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これから
「お待ちください」
背後からかかった声。
2人は出口に向かって歩いていたので、その背後から声をかけたとなれば屋敷の奥からやって来た人間、つまりは家の人間だ。
丸腰のルドゥロの代わってリヴァーダが小刀を手に慎重に振り返る。
奥の大きな窓から覗く月明かりに照らされてシルエットのみとなったその人影は、無抵抗の意をしめすときのように両手を低く掲げていた。
「私に敵意はありません。近づいてもよろしいでしょうか」
闇に包まれた人型から凛と発せられた問いかけ。
ルドゥロとリヴァーダは無言で顔を見合わせる。
数秒後、構えは解かぬままにリヴァーダが声をかけた。
「どうぞ?」
「失礼いたします」
両手をあげた状態で固定したままゆっくりと影の人物が近づいてくる。
徐々にその顔つき身体つきははっきりと見えるようになっていく。
強い意志のこもった目つきでキッと2人を見つめながら近づいてくるのは、声から察していた通り若い女性であった。
女性にしては長身で細身、また長髪文化が根付くミアーネの女性としては珍しくリヴァーダと同じくらいの短髪。どこをとっても一般人とは何かが違う。
間違いなく『ただの目撃者』ではないだろう。
「無礼をお許しください。私はリマ・サルロ。マルタ・サルロの実の娘にございます」
深々と頭を下げるリマ。
驚いたことに2人がついさっき命を奪った男の娘だという。
リヴァーダの体に緊張が走る。
しかしルドゥロは彼女の自己紹介を耳にしてピクリと片眉をあげた。
何故って、この広大なる屋敷の娘にしては彼女はあまりにも身なりが粗末なのだ。
10年間闘技場にいて、貴族と呼ばれる人間たちを嫌というほど見てきたルドゥロだ。彼らがどれほど豪華さを好むかよく知っている。
いくら寝間着といえど、こんな使い古した雑巾のように薄くなったワンピース一枚などありえない。
そう考えていたルドゥロの視線に気が付いたのだろう。
リマは先ほどまでの堂々とした態度を少し崩し恥ずかし気にワンピースの裾をぎゅっと握った。
「…私の母はユマという、マルタの『愛人』の1人でした。初めの頃は寵愛を受け本当の愛人のように扱われていたようですが、マルタが母に飽きてしまえば母子ともども…そちらの方はお分かりになるかと思います」
控えめに手をさし向けられたリヴァーダはぐっと目を細めて唇を噛んだ。
「分かった。君がマルタの娘だということは信じよう」
「ありがとうございます」
「いいのか、リヴァーダ」
「マルタならあり得る話」
「そうか。じゃああの男の娘がわざわざ何の用だ?」
すうっ、とリマが大きく息を音が静寂に響く。
決意を固めた強い目でリマは2人の男に対峙した。
「…今日いつものように労働を終え寝ようとしていたところ、なにやら足音が聞こえたため階下に降りてきました」
「ばれてたな、リヴァーダ」
「だまっとけ」
「そこで、マルタの寝室の扉が開いていたので気になってのぞいたところ、その…胸に刃物が突き刺さって、死んでいて。
………あれをやったのは貴方方ですよね?」
両手を腹の前で組み気丈にもリヴァーダとルドゥロをしっかりと見つめるリマ。その手はきつく握りすぎて白くなり細かく震えている。
ルドゥロはそんな彼女の手をちらりと見てから言う。
「…そうだと言ったら?父のかたき討ちでもするのか?」
「いいえ!」
きっぱりと否定したリマの迫力に思わず2人とも目を見開く。
「私はお2人に感謝しているのです。……母と2人非人道的な扱いを受けて十数年。数年前に母も死に、それからはマルタへの恨みと怒りだけで仲間たちと生きてきました。でも私たちには力がなく…。でもでも貴方方が来てくれた、今日という日が来てくれた…これで、皆自由になれる…!」
恍惚とした表情でリマはワンピースの胸元をぐっと握りしめる。
薄手のへたれた生地はすぐに皺がより今にも破けてしまいそうだったが、同時にそれはとても気高い召し物にも見えた。
「マルタには家族はいません。誰も嫁ぎたがらないので。だから私が唯一の血縁者であり正統な後継者。私が生まれたときはまだマルタからの愛情もありましたから出生証明書もあります。この屋敷を変えることができます。
その感謝を、伝えたかったのです」
「ふぅん。俺達は自分達の都合でやっただけだからな。いい方に作用したならよかったぜ」
「そうだな」
「…あの、それで提案なのですが」
「?」
「私が運営する屋敷で働いていただけませんか?」
リヴァーダとルドゥロは揃ってぱちぱちと目を瞬かせた。
一足先に正気に戻ったリヴァーダが「いやいやいやいや」とリマに迫る。
「どれだけ嫌われていたとはいえ屋敷の主を殺したんだぜ?そんなのが当の屋敷にいれるわけないだろう」
「それに俺たちは自由になりたい。せっかく手に入れたのにまた誰かの籠の中中に戻るなんて御免だな」
リヴァーダに続いてルドゥロも否定を返すと、リマは慌てて首を振った。
「違うのです!貴方方を縛りつけるわけではありません!」
「と、いうと?」
「…お2人には世界各地の奴隷たちに自由を見せてあげてほしいのです」
「!!」
「私がずっと不自由な生活の中で「いつか、いつか」と夢見ていたことです。
どんな理由があろうとあんな生活をさせられるべきではない。だから1人でも100人でも、震えている人たちに自由に怯えることなく息ができる幸せを、お2人が手助けすることで手に入れてほしい」
リヴァーダとルドゥロは思わず再び顔を見合わせた。
リマはぱっと見ただけでは10代の少女に見える。生活環境のせいで発達に遅れがあったとしても20代前半だろう。
そんな彼女がここまでの熱意をもって、彼女から見れば恐ろしいであろう2人の大男に立ち向かっている。その瞳の何と力強いことか。
「私はお2人に苦しんでいる奴隷がいる場所などの情報と共に彼らを解放するという仕事を送ります。そして、その仕事ひとつひとつが達成できた際にはもちろん報酬を支払います。お2人は場所場所で奴隷たちの手助けをしながらお好きに旅をしてくださって構わないのです。
それが、私の下で働くということです。…いかがでしょうか」
不安げに瞳を揺らすリマ。
彼女の目の前にそっとリヴァーダは進み出る。ルドゥロは穏やかな瞳でその後ろ姿を見送った。
リヴァーダは身体を屈めてリマの手をそっととった。
「お嬢さん。俺はね、元奴隷なんだよ」
「えっ…」
「だから、この屋敷に来て本当に胸糞悪かった。吐きそうだった。
…お嬢さんの気持ち、よおく分かるぜ」
「でしたら…」
リヴァーダは背後の恋人を振り返り、いたずらっ子のような表情で首を傾げる。「いいか?」の合図だ。
「もちろん」ルドゥロは頷いた。
「俺達はどうしようもない狂人だが、君の考えに共感する。
この力が何かの助けになるのなら、よろこんでその仕事、引き受けよう」
「ありがとうございます!」
「よろしくな、リマ様」
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