10.ジャージを履いた王子様-前編(SIDE愛)

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10.ジャージを履いた王子様-前編(SIDE愛)

 午前5時、起床。こんなに早起きしたのなんて、いつぶりだろう。緊張して眠れなくなるかなと思ったけど、図太く熟睡したので肌の調子はなかなかいい。今日は1日中フルメイクなので、コンディションは重要なのだ。  朝、玄関を出るとき家族が並んで見送ってくれた。 「25年間、ありがとうございました。これからも、よろしくお願いいたします」  そう言って頭を下げると、最初にお父さんが泣き出してしまった。昨晩、娘として最後の晩ご飯を作ったときも泣いてたのに。そんなんじゃお式の時、涙が枯れちゃうよ。とりあえず、しんみりしている家族を後に、私はヘアメイクさんの待つスタジオに向かった。 「先にトイレ行って来て。それから下着になって足袋をはいて」  てきぱきと指示を出すヘアメイクさんは、和装も洋装もお任せの大ベテラン。この地域の広告業界ではけっこう有名なお方らしい。なんとあの薫子さんから紹介してもらったのだ。費用は彼女持ちで結婚祝いの代わりらしい。いろいろ思うところはあるが、彼女なりに祝福してくれているようなので、有難く受け取ることにした。  和装は重くてきついと思っていたけど、腕がいいんだろう、ほとんど圧迫感を感じない。そしてこれしきの重量は、私の筋力では全く問題にならなかった。なんならこのまま走り幅跳びくらいできそうな勢いだ。 「きゃー、愛ちゃん! きれいきれい!」  花嫁支度が出来あがり、大鏡に姿を映してみた。私が選んだのは白無垢で、意外にもかつらと綿帽子が似合うじゃないか、さすが扁平顔! その扁平顔の制作者(父と母)そして兄、姉一家が30分ほど前にスタジオに到着し、私の姿を見て大騒ぎしている。  これから私たちとヘアメイクさんチームは、車に分乗して神社へ移動だ。着崩れないように歩くのが大変。あっという間に時間が過ぎていく。結婚式、まじ慌ただしい。感動してる暇がない。  神社に到着し、羽織袴姿のユキ先輩に出迎えられた。試着の時に見てはいたけど、カッコいい! ウクライナ人のお爺ちゃんが還暦祝いに誂えた着物で、リューちゃんママが大切に保管していたそうだ。  挨拶で忙しい両家の親族を控室に残し、私たち新郎新婦はまず境内で撮影を行う。香山課長の彼氏であるジャンさんがスチル、助手の若い男性がムービーの担当だ。傘を持ってスマイル、本殿の前で見つめ合う……などなど、計15カットを撮影して再び社務所の控室へ。  いよいよお式が始まりますよと案内され、奥から出てこられた宮司さんが私を見てにっこり微笑んだ。お百度を踏んだ時のことを覚えていてくださったのだろう。私もそっと目礼を返す。 「このたびは、おめでとうございます」 「ありがとうございます」  宮司さんは私とユキ先輩を見て、うん、と頷いた後「お幸せにね」と仰って、またうんうんと嬉しそうに頷いた。  ――あの時の想いは、こうして成就しました。本当にありがとうございます。精いっぱい幸せになります。  心の中でそうつぶやいたら、何だか泣きそうになったけど、ぐっとガマン。今日だけは腫れまぶたになるわけにはいかない。やがて巫女さんに導かれて、いよいよ神前の結婚式が始まる。さすがの私もようやく緊張してきた。  斎主さんと巫女さんに先導され、花嫁行列が本殿へと進む。式に参列しているのはごく内輪の親族だけだが、どこからともなく雅楽が流れ、まるでドラマのワンシーンのようだ。本殿では私が左、先輩が右に座って清めのお祓いを受けた。ああ、結婚するのだという実感がわいてくる。とても厳かな気持ちだ。  斎主さんに祝詞を奏上していただき、三々九度の杯を交わす。ユキ先輩の目元がちょっと赤くなっていて、彼も私と同じように涙をこらえているようだ。朝早かったし、花嫁衣装は着慣れないし、お式の順番を忘れないようにするのも大変だけど、自分にとって一生のうちで最も美しく幸せな瞬間のひとつを、胸に刻みつけておきたい。 「では、誓詞奏上を行います」  誓いの言葉を読みあげる、神前式の中で新郎の見せ場である。ユキ先輩はゆっくりと息を吸い込み誓詞を掲げると、体育会系で鍛えた腹から出す声で読み上げた。ひな形は一応あるものの、アレンジして私たちらしい文言になっている。 「本日の佳き日に、御座山神社の大前で結婚式を挙げました。大切な伴侶に出会えた幸せに、心から御礼を申し上げます。今後はご神徳を賜り、夫婦で手を取りあい、尊敬しあい、試練を共に乗り越え、笑顔の絶えない家庭を築いていくことを誓います。何卒、幾久しくご守護下さいますようお願い申し上げます」  いやー、かっこよかった、素晴らしかった。彼のことは何度も惚れ直したけど(今日くらい惚気させて♡)、今日のは強烈な一発だった。大役を終えてほっとした顔をしている隣の新郎に、「お疲れさまでした」と言ってあげたい。  その後、玉串奉奠で二拝二拍手一礼を行い、両家の親族が御神酒をいただく親族杯の儀、最後に水合わせの儀を行った。これは、新郎新婦がそれぞれの実家から水を持ち寄り、それを合わせて飲む儀式。違う環境で育った二人が家族になり、互いの親族の絆も固めるという意味がある。安藤家と長谷川家の結びつきを深めるためにも、お願いして式次第に入れていただいたのだ。  最後に、斎主である宮司さんからお祝いの言葉をいただいた。 「新郎、新婦はともにこの街で生まれ、育ち、今日ここに新しい家庭を築かれました。この神社は小さいですが、300年近い歴史を持ちます。この街の人々を長きにわたり守り続けてきた氏神様が、きっとお二人の歩む道をお守りくださるでしょう。どうぞ、健やかに久しくお幸せに」  こうして、私たちは夫婦になった。間もなく初夏を迎える、真っ青な空。新緑の薫る風に吹かれ、永遠を誓い合ったこの瞬間を、私は生涯忘れることはないだろう。
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