さよならブロッサム

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さよならブロッサム

 北海道の春は遅い。「桜咲く」なんてテレビでよく聞く時期に咲くことはない。五月の連休が始まる頃に慌てたように咲き始め、やがてくる初夏に譲るように急ぎ散っていく。  高校二年生の始業式。館岡はクラス替えの張り出された掲示板の前にいた。 「よっ! 何組だった?」  去年同じクラスで、気づけば親友と呼べる間柄になっていた古内が声をかけてきた。その隣には古内の彼女の大島。 「一組だった」 「マジで! やったじゃん。お前特進科行きたくて編入試験頑張ってたもんな。合格おめでとう」  古内だけでなく、大島も「えー、すごいね。おめでとう」と祝福してくれた。ありがとう、と照れくさげに館岡は返した。 「でもクラス離れちゃうな。特進と普通科は校舎も違うし」残念そうに古内が続ける。 「けどさ。クラス変わっても遊ぼうぜ。勉強忙しいだろうけど」  そう言って笑う古内に館岡も「もちろん」と笑った。その様子を大島が微笑ましそうに見ていた。  二年生になって一か月が過ぎた。 「ゴールデンウィークだからって、遊びに行けるなんて思うなよ。受験はもう始まってるんだからな」  担任がHRで宣言した言葉に教室内から「えーっ」という声があがる。その様子を館岡は冷めた目つきで見ていた。  みんなそんなに遊ぶあてがあるのか――館岡は始業式の日に聞いた古内の言葉を思い出す。「クラス変わっても遊ぼうぜ」と言ったのは向こうなのに、この頃のラインは既読無視ときている。  クラスが変わればそんなものか、と館岡は少し達観した気持ちになって窓の外に視線を転じる。校舎沿いの桜が花を開き始めているのが見えた。  連休明けの最初の登校日。次の時間は移動教室の館岡は、廊下で友人と談笑しながら歩く古内とすれ違った。 「古内」  呼び止めた自分を無視して、同級生と笑い続けながら古内は通り過ぎて行った。古内の隣の男が 「呼ばれてね?」と言っても 「ああ、いいんだ」と受け流している。 「嘘つき」  わざと聞こえるように呟くと古内が一瞬足を止める。けれど館岡はそれを無視して美術室へと向かった。 「おい」  その日の放課後、館岡は人気のない廊下で古内に呼び止められた。 「何?」  端的に館岡が尋ねた。その様子に古内はハッと息を吐いて笑った。 「嘘つきはお前だろうが」 「は? 何の話だよ」 「お前、大島と付き合ってんだろ?」 「……だから?」 「だから? 凄いな、お前。人の彼女に手ぇ出しておいてよ」  館岡は古内の今までの態度を理解した。 「誤解だ。彼女から告白されたんだ。だからもうお前たちは終わったんだと」 「そんなわけないの、お前が一番わかってんじゃねえの?」 「違う……俺は嘘なんかついてない。俺は、クラス変わってもまた遊ぼう、ってお前が言ってた言葉を嘘にされたと思って」 「自分の彼女ぶん取った男と友達続けるバカがどこにいるんだよ?」 「違う……俺は嘘なんかついてない」  館岡の釈明を古内は鼻で笑い飛ばした。何か詰まったような声だった。 「嘘つきはお前だ。自分の罪悪感塗り潰すために俺を使うのやめろよ」  罪悪感なんてなかった。大島の方から告白して来たのだ。初めて人から寄せられた好意だった。  親友の元カノと付き合うことに引っ掛かりがなくはなかったが、今彼女が自分を好きだと言う気持ちに答えることは何も問題がないと思った。まさか彼女が古内との関係を清算せず自分のもとに来ただなんて思いもつかなかった……最初は。  疑わしいという思いは実は持っていた。やけに返事の遅いライン。話し中のことが少なくない電話。  そんなはずないと思いたいことが積み重なりすぎて、塾をサボって彼女を尾けた日、古内に腕を絡めて歩く姿を見た衝撃。ビルの影の電気メーターとゴミバケツの並ぶ空間で館岡は声を出さず泣いた。  なのに翌日には大島は何もなかったように館岡と恥ずかしげに手を繋いでみせる。館岡の方から喰らい付くようなキスをしたのはその日のことだった。この桜色の唇で、彼女は古内に何を言ったのだろう。そんなことを考えた。  そうか、俺は古内を騙していたのか――他人事のように館岡は思い至る。 「もういいよ。お前も、大島も」  涙を浮かべてもなお、強がって笑う古内が吐き捨て、背を向けて去っていく。館岡は何か言おうと思って足を踏み出したのに、何を言えばいいかわからず立ちすくむ。  一番の嘘つきは自分でも、古内でもなかったはずなのに。なぜ自分たちが互いを失くし合うのか。大島の笑顔が頭をよぎる。彼女は何も失くすことはないだろう。こんな思いをしても、彼女を糾弾して別れを突きつけることは、たぶん自分にはできない。  上手な嘘をつける人間は何も被らずにいられるのか。乾いた笑いがこみ上げてくる。けれどうまく笑えなくて、惨めな音が鼻を抜けた。結局、自分と古内が不器用だっただけか。馬鹿みたいだ。  ザワリと大きな音が聞こえた気がする。ふいに窓の外を見ると、風が強く吹いたのか、校舎の傍の桜が壊れるように散っていくのが見えた。
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