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11.ジャージを履いた王子様-後編(SIDEユキ)
神社から車に分乗して、披露宴会場へ向かう。朝から支度でバタバタしている時は「本当に俺、今から結婚するのか?」というくらい平常心だったが、白無垢の長谷川を見て一発でスイッチが入った。
花嫁姿がとんでもなくきれいだったのもあるが、ひとつの家庭を作るという事への現実味が一気に押し寄せてきて、背中にメガトン級の責任感が覆いかぶさったのだ。気合入れて、覚悟して、命の灯が消えるその時まで、目の前にいるこの女性と力を合わせて生きていくのだと、俺は改めて褌を締め直した。ボクサーパンツだけどな。
少し郊外にある披露宴会場に着くと、もう半数ほどのゲストが受付を済ませていた。お色直しは1回にしたので、俺も長谷川も式の和装のままだが、花嫁は着付けとメイクのお直しが必要だそうで、真っすぐ控室へ。その間は俺がホストとして招待客を出迎える。
「よう」
高橋夫妻も早めに着いていたらしく、1歳になったばかりの莉花ちゃんが会場をヨチヨチと歩き回っている。その後ろをばっちりドレスで決めたさゆりさんが追いかけているのが微笑ましい。高橋もすっかり父親の顔になって来た。
「お前らが、こっちにいる間でよかったぜ」
俺は挨拶代わりに、拳で高橋の肩のあたりを押した。実は高橋一家は、この秋からさゆりさんの実家の波照間島へ移住する。これまで農家としてさとうきびの生産をしていたが、親族で加工場を立ち上げ海外向けビジネスを発足させる。主力商品となる黒糖シロップは、既にヨーロッパの市場で高い評価を受けているそうだ。
俺が家庭を持ち、高橋がこの街を離れ、もうバカをやっていた学生時代の俺たちではない。しかしどんなに離れようとも、こいつとは縁が切れることはないだろう。これからは家族を持つ大人の男同士、いい付き合いをしていきたいと願う。
「安藤、おめでとう!」
「堀田さん、遠いところをありがとうございます」
東京の新人時代、兄貴のように俺を引っ張ってくれた先輩の堀田さんだ。今日はわざわざ東京から奥さん、娘さん二人とともに来てくれた。そしてその後ろから、小柄な社長が顔を出す。こちらも奥さんである専務とご一緒だ。さらにその後ろには、彼らの娘である香山課長とFittest事業部のメンバー、津島さんと枝野さん。ずいぶん鍛えられたが、この人たちがいたお陰で今の俺がある。
俺はそれぞれに精いっぱいの礼を述べ、ウェルカムドリンクを配って歩いた。紋付き袴の内側は、もう汗びっしょりだ。そのうち開会の時間が迫り、控室に連行された。さあ、気を引き締めていくぞ! と思いきや、長谷川が和装のままでサンドイッチをがっついてるのを見て脱力した。そう言えば朝から何も食ってない。俺にもよこせ~
「新郎、新婦の入場です!」
進行役であるバスケ部後輩のアナウンスで、俺と長谷川にスポットライトが当たる。招待客は約70名。割れんばかりの拍手に包まれ、俺たちは高砂に着席した。その後は挨拶やら、俺たちの昔の写真のスライドやら、こっぱずかしい馴れ初めのエピソードなど、お決まりの披露宴メニューが続く。
しかし、俺と長谷川の結婚式であるからには、当然俺たちスタイルの演出も仕込んである。まずは、お色直し。なんと長谷川のアイデアで、東西スポーツの誇る「MD-J(全方位ジャージ)」を使ったドレスとタキシードを仕立ててもらったのだ。着替えて登場した俺たちを見て、うちの社長が大喜びしていた。
しかもこの衣装はジャージなのでむちゃくちゃ動きやすいのだ。それを証明するために、ちょっと動きの激しいパフォーマンスをするぜ。まずは俺から。太鼓の音と同時に、でっかい鰤が運ばれてきた。会場が「おおっ」とどよめく。
スーパー経営のオッチャンが、卸から特注で買い付けた特上品だ。鰤は冬だと思われがちだが、獲れる場所によっては今の時期に美味い鰤もある。俺はジャージの上からゴムの前掛けを纏うと、魚売場から借りてきた刃渡り30㎝の出刃を握りこんだ。
ミュージック、スタート。大音量で鳥羽一郎の「兄弟船」が流れる中、高校のバスケ部の仲間が海パンと鉢巻でダンスを踊る。おっさんたちは演歌に大喝采、おばちゃんたちは海パンに目が釘付けになる中、俺は学生時代に鍛えぬいた包丁さばきで鰤を柵におろしていった。
「うおぉ、安藤くん! こんな特技があったのね」
「花婿の解体ショーなんて見たことない!」
会社の連中も、親戚連中も大盛り上がりで演出は上々だ。さすがにイタリアンに刺身は合わないので、これはシェフがカルパッチョに仕上げてテーブルに供される。本日のメインディッシュだ。俺は大仕事を終えて汗をぬぐった。
