないんです。もっと自由に伸び伸びと、フィールダーだけに専念したい、そう思ってるんです」 「フフ、何度も後ろを振り返ってましたからね。それに九回の満塁の時は、さすがにこのまま一気に突き放されるかと思って観念しました」  二人の声が……時々笑い合う和やかな空気が耳に心地いい。  通い慣れたマリンパークの海岸に打ち寄せる波音にも似て、聞いている内に確かな安らぎに包まれ、いつの間にか深く短い眠りに落ちていた。      ・          ・          ・ 「すみませんね、余計な真似して。俺だって松谷の怒りに全然気付かなかったわけじゃないっすよ。まぁ守備の要の重要性は思い知ったけど」 「得る物はお互い大きかったわけですね。それに相原君も成瀬君のプレー、食い入るように見てました。実は最高の見本がすぐ傍にいた、って事ですか」 「けど北斗はもう二度とマウンドには立たないですよ。ってか立たせたくない。今度はあいつの心から望む場所で甲子園に立たせてやりたい。そうだろ? 関」 「そうすね。こいつのプレーはやっぱマウンドよりダイヤモンドの方が光るかな」 「まあな、それにあのすっぽ抜けには正直笑えた。無理矢理押し付けた手前、大笑いできなかったが」 「アハハ、あれは受けた! 練習中だったら絶対笑い転げてた」 「時々そういうポカをやらかすんだよな。けどそれがこいつの最大の魅力――って、おい、北斗、マジ寝てんじゃないか? ここまで話題にされて黙ってるなんて絶対おかしい」 「そういえば、…けど俺、怖くて確かめられないんで話題変えましょ、結城先輩」 「だな、その方が懸命だ」 「フフッ、ゆっくり休んでもらいましょう。今日一番の功労者ですから」 「ですね。休み明けたらまたキャプテンとして重責を担う事になるし。――こいつはそういう星の下に生まれてるんだろうな……」 「えっ!? 何? 何、キャプテン! 次のキャプテン、成先輩引き受けてくれたの?」 「馬鹿っ、声がでかいぞ渡辺」 「みんなっ、次のキャプテン成先輩だって! やったね♪」 「オオーッ!? すげえぞ結城!」 「よくぞその頑固モンを懐柔した!」 「主将としての一番の大仕事はそれだなっ」      ・          ・          ・  突然起きた笑い声に、ビクッと身体が震えた。  懐かしい潮騒の音に重ね、幼い日、砂浜で遊んだ夢を見ていた。  そこへいきなり大波が襲って来たんだ。 「――何? ……何か、あった?」  ぼんやりした頭で、隣にいる奴に問いかけた。 「い~や、別に。――旅館に着いたら起こしてやるから、安心して眠ってろ」 「ん、悪い。頼……む」 『安心して眠ってろ』と言われ、再び意識を手放した。  熟睡するのは俺一人。  騒然としていたバスの中がその先からひそひそと囁き、小さく笑い合う声に変わったのも知らず、幸せな夢の続きを追った。  真剣に砂山を作る俺の隣には四才の、あどけなく笑うみーちゃんがいた。  
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