6・輝く南の星座よ、二人の未来を照らせよ(SIDEユキ)

1/1
前へ
/60ページ
次へ

6・輝く南の星座よ、二人の未来を照らせよ(SIDEユキ)

 高橋とさゆりさんの赤ちゃんは、予定日を5日ほど過ぎた3月の中旬に生まれた。女の子で、名前は「莉花|(りか)ちゃん」という。メールで画像は見たけど、まだ小さすぎてどっちに似ているのかわからない。  さゆりさんは石垣島の病院で出産し、陣痛を聞いて駆け付けた高橋が立ちあった。残念ながら仕事があったので、その翌々日にはとんぼ返りしたが、4月にはまたベビー用品を抱えて妻子のもとへ訪れ、さらに連休は育児休暇と有給を使って、2週間ほど波照間島に滞在するらしい。莉花ちゃんがまだ船と飛行機の長旅は無理そうなので、親父が頑張って通うしかない。 「島内の案内はまかしとけ、って言っても外周15㎞だからな。チャリで回ったらあっという間だ」  石垣島からの定期船の港には、高橋が軽トラで迎えに来てくれた。さゆりさんとの交際中も何度か来ているので、もう島の隅々まで知り尽くしている。島にはバスやコンビニもなく、波照間ブルーと呼ばれる真っ青な海が広がっている。日本最南端、まさに自然のど真ん中の島だ。  長谷川は荷物の監視という名目で荷台に乗っているが、きっとこの景色に驚いているだろう。目をキラキラさせて、子どものようにキョロキョロしている様子が目に浮かぶ。 「さゆりさん、ここで育ったのか」  空と海と植物の群生に圧倒され、言葉を失いそうだ。道の向こう、見渡すばかりのサトウキビ畑の向こうに、大きな古い木造家が見えてくる。そこがさゆりさんの実家で、親族一同代々サトウキビ農家を営んでいる。 「ここは何もないようでいて、全てがある。力強くて、美しくて、優しい。俺、ここに来るたび思うんだ。この島は、まるでさゆりそのものだって」  気障なセリフだが、この青い空の下で言われたら納得してしまう。やがて高橋は前庭の一角に車を停め、短くクラクションを鳴らした。開けっ放しの玄関の奥から、小さな赤ん坊を抱いたさゆりさんが出てくる。 「わー、安藤くん、愛ちゃん、久しぶり! よく来たね」  母親になったさゆりさんは、化粧っ気もなくコットンのワンピースにサンダル履きという簡素な格好だが、今まで見たどんな彼女より美しかった。幸せに満ち溢れた女の顔だ。その腕の中で、まだ首も座っていない莉花ちゃんが、小さな口を開けてあくびをした。 「入ってくれ、何か冷たいもんでも出すわ」  高橋が俺たちを中へ促し、洗面所らしき扉へと消えた。下駄箱の上にはアルコール消毒液。赤ん坊がいるので、衛生には気を配っていると言っていた。家の中は造りは古いものの、きちんと手入れがされていて居心地がいい。俺と長谷川は通された広い板張りの居間で、冷たい「ヒラミ8」をご馳走になった。沖縄のご当地ドリンクだ。シークワーサーのレモネードと思えばいい。 「2階に、二人の部屋を用意したから」  俺と長谷川は、この家に2泊お世話になる。民宿に泊まるつもりだったが、連休中は島のわずかな宿はどこも満杯で、近隣には飲食店も少ない。そんなわけで図々しく泊まらせてもらうことになった。今年85歳のアッパー(おばあちゃん)含む、8人が暮らす7LDK。物置代わりの空き部屋が2つあるそうだ。  今回は、長谷川家にさゆりさんが交渉してくれたのも有難かった。最初は娘の外泊に難色を示していたが「友人のご実家に泊まるのなら」と、渋々OKを取り付けた。建前では俺とは別室という事になっているので、くれぐれも内緒で頼むぜ。 