29.大人のお別れ

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 小鳥がシュガーを二つ入れると、翔はひとつ入れる。翔の前にあるフレッシュクリーム、彼はそれを自分が使うより先に小鳥の前に置いてくれる。小鳥もフレッシュクリームをたっぷり入れたら、すぐに彼の前に返す。そしてやっと翔は自分のカップに少しのフレッシュを注ぐ。  いつもの何気ないやりとりだったのに。それを見ていた瞳子さんが、肩の力が抜けたように微笑んでいた。 「わかっていたのにね。翔のそういうところ」  小鳥と翔は揃って何のことかとカップ片手に彼女を見ていた。 「翔の、そんな優しさとか、ちゃんと細やかに気遣ってくれているところ。わかっていたのにね」  忘れていたことを思い出したかのように、彼女が目を細めていた。 「小鳥さん。お砂糖もふたつ、フレッシュもたっぷり入れたわね。彼女が沢山入れるから、まずは彼女から。残りはそんなに必要ない自分が使う。そういう『自分が先』じゃなくて、周りをよく見て誰がいちばんそれを必要としているか見ているの」  元恋人の普段身に付いている気遣いを懐かしんでいる。 「有り難みがなくなっていたの。有り難みどころか、もっともっと、翔ならもっともっと素敵なことを与えてくれると高望みばかりして」  一口すするどころか、翔は手に取ったばかりのカップをソーサーに置いた。 「それは俺も同じだ。なにもしてあげられなかった」  小鳥の隣でお兄ちゃんが項垂れている。そして彼女は微笑んで首を振っている。  見ていると、彼女がもう幾分か割り切れているように見えた。 「あの、瀬戸田君のことなんだけれど……」 「ああ。聞いた。社長から」
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