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時計の針を眺めていると時間が経つのが遅く感じる。
最高の映画を観た余韻が残っていると余計に。
今日は一限目からずっと人間の檻のシーンを思い返して授業を受けている。
ノートには何も書いていないし、教科書も何処を開けばいいかわからない。
口をパクパクと動かして声を発している人間が黒板の前で偉そう。
机にへばりついてお利口さんに座っている人間達はどうせ誰も真面目に聞いちゃいない。
屍のようにようやく1日を終え、教室を出た。
狭い廊下。騒がしい足音。
浮かれた人間同士がいちゃついている間を抜けて、靴箱に行くと、柊木さんが一人でいた。差し込む光が艶やかな髪の毛に当たっている。その髪の毛が綺麗な指でかきあげられ、整った横顔が見える。
僕の靴は柊木さんと同じ列の二個左隣。
なるべく目を合わせないように、僕も靴に履き替えようとしたその時だった。
「ゆうくん、おつかれさま。」
僕に対する声がした。
僕と柊木さんしかいないのに、僕に対して誰かが喋ったらしい。
周りを見渡すが、やっぱり僕達以外に人はいない。
恐る恐る視線を柊木さんに戻すと、明らかにこちらに顔を向けていた。
「え、あ、お、おつかれ、さまです。」
初めて喋るはずなのに名前呼びだったので、緊張して声を出すのに手擦ってしまった。裏返った僕の声を聞いた柊木さんが微笑む。恥ずかしくて顔をうまく合わせられない。
「ふふ、どうしたの。」
「あ、いや、何でも。」
「そう。帰る方向同じだから少し一緒に歩かない?。」
柊木さんが僕に対する距離が近いのは、何故だろうか。
「どうして…?。」
「え、だめ?」
誰に対しても優しく歩み寄る柊木さんなので僕に限ったことではないのかもしれない。どちらかというと自分が意識しているせいなのだろう。よく考えれば別に、クラスメイトなのだから一緒に帰ることくらい普通だ。
顔を覗き込んでくる柊木さんが美しすぎて、目を逸らす。
「別に、いいけど…。」
「よかった。」
笑った顔は久しぶりに見た気がする。柊木さんはやっぱり笑っていた方がさらに美しい。
そう思いながら並んで学校を出た。
そういえば、帰り道が同じ方向だということは今日初めて知った。
「曇ってる。」
柊木さんが悲しそうに空を見上げる。
「うん。そうだね。」
僕も空を見るフリをしてとりあえず答えた。
柊木さんは歩くペースが早いので僕は少し早歩きをしないといけない。隣を歩かないと失礼だと思うから。
こういう時、何を話せばいいだろう。そんなことを考えていると車が何台も僕達を追い越していった。
「ゆうくんはいつも静かだよね。」
「まあ、うん。」
「楽しくないもんね。学校」
「そうだね。」
「毎日同じことの繰り返しでさ。」
「うん。」
僕は柊木さんの言葉に返事をすることしかできない。こんなの、別に僕じゃなくてもいい気がする。ロボットでもキナチマでも何でも。
僕は今、僕である必要性はない。ただ隣を歩いている人間。
「毎日嫌なこともあるしさ。」
「うん。」
「檻の中では幸せになれないもんね。」
「うん。…え、?」
僕が驚いて立ち止まり柊木さんを見ると、柊木さんも立ち止まりこちらを振り返ってにっこりと微笑んだ。
「最近観た映画の台詞だよ。ゆうくんならわかるよね。」
「え…、どうして…?」
「あの映画、ラストシーンが特に好きだった。」
「いや、あの、待って。」
「死んでこの世からようやく離れられる瞬間に、モノクロだった世界がカラフルになる所。わかるよね。」
「わかる、けど。」
「あのシーンはね、私、主人公自身が色を付けていると思うの。死んだ後で、こんな世界だったら良かったのに、ってさ。」
柊木さんが俯いて見ている地面には黒と白しかなかった。
僕は柊木さんがあの4人のうち誰なのだろうかという疑問よりも、今、柊木さんがどんな気持ちで地面を見ているのかが気になってしまった。
「私、映画を観る時は主人公の気持ちになって観るの。あの瞬間はすごく共感できたなぁ。ゆうくんはどう思った?。」
「僕は…。」
柊木さんの感想は、映画を俯瞰的に観る僕の感想とは異なっていた。
主人公は元々カラフルな世界で生きていたのに、それに気づけないまま死んでしまって、死んだ後に気づいたんだって。
檻の中では幸せになれない、それは檻の中が不幸せな世界だったからではなくて、主人公のいた環境が幸せに気づけない環境だっただけなのだと。
返事を考えていると、近くに留まっていたカラスが大きく鳴いて空に向かって急いで飛び立っていった。
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