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2 女の子は男の子の背中を追いかけたが丹波哲郎に会ってはいない
翌日学校では、どこでどう噂がねじくれたのか幸視は臨死体験をしたことになっており、誰かが迎えに来たのかとか三途の川はあるのかとか丹波哲郎に会ったかなどというわけのわからない質問をされ、誤解を解くのに幸視は大変に苦労した。
でも夢のことは黙っていた。変な方向に曲解されてはたまらなかった。
「なんであんなところで転んだのかよくわかんないんだけど」
「あんなところってどこだ?」広田は当然のことを訊いてくる。
が、これに答えると幸視が絵梨の家を見に行ったことがバレてしまう。そう幸視は気づいて、取り繕おうとした。
「ちょっと場所の記憶が」
「それヤバいやつじゃ。脳神経的に」
「ちゃんとCTは取ったから大丈夫」
「脳神経でなければ悪霊系かもしれない。なんか寒気がしたりラップ音が聞こえたりしない?」
「しねぇって」
「変な夢見たりとか」
絵梨がちらりと幸視たちの方を見る。お昼の暇なワイドショーぐらいには、日常から少し外れた興味を引かないこともない話題かもしれない、と幸視は思った。
あの女の子の夢は〝変な夢〟なんだろうか。幸視は違うと思った。
父親もうなされていたとか言ってたけど違うと思った。ましてや悪霊なわけがない。
正直に話すとどうにも悪霊にされる雰囲気なので幸視は黙っていることにした。
でも黙るとそのワイドショー的な話題がなくなる。すると絵梨の興味が消える。幸視はもう一度絵梨のほうをチラ見したが、もう視線が向く気配はなかった。
「で、宮前とはどうなん」
「え!?」帰り道、幸視と広田が二人だけになってからの話題は直球だった。「なんのこと!?」
「お前の大好きな宮前絵梨のこと」
「違うって!」声を荒げてしまった。
「いや、見てりゃわかる」
適当なことを言ってカマをかけようとしているだけだ。どう言って誤魔化そうか。そう幸視は悩んだ。
「宮前情報聞きたくない?」
「別に」
「花崎によると年上好きとか」
「好きな人がいるのか!?」
幸視はむきになってしまった。これでは完全に認めているようなものだ。
「てか、広田そんなに花崎と親しかったっけ」
「別に親しかねえぞ!」
怒るようなことか? そう考えて幸視ははっと気がついた。広田は声を荒げてしまったのだ。幸視が声を荒げたみたいに。
「花崎のこと好きなの?」
「違うって!」
幸視と全く同じセリフを発したことに気づいた広田の顔が赤くなった。
幸視は笑い声をあげ、広田も笑い声をあげた。
笑ったあとは、お互い秘密を隠している間柄――というのも何だか違って、〝わざわざ口に出して認めるのは癪だが、秘密を共有しているような気持ち〟になった。
しかしこうなってみると、幸視は広田に遅れを取っていた。広田は花崎と話せているが幸視は絵梨と話せていないのだ。
花崎は絵梨と仲がいいのは、幸視はずっと見て知っている。そんな花崎の情報なら確かなのか……。
女の人が男の人を好きになるっていうのはどんな感じなのか。その逆と似ているのか違うのか。そういう情報を、幸視は昨日まで持っていなかった。
だが、幸視はあの夢でそれをわかることができる――はずなのだが、結局わかっているはずのことがわからないという奇妙な感覚にとらわれた。
「ともかく、花崎によるとだな。好みはARAKIの遠野であると――」
「へ? ARAKIってシャニーズの?」
「それ以外に何が」
「そういうのって違くないか」
「どう考えても年上だろう」
「大抵の芸能人は子役でない限り僕たちより年上だし、第一芸能人に憧れるのと恋愛は全く違うでしょ」
「そういうもんか」
そういうもんだろう。と初めて人を好きになっただけの幸視が断言していいものかどうか不明だった。広田が恋愛がわかっていない、とは思っても幸視が恋愛をわかっている自信はないし、わかっていないはずの広田は幸視の気持ちを見抜いてしまっていた。
もう一度あの夢を見れば恋がわかるだろうか。
女の子と男の子の恋は違うだろうか。
幸視の両親がしたらしい恋は、幸視の恋と違うだろうか。
幸視は悩み続けた。
あの夢は、昨日転んだ時と今朝と、二回見た。二度あることは三度あるというけれど……。
そして三回目を見た。その日の晩見て、それは日増しに妙にリアルに幸視には感じられた。そして三回目があると、これからずっとあるような気がしてきた。
四回目があり、五回目があり、一週間続いた。
一週間目に目を覚ますと、その時突然名前がわかった。
その子の名前ではない。その子が見ていた男の子の名前だ。
「けい……ちゃん?」
いや、これは名前じゃなかった。名前未満のやつだ。あだ名とすら言いづらい、こういうものを何と言うべきか。愛称ってやつだろうか。
女の子は、けいちゃんが好きだった。けいちゃんの背中が見えた。背中だけで顔はわからなかった。背格好すらぼんやりしてよくわからなかった。でも、それは間違いなくけいちゃんで、幸視にはその〝好き〟というドキドキがはっきりとわかった。なぜなら、幸視もずっとドキドキしていたからだ。
でも、けいちゃんは振り向かなかった。もしかしたら、女の子はけいちゃんが好きでも、けいちゃんは女の子が好きじゃないのかもしれない。けいちゃんはただ前を向いて歩いてゆく。
けいちゃんの前に、何かがぼんやりと見えた。人影だろうか。
女の子の胸がきゅんと締まる感覚が幸視に伝わってきた。恋は――この恋のきゅんという感覚はそう、嬉しくて、そして痛い。
目が覚めるとまた父親……が目の前にいたわけではなかった。ただ、半開きになった扉の向こうに、人の気配を幸視は感じた。あるいは、目が覚める前に様子を見てくれたのかもしれない。
それは、けいちゃんの背中や、けいちゃんのさらにその前の人の気配のように、いまひとつ確信が持てなかった。
しかし今目の前に父親がいなくても、幸視は自分が、今度は正真正銘、うなされていたことが理解できた。
恋というのは、初恋でもわかる基本原則だが、好きな人が自分を好きになってくれるとは限らない。誰だって知ってる。
気を落ち着かせようと、幸視は天井を見ながら、何度か目をしばたくと、幸視の顔の側面にすっ、と温かい感触があって、それで幸視は自分が泣いていたことを知った。
絵梨は、幸視ではない誰かの背中を追いかけたりしているのだろうか?
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