「次は私の番ですね」
「落ち着いて行けよ」
長谷川も、もちろん一発芸をやる。屋外のガーデンを利用して、砲丸投げの的当てだ。こっちも特訓を重ねたので心配はしていないが、周りが初めて砲丸投げを見る連中ばっかりで、正面から撮影しようとして
「私より後ろに下がってください!」
と、砲丸を手にした花嫁に叱られていた客もいた。安全管理は競技の基本だよな。
やがて、長谷川がこの日のために金色にペイントされたスペシャル砲丸をアゴ下につけ、現役時代と変わらない美しいフォームで鉄球を飛ばした。おそらく花嫁衣装で砲丸を投げた世界最初の女性だろう。しびれるぜ、長谷川。
砲丸はふわりと放物線を描き、見事に地面に設置された風船のオブジェを割った。確実に割るために大きめの的にしたが、素晴らしいコントロールだ。そして風船が割れたと同時に、長谷川が作ったケーキがワゴンで登場し、もうそこらへんからはみんな飲んで食べて歩き回って収拾がつかなくなったので、俺たちもせっかくの料理を味わうことにした。何しろ着ているものがジャージだ。腹パンパンまで食える。
そろそろお開きというあたりで、べろんべろんに酔っぱらった長谷川の兄貴につかまった。泣きながら「妹を頼む」「泣かせるなよ」と念を押され、改めてどれだけ長谷川愛という人間が、家族に愛されて生きてきたかを実感した。
「大丈夫ですよ、これ以上ないってくらいに大事にします」
俺はしっかり兄貴の目を見て約束した。ほんと、何かあったら突撃して来るシスコンだからな。新居も長谷川家からなるべく近い所にして、いつでも遊びに来られるようにした。エレベーターなし、築25年の2DKだが、ベランダが広くて窓から公園の緑が見える。俺たちのスタートにぴったりの部屋だ。頑張って働いて貯金して、いつかは念願のマイホームを買うぜ。
その夜、俺たちが予約していたホテルにたどり着いたのが、午前4時ごろ。披露宴が終わって、それぞれの家に挨拶に行き、着替えて二次会場に戻ったのがすでに10時だった。そこからビンゴゲームで賞品を配って、寺塚(東京の寮で隣の部屋だったあいつだ)をモデルとしたFittestランジェリーショーで吐きそうになって、三次会のカラオケにちょっと顔だけ出して、ようやく俺たちの長い一日が終わった。
「お疲れさまでした」
「俺よりそっちの方が疲れただろう。朝早かったし、衣装も窮屈だったんじゃないか」
「緊張してたから気づきませんでしたけど、お風呂に入ったら寝そうになりました(笑)」
備え付けのバスローブで炭酸水を飲みながら、長谷川がメイクを落としたすっぴんで笑う。華やかな花嫁化粧もよかったが、俺はやっぱりこっちの方が好きだ。
「先輩も何か飲みますか?」
今日は張り切って、この街でいちばん高級なホテルの部屋に泊まっている。冷蔵庫もいつものビジホのように空ではなく、あれこれ飲み物が入ってるので珍しいのだろう。さっきから長谷川が開けたり閉めたりしている。子どもかよ。
「ペナルティだ」
「えっ、何がですか……ああっ、しまった」
今日から俺たちは夫婦になったので、「先輩」「長谷川」と呼ぶたびペナルティを課すことにした。何でもひとつ、相手の言うことを聞くというものだが、新婚第一回目は俺のターンとなった。さあ、何をリクエストしようか。
「せ、……じゃなくて、ユキさん、悪い顔してますよ」
「よし、その敬語をなしにしよう。もうずっと前から先輩と後輩ではなく、俺たちは対等な間柄だ。今からは妻と夫になるんだから、対等でないと家庭のバランスが崩れるだろう」
「はぁ、まあ……難しいかも? 頑張ってみますけど」
「ほら、また」
「んんん、……頑張ってみる……ね?」
必死にタメで話そうとする長谷川が可愛くて、ソファから抱え上げてベッドに押し倒した。初夜だからお姫様だっこというやつをしてみようと思ったが、筋肉質の長谷川が暴れるので拉致しているような格好になった。うまくいかない。
「もうっ、いきなり何する……んんっ」
長谷川の抗議を唇で塞いだ。半ば喜劇のような俺たちらしい結婚式だったが、ここからは記念すべき初夜である。お互いムード作りの才はゼロなので、ここは速攻を決めてしまうことにしよう。
「ようやく二人でスタートだな」
「はい、かなりの長距離ですから、途中でへたらないように、ペース配分しましょうね」
「おい、またペナルティだぞ」
「ああっ」
「罰として、黙って目を閉じろ」
長谷川はちょっと目を見開き、そしてにっこり笑って目を閉じた。長い長い、俺たちの二人三脚が、これから始まろうとしている。
――「プリンスオブジャージ 完」
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