もっと素直になって

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「あの母親マジでむかつく。おれ何するにもずっと監視されてるんだぜ」 同期で一緒に小児科を回っている研修医の渡辺と一緒に短い昼休憩を取っていた。休憩中でもPHSに連絡が来るから病棟を離れられず、医師のカンファレンス室で休憩をとって いる。 「しょうがないだろう?お母さんたちだってずっとついてないといけないし、ストレスたまってるんだよ。…やっぱり気になるだろうしな」 まあ、そりゃそうだよなと渡辺はカップラーメンをすすった。 「でも坂口先生はさすがだよな。先生、先生って全幅の信頼を得てるって感じ」 あーあと笑いながら話す渡辺は外科志望だった。小児科での母親との関わりが苦痛でしょうがないといつもぼやいている。 「そういえば向井、坂口先生と最近どうかした?ちょっと前まで仕事中ほぼべったりだったじゃん。休みの日も一緒に出掛けたりさ。何かあったの?お前小児科希望だよな?」 思わずコーヒーをむせてしまい、おい大丈夫かと背中をさすられる。周りからそんなふうに見られていたんだと思ってぞっとした。 「何もないよ。俺ももう研修に来て一ヵ月以上経ってるからいつまでも坂口先生にべったりじゃ…」 言いかけた時、カンファレンス室のドアがノックもなしに開いて、その坂口先生が入ってきた。 「向井先生ご飯食べた?上月さんとこ今から診察行くけど、一緒に行こうか」 「あ、はい」 急いで席を立ちあがると、ひらひらと渡辺が手を振っているのが見えた。 上月わかなちゃんは十二才で、母親のお腹に居る時から遺伝子変異を指摘されていた。生れてきてから精神発達遅滞や心疾患など様々な障害を抱えていて、十二才になったことも奇跡だと言われている。寝たきり状態のわかなちゃんは肺炎で入院していて、首に人工呼吸器が装着されていた。 「今日は、ごきげんななめかな」 聴診器を胸に当てるとしくしくと泣きだしたわかなちゃんに先生が話しかけた。 「お気に入りのおもちゃを私が忘れてきてしまったんですよ」 笑顔で話している母親は、何回も入院や手術をくりかえす子供につきそうために、仕事を辞めてしまったのだと聞いた。 「わかなちゃん、もしもししてもいい?」 俺がわかなちゃんの顔を覗き込んで話かけると、口をパクパクと動かして反応してくれた。 「ほら、向井を連れてきたら表情が違う。面くいだな、わかなは」 むすっとしたふりをして診察を進める坂口先生に母親が微笑む。 「イケメン2人に診てもらえて幸せね、わかな」 愛しげに髪をすく母親の顔はいつも穏やかで、24時間子供に付き添っているという疲れを感じさせなかった。 「わかなちゃんのお母さんは落ち着いていてますね」 小児科に来てから、今まで接してきた母親との違いを俺は感じていた。 「わかなが生まれてすぐに手術だと言われて、そこから病気を抱えている子供をどうしていけばいいか何度も泣いてる姿をみてきた。お腹にいるときから覚悟はできていますとは言ってはいても、いざ生まれてみないとわからないからな」 長い経過をもつ子供は、担当する医師にしてみても、その人生のほとんどに関わっていると言ってもいい。だからわかなちゃんのお母さんがそういうことを全部乗り越えてそこにいるのを全て見守ってきているんだなとぼんやり思った。 はっと顔を上げると坂口先生が俺を見ている。あの日以来久しぶりにまともに先生の顔をみて心拍が上がるのを感じた。 先生は無精ひげもなく、いつもよりすっきりした顔をしていた。 「…あのな向井、今日仕事終わったらこの前のお礼を込めて、焼肉でも行くか?お前に言っておきたいこともあるし」 ―お前、先生にべったりだったしな。 ―向井…? 渡辺に言われた言葉と、あの日キスしようとする俺を呆然と見ていた先生の顔が浮かんで、 俺は頭を振ってその残像を打ち消した。 「今日は用事があって。…すいません」 「あ、向井!ちょっと」 呼びかける先生を見ないようにして、俺はその場を立ち去った。 …はっきりと言われたくない、迷惑だって。でも逃げてばかりいたらせっかくの小児科での研修期間が終わってしまう。 小児科病棟の壁にはところどころにカラフルなイラストが貼ってあって、そのなかには可愛らしい象のイラストも貼ってあった。 ―パパって象さんに似てない? 和音ちゃんの言葉を思い出して、あの時感じたおかしさがこみ上げる。そっと指でそのイラストをなぞってふうと息を吐いた。
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