「荷物片づけたら、島をひとめぐりすっか」  高橋が島内観光に連れて行ってくれるらしい。悪いな、せっかく妻子と貴重な時間を過ごしているのに。だがまあ、俺も長谷川も初めての波照間島だ、というより沖縄自体が初めてだ。ここはお言葉に甘えよう。時刻は午後4時前。さくっと一周して帰って来れば、畑に出ている家族も帰って来る頃合いだろう。  高橋の案内で、俺たちは世界でも有数の美しいビーチ「ニシ浜」や、雄大な岸壁に荒波が打ち寄せる「高那崎」、さらに「日本最南端之碑」などを見て回った。島の中は、信号がないから不思議な感じだ。南国というのを通り越して、ここは異世界なんじゃないのかと錯覚してしまう、そんな景色に何度も出くわした。  家に帰ると、親戚やら近所の人も集まっていて、なんか知らんうちに宴会になった。これが噂に聞く「ゆんたく」ってやつか? アッパーにすすめられて泡盛を飲んだが、キツいな、こりゃあ。そして年寄り連中が「ヤイマムニ(八重山方言)」だから何を言ってるかわからん。  男連中はわーわー言いながら酒を飲み、長谷川も赤ん坊を抱っこさせてもらって上機嫌だ。出産祝いに長谷川が手作りしたスタイは、さゆりさんが大喜びしてさっそく莉花ちゃんの首元に着けられている。  そうしているうちに夜が更け、長谷川が泡盛サワーで出来あがったのを機に、俺たちは二階へ上がった。今日は二人とも長旅で疲れたので、そそくさと歯磨きを済ませて布団に入る。  今夜はがっつり寝て、明日はシュノーケリングだぜ、長谷川。……と思ったら、もう寝ていた。まったく、かわいい奴め。明日はそれだけじゃない、きっとビックリするようなことがある。俺は長谷川の寝息を聞きながら、海の底のような深い眠りに引き込まれていった。  翌朝、シュノーケリングに行くと言ったらさゆりさんが、「ニシ浜もいいけど、連休は人でごった返すからペー浜に行ってごらん」と、教えてくれた。地元民がよく行くビーチなんだそうだ。  さっそく借りた自転車に道具を詰んで行ってみた。なんとまあ、透明な青いゼリーのような海の中を、カクレクマノミが泳いでいるぜ。長谷川も「カワイイ!」を連発している。ちょっと沖まで泳げば珊瑚礁も見えた。  あっという間に時間が過ぎ、せっせとチャリをこいで島の中を巡っているうち、もう夕方だ。明日には飛行機に乗って、忙しい毎日に戻っていくなんて信じられない。ずっとこの日々が続けばいいのに。島での残された時間を惜しむように、俺たちは夕食後に星を見に来た。  行先は、島の南側にある「星空観測タワー」だ。夜は街灯がなく真っ暗なので、高橋が車で送ってくれて、2時間後にまた迎えに来る。ここは星を観測するため夜間の営業をしているが、あえて建物の前にある浜の西側へ、足元を懐中電灯で照らしながら降りていく。 「先輩、タワーの中に入らないんですか」 「ああ、こっちだ」  俺は、目星をつけておいたポイントから海を見据えた。時刻は21時半すぎ。日の入りと日の出の中間、いわゆる南中時刻を調べてやってきた。長谷川は意味不明な俺の行動に首を傾げている。そろそろ種明かしをしてもいい頃だ。 「波照間島では、水平線の間際に南十字星が観測できる。特に今の時期はよく見えるシーズンらしい。おまけに今日は新月に近いから、星影が際立つ」 「そうなんですね、名前だけは知ってますけど見たことないです」 「日本で見られる場所は限られているし、滅多にきれいには見えないそうだ」  俺たちはしばらく、夜の海を眺めていた。あたりは真っ暗で、波の音だけが聞こえる。退屈するかと思ったが、何とも心地よいひと時だった。