肉じゃがと本音

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肉じゃがと本音

 その日は、満月だった。 「別れようか」  月明かりの下、あの人の口から発せられたその言葉は、眩いくらいに真っ直ぐで、シンプルだった。 「……うん、そうだね」  覚悟なんてとっくに出来ていたはずなのに、何故か頭が真っ白になった。声帯だけが身体と分離したかのように、口が勝手に動く。自分の口から出たはずの声なのに、それはあまりにも遠く聞こえた。 「いらっしゃいませー」  無性に肉じゃがが食べたくなって、買い物のためにやってきたのは近くの大型スーパー。形式的な店員の挨拶は、いらっしゃいませ、というより、らっしゃーせ、に近く聞こえる。  人参、玉ねぎ、しらたき、それから牛肉。 「じゃがいもは家にあったよね……」  ふとこぼれた独り言。私の隣の一人分の空白は、返事など返してくれるはずもないのに。  みりんを切らしていた事をギリギリで思い出して、慌ててレジ前でUターン。かごに放り込んで、今度こそレジへ。 「ありがとーございましたー」  やる気のなさそうな店員の声に見送られて、自動ドアを通り抜けた。  ここから自宅までは徒歩5分。ビニール袋とハンドバックを抱えて歩く、見慣れた景色。見上げた夜空に、月は見当たらなかった。 「ただいま……っと」  ボロいアパートの狭い一室。冷え切った部屋は、暖房を付けてもなかなか暖まってくれない。  凍えそうになりながらハンドバックを布団の上に放り投げて、キッチンに立つ。  まず人参は乱切り、じゃがいもは少し大きめにして、玉ねぎはくし切り。牛肉は一口サイズに切って、しらたきは下茹でしてから食べやすい長さにする。それから鍋に油を引いて野菜を炒め、玉ねぎが透明になったところで、牛肉、しらたき、調味料を入れて落し蓋を忘れずに、暫く煮込む。  煮込み過ぎないようにタイマーをセットして、この隙に洗濯物を畳んでしまう。 「あ……牛肉じゃなくても、良かったんだ」  いつもの癖で、牛肉を入れて作った肉じゃが。実家にいた頃は豚肉が当たり前だったのに、あの人が食べにくる様になってから、牛肉で作ってた。あの人の実家の味はそうだったから、って言われて。  いんげんだってそう。私は大好きだったけど、苦手って言われてからは肉じゃがだけでなく、他の料理にも使わないようにしてた。 「これからは、私の好きにできるのに、何で……」  ポタっと、洗濯物に丸い染みができる。二つ、三つと増えていくそれ。  ――本当は、別れたくなかった?そんなはずない。覚悟も、納得もできてたはず。今更思い出して、傷ついて挙句の果てには泣くだなんて馬鹿みたいって分かってるのに、涙は止まってくれない。  タイマーが、一切空気を読むことなく鳴り響く。一人になった事を痛感した今、タイマーの無機質な音にすら救われた気がした。  肉じゃがと、朝のうちに炊いておいたご飯と、インスタントの味噌汁を盛り付けて席に着く。いつも通りにきっちり二人分作ってしまった肉じゃがは、いつもより少しだけしょっぱかった。  本心なんて、気付かなかったことにしておこう。  ――ねぇ、真実って、本音って、必要ですか?知らないほうが、気づかないほうが、平穏に過ごせそうなのに。  
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