やがて俺の両目1.5の視力が、水平線近くにそれらしき星を捉えた。4つのうち下側の一つが目視できないが、あれは確かにネットで見た南十字星で間違いない。 「長谷川、この指の先の海の際に、ひときわ明るい星か並んでいるのが見えるか」  俺の指さす方角を、長谷川がじっと見据える。大丈夫だ、彼女も俺と同じで視力がいい。きっとあの星を見つけられる。 「確認しました」  目を星から離さず、長谷川が答えた。いいぞ、いいぞ。 「じゃあ、その二つの星の真ん中あたり、少し上に上がったところに、もうひとつ明るい星が見えるか」 「見えます」 「その下側にもあるんだが、今夜は良く見えない。その4つを結んだのが南十字星、サザンクロスだ。星という名前がついているが、実際は星座だ。天にある88の星座のうちで、もっとも小さい」 「すごいです、肉眼で見えるんですね」 「長谷川」 「はい」 「結婚しよう」  再び、周囲が波の音だけになった。長谷川は前を見たまま、微動だにしない。いつも俺は唐突で、突っ走っては彼女を呆れさせる。今もそうだし、きっとこれからもずっとそうだろう。俺は返事を待たずに言葉を続けた。 「付き合うときは神社の神様の前だったが、今度はあの星に誓う。もう何年も、いつか一緒になりたいと思っていた。その気持ちは、これからも変わることはない」  長谷川はまだ固まっている。俺はさらに続けた。 「長谷川は就職したばかりだし、今すぐにとは言わない。いずれ長谷川が納得できる時期が来たら、俺と結婚してくれないか」  長谷川はしばらく黙っていたが、はーっと大きな息を吐き出し、ゆっくりとこちらを向いた。星明りでわずかに瞳が潤んでいるのがわかる。 「……って」 「ん?」 「わ、私だって……」  薄闇の中、長谷川の潤んだ目から、真珠のような粒がほろりとこぼれた。なんと美しい光景だろうと見とれていると、長谷川の声が闇の向こうから俺の鼓膜に流れてきた。 「私だって、そんなのとっくに気持ちは決まってますよ。私……、先輩以外の人と結婚する未来なんて想像できません」 「長谷川」 「もうっ、先輩のバカ! なんで急に言うんですか、嬉しいけど……嬉しいけど、びっくりしちゃうじゃないですか!」  猛烈な勢いで、長谷川が俺に抱き着いてきた。乙女の抱擁というよりも、ラグビーのタックルに近い。俺は脚を開いて弾丸のような体を受け止めながら、倍返しの力で抱きしめた。とっくにお互い予感していたんだ、ずっと二人で生きていく未来を。 「先輩」 「ん」  俺の鎖骨のあたりで長谷川の声がした。いつもと違うシャンプーの匂いが、潮風と混じって俺の鼻腔をくすぐる。 「少しだけ、ほんの少しだけ待っててください。私、仕事でどうしても超えないといけない山にさしかかっています」 「もちろんだ、時期は任せる。時間はこれからいくらでもあるんだからな」 「いえ、なるべく早い方がいいです」  そう言うと長谷川は、俺の方を見上げていた顔を、もう一度鎖骨にくっつけた。 「あの、私も……早く赤ちゃんが欲しいので」  反則だろう、長谷川。お前はたまにそういう必殺技を繰り出すから困ったものだ。俺は長谷川を抱く腕に力を込め、この夜の記憶を脳裏に刻み付けた。  長谷川のつむじの向こうで、南十字星が輝く。まるで俺たちを祝福してくれているようだ。南の海で船乗りを導くという、ひときわ明るい星に。そして満点に降り注ぐ星たちに。俺たちのこれからの人生が、幸多きものであれと願った。
/60ページ

最初のコメントを投稿しよう!

99人が本棚に入れています
本棚